後期試験の朝はよく晴れていた。
自宅からは少し遠い大学だったので(約2時間)、
お弁当をこしらえた後で、心配になって「JR鶴橋駅」まで送り届けるつもりだった。
ノーメイクに、ジーンズとセーター。そして厚手のコート。
着の身着のままの恰好だったので、大ぶりなマスクを目のすぐ下まで引きのばし、
娘と一緒に電車に揺られた。
そして、結局のところ試験会場まで同行することになったのだった。
倍率は8倍、と新聞の報道である。
前期もぜひこちらを受けるようにと私は推薦したのだが、
「1年間も勉強してきたのだから」、という理由だけで予定どおりの第一志望をうけて、
やはりというか、こうして後期をうける運びになったのである。
センター試験のあとで、思いっきり方向転換して私立の勉強にも励み、
対策を講じていたが
それでもセンターからすぐ10日後の難関私立受験には、
学力的にも精神的にも伸び悩んで
本人としては大いに苦い薬を飲まされての、3月を迎えていた。
だらだらとしていた時期もあった。
がむしゃらの時期もあった。
不合格のハガキも。
しかし、その長いトンネルをくぐりぬけた甲斐あってか後期のこの時期になると、
様々な私立の過去問では、ほぼ3教科8割に達していて、私としてはだいぶ安堵して日々を過ごしていた。
それでも本人は、全くもって不安がぬぐいきれないまま心細くも、
淡々と勉強に励んでいたようであった。
さて、会場に近づくにつれて生徒の姿がどこからともなく増えていって、
入門検査は10人ほどで
格式のある古い校舎のなかに吸い込まれていった。
このあと私もことの成り行きから大学側の説明会とやらに出席して、
お昼をひとりでとったあとで
訪ねたかった「元興寺」へと向かった。
6世紀末、蘇我馬子が飛鳥に建立したこの寺は「ならまち」の名刹で1998年、
世界遺産に登録。極楽堂の西側には日本最古の瓦がのっている。
春霞の空に照り輝いて、神秘的で美しい形状である。明度も、鈍さも
気高くあった。
厳かに、本尊の智光曼荼羅を拝察し、
宝物殿では奈良時代の五重塔や、阿弥陀如来像、南無仏太子像…
ほおずえをつく美しいお姿の如意輪観音を何度もふりかえってみては、ため息をついて、
後半は、茶室にて梅を眺めながら抹茶と干菓子で一服。
このあと須田剋太と棟方志功の版画展をこの寺で眺める機会を得た。
やっぱり奈良はええねえ。全然気張らないし素の自分に戻れる、日本人の古里だ。
ものすごい本物がなにくわぬ顔で、
すぐ近くにいらっしゃって居るのがすごい。
人も時間も、動物たちもゆっくりの歩調で生きているのが自分に合う。
心ここにあらずの奈良旅であったが、
あとに振り返ればきっと、
この日々を回想せずにはいられないだろうな。
いよいよ3時、受験生からメールである。
文学部の国語は、太宰治の小説「盗賊」であったという。
英語は自信あるらしいが、さて
ジェットコースターのように上がり下がりのある現代文は?いかに。
彼女の受験のなかで一番思考力をフル回転させた、
印象に残る試験内容だったようだ。全問記述式でマークは一題もなかったとか。
英語の600字英作文は満点だと胸を張る。
そんな話を聞きながら、興福寺と奈良まちを歩く。
カフェで珈琲を飲み、今西清兵衛で利き酒に付き合ってもらい、
夜は天ぷらを食べて、長い素朴な空気のこの町をあとにした。
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