1月25日(日)雨

目が覚めたら11時だった。すごく寝た。Nはまだぐっすりと夢の中なので、シャワーを浴びる。あがったらNが紅茶とイチゴとネーブルをテーブルに用意してくれていた。
今日の予定は、南青山のスパイラルガーデンで催されている向田邦子、没後40年特別イベント「いま、風が吹いている」だ。
隣のビルの駐車場まで長蛇の列。向田邦子さんの生誕からの年表とともに、小説やエッセイの言葉が抜き書きされてコンクリートの壁に展示。

直筆の生原稿や、脚本、万年筆や鉛筆などの愛用品。「かごしま文学館」から移動してきたのだろうか、向田さん愛用の黒い皮のソファーと肘掛け椅子が置かれている。向田さんの留守番電話のメッセージが、受話器から流れる。
テレビモニターからは、黒柳徹子さんと向田さんの対談映像が延々としゃべり続ける。
見上げたら細い鈍色の塔がそびえていて、長い短冊(ファックス用紙)に綴られた向田さんの言葉(メッセージ)がふわふわと落ちてくるという演出。小泉今日子の声が、向田さんの小説やエッセイを朗読している。
わたしの上に落ちてきた言葉は。
「みんな、なにかを待っているのです。沢山の女たちの何かを待っているという思いがーー夜の空気を重たくしているのかもしれません」(ドラマ、あ、うん)だった。
「おかしな夢を見た。夫が石のお地蔵さと麻雀をしている。地蔵尊は三体である。赤い前垂れをかけて座っている。みんなおだやかな顔で夫に笑いかけている。笑い声は女の声だった。「男眉、思い出トランプ」
思い出トランプのほうは、誰もとらなくて下に落ちていたものをわたしが拾った。
向田さんの本や自室の壁に飾られていた書画、様々な洋服の展示もあった。エルメスのシャツやイブサンローラン、シャネルなどの一流ブランドのものをさりげなく着ておられた。
濃密なイベントだ。向田さんが書き、話し、考え、メモした多くの言葉たちが息をして、動き出し、ここを浮遊し、40年後のコロナ渦にはみ出してきて寄り添ってくれるよう。わたしの皮膚や体の中は向田邦子の言葉でなお浸食されていった。それは幸福であり、ぼやっとした心を刺激し、呼び起こされるような不思議な体験だった。
51年を経ても色褪せない言葉と一人の女流作家の生きた道。誰にも似ていない、大衆に視点をおく、人生を客観的に楽しもうとする言葉。人柄。凛々しさと幸せな笑顔と51歳の書く女の孤独とーー。
屋外に出ると、雨が降り続けていて、突風に背中を押される。表参道がさっきとは違って見えた。いない人の面影を探しそうになる、雑踏と滲む灯りの中に。
向田さんの本には実に色々な人間が登場する。誰も癖がある。欠陥もあるのに活き活きしていて(リアルで)書き手は温かい愛情をもって育て、鋭く描写する。本当に稀有な書き手。
ぼんやり歩いていたらNが近くの地中海料理の店へ誘った。
地中海料理の「cicada(シカダ)」という。
いきなり多国籍な匂い海外のレストランのよう。人が多い。若者も多い。アーバンな雰囲気が落ち着かず、透明ビニールで屋根を覆う屋外ガーデンのような場所へ移動。密集していないところに席を移動させてもらった。海外の人のほうが慎ましく食事をしていた。
騒ぐのは日本人の若いグリープばかりだった。
食べ方といい、素材使いといい、珍しくて、開放にあふれていた。ひよこ豆のディップ、プロシートとハーブをつめたカラマリのロースト。グリーンサラダ、カリフラワーのフライ、地中海の白ワインとともに。アルコールをお腹に入れたらすーっと落ち着いた。



ウーフの青山店を探しまくり、紅茶を2袋買う。
ティータイムは、ピエールエルメの2階のサロンへ。
チョコレートデザートとコーヒーをオーダー。マカロン、アイスクリーム、クッキーなども載ったバラエティあふれる一皿。隣で、ふふ、といいながらパフェをたべているNがうらやましかった。
ガラス窓の外は往来、人もみえる。
「さあ、食べるぞーという時がいちばん幸せ」とN。「人や街をきょろきょろしながら、口に運んでいる時が幸せ」わたし。



ひどく寒い雨の一日だった。
一月の緊急事態宣言中の東京。マスクをつけて、ソーシャルディスタンスを強制される、匂いのない世界。この不自由さがあたり前に慣れることがありませぬようにと、願いつつ。