月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

1月は熱におかされたような混線の渦の中で

2018-01-18 23:38:38 | 今日もいい一日




1月というのは、不思議な出来事が交錯する時です

人は、「お正月」という1年の区切りを迎えることによって、ゆとり・自分にスペースが生まれるのかもしれません。
また年賀状で遠くにいる友人・知人、親戚らと短い手紙を交わしあうからなのでしょうか。
思わぬ人からひょっこりと連絡をもらったり、連絡をとりたくなったり…が劇場をみるように続いています。

大学時代の古い友人(男性)から、近況を知られるメールを3日におよんでもらいました。
同じく大学時代のとても親しかった友人と、毎夜のように長い往復書簡のラインを重ねる日々が続き(25年ぶり)それが支えになっていたり…。

昨晩は、学生時代の友人(あまり親交は深くなかったないけれど)の突然の死を知らせるために、愛媛・松山の友人と電話で話しました。木訥とした話し方、30年の時は一気に埋めることができなくて彼女は少し戸惑っているように思えました。

また約1ヶ月おきに慌ただしいスケジュールの中で顔をみせあっている実家の母が、2週間近く滞在してくれ、生活を共にしました。
(可愛い人に思えた母)

仕事は、1日何本もにギューギューつめてやっきて、その提出日がよりによって全て同じ日とか、あり得ないような状況も。

そして明日は20年来の友達と1年ぶりの再会。
なんだか誰かに操られているようなほど時間軸がこんがらがって不思議さのまっただ中に暮らしているのです。

あまりにめまぐるしいのに、最近は学ぶことや気づくことが多すぎて、そのたびに、心が冬の早朝の空気のように研ぎ澄まされていくのです。

古い友人と連絡をとりあっていると、瞼に映るのは、やはりセピア色のむかしむかしのその人の姿で現れ、
1つの言葉の欠片がスイッチとなって、あの日から今日までのあれこれが一気に駆け抜け、
今こうしてここに居るその意味が本当に合点がつく。

そうして、忘れてしまっていた私の原点(若い無垢な心)を、ふわりと捕まえられて、
対面できるなどという「不思議な現象」もここ1週間あまり起こっていました。

そしてまた。時というのは暴力的なまでにいろいろな出来事をひきおこし、
純粋で素直だったあの子も真剣な目をしたガラス細工のように傷つきやすかったあの子の心も、
折り畳んで現実の日々の時間の渦に閉じこめて、翻弄したりもするのですね。
メールの文面から、電話の声やその息づかいから、とても苦しそうな友人たちが見えた…。

先日。仕事の音声が送られるのを待っていた深夜。
カズオイシグロが、NHKの深夜番組でこんなことを言っているのを耳にし、
テレビの前で立ち止まってしまいました。

「国は、前進するために、結束を守るために、コミュニティが分裂して内戦に陥ったり派閥に分かれたりするのを防ぐために、過去を忘れなければならない時があります」
ノグチイシグロ氏は、自分は過去を忘れるべきか、忘れてはいけないのかを常に迷い、そんな人々を書きたいと思ったというようなことを言っていた。


自分はどこにいるか、どんな人から生まれどんな風に大きくなって、いろいろな出来事や人々や環境のおかげで、
ここにこうして立っていられるのだということを、ふと思い出すのが1月という清々しい神様に近い暦の月なのかもしれません。

もっと前に進むには、走り続けるばかりではなく、時に立ち止まってそして確認することが大事だと今の私にはそう思えています。





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