雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

すい臓がんで寛解する人とそうでない人の違いは何?②

2021-06-23 19:26:07 | 日記

Tさんがもう持たないかもとJさんに聞いた時、遅いかも知れないけれどと、

友だちに聞いた。ご主人は病気がどう発覚してどう治療されたのか?と。

それまではあまりツッコんで友だちのご主人の病気のことは聞かなかったけれど、

藁にもすがる思いだった。Tさんと友だちのご主人は同じすい臓がんだった。

 

友だちのご主人は寛解と言って良いと思う。もう手術から3年経過して、一旦無くなった

髪の毛も又生えて、今では夫婦でゴルフに出掛けたりしている。今のところ転移も無いそうだ。

定期的な検査もスパンが長くなると先日言ってた。本当に良かった。

私たちは年1回の旅行も当時は取りやめて皆で心配して見守ったけれど、旅行もその後

復活した。今はコロナなので行ってないけれど。

何とか無事で、元気になって、とずっと祈ってたけれど、本当に嬉しい。

友だちが幸せなのが嬉しい。

 

その友が、ご主人が民間のコロイドヨードと言うのを飲んだと聞いた。アセトゲニンというのも。

手術の前に抗がん剤を処方してもらい、ガンが小さくなってから?手術したんだったと思う。

それが上手くハマったんだと思う。

どの時にその民間の薬を飲んだのかはわからないが、ダメ元で何でも試したと。

だからそう言ってあげてと。

発覚した時期も違うかも知れない。ガンにもタイプがあるだろう。薬も効く効かないがあるかも

知れない。でも何でも試して、万に一つでも効果があればって思ったけれど、JさんがTさんに

そのことを伝えてくれた時は、もう返事が無かったと。もう遅過ぎたんだ。

亡くなったお知らせはその後速かった。

 

私がJさんに連絡を貰った時は、会社でもまだ一部の人しかTさん亡くなったこと知らないと

聞いていたけれど、昨日Jさんにメールを貰った。

『今週の日曜日に同期一同にメールが配信されて、状況を知らなかった仲間が大半で、

 彼の早すぎる死に皆が驚きを隠せない。同期100名の内、現役含め約半数とのメール

 やり取りが今もありますが、Tくんの早世に驚きのメールで溢れています』と。

それを読むだけで泣けてしまう。

S社さんは、部長まで行った人なら多くは60歳を超えても関連会社に行かれる。それを62歳で

キッパリ退職されるってことは、余程の事情だ。本人病気判ったの年末だとか聞いた。

半年もってない。

 

友はご主人のこと、本当に運が良かったと言うか、治療法がハマったと言うか・・・

強いんだろうねと言っていたが、色んな意味で強いんだね。

何が生死を分ける?判らないよね、誰も。不健康に暮らしていても生き延びる人は居るし、

身体のことを考えて体に良いことをと気を付けてても、必ずしもそれが長生きに繋がるとも

限らない。だったら人は何を目指して何に気を付けて生きて行けばいいのだろう。

 

いわゆる寿命と言われる歳より早く亡くなった方の、残された周りの人の悲しみは勿論だが、

誰より何より、亡くなった本人が一番悲しいに違いない。本人が一番悔しくて心残りだろう。

まだまだやりたいこと有っただろう・・と思う。

空の上の人に思いを馳せながら、地上に居る自分も残された人生、頑張って生きて行くよと

思うしかない。


すい臓がんで寛解する人とそうでない人の違いは何?①

2021-06-23 18:22:20 | 日記

先週、昔のお客様が亡くなったと書いた。ずっと気に掛かって日々過ごしていたが

亡くなったとの連絡を頂いたのが、自分が思っていたものよりあまりにも早くて

急だったので、しばらくは固まった。その方のことは3月に2度程記事にしている。

 

身体も大きく豪快で気前の良い方で、大阪の帝塚山のお坊ちゃまだったS社のTさん。

会社のお給料なんかアテにしていないと言うもっぱらの噂だった。

20年ほど前になると思うが中国に転勤される前に送別会をした時(当方が接待する側)

お高めのワインを次から次へとオーダーされるものだから、私は青くなっていた記憶が

ある(^^;。 中国へも、私は仕事も無いのに遊びに行ったりした。

今回、退職されるので送別会をWebでする。ついては写真と動画を送ってと幹事の方に

頼まれた時は、その中国での写真を送った。ひどい顔で、他の方より長い1分弱の動画も撮った。

退職されるのならと私は、自宅にちょっとお高いワインをお送りした。ワインに目が無い

方なので。すると何と!お礼の電話がかかって来たのだ。今の会社に転職してから、何度か

メールをお送りしても、返事下さらなかったのに、電話なんて!とすんごいびっくりした。

『ま~あ!珍しい人から!おっひさしぶりですっ!』『ほっぺた落ちる様なワインありがとう』

ずっと東京だったので『大阪に帰って来られるんでしょ?又大阪でお食事ご一緒しましょうね』

と言うと『実はオレ、ガンやねん』と言われ、私は驚いたし固まったし返す言葉に困った。

ですぐに、一番仲良しの同じS社のJさんにその旨伝えると『知らんかった・・・』と。

確認されるとごく一部の人しか知らないけれど事実だった。4月になったら手術するらしいと

聞いていたが、その後電話で手術出来なかったんだって・・・と。

 

私は3月の時点で、セカンドオピニオンだのサードオピニオンだのと言う話をしたらJさんは

『Mちゃん(同期はそう呼ぶ)のことだから、最高の医療にかかってるいるよ』と言われ、

そりゃまあそうだろうと思ったが、Jさんが5月にお見舞いに行った時は痩せてたと。

『Jちゃん(同期はそう呼ぶ。あの会社は皆そう)も身体に気ぃ付けなアカンで』と言われたと。

『7月の誕生日までもつかなぁ』とも本人言ってたと。

『又来るよ』とJさんはTさんに言ったが、又行くことがあるだろうか・・とも思ったと。

昔2歳くらいのご子息のことを『オレのコピーやねん』と仰ってた、そのご子息が、奥様と

交替で付きっきりだったらしい。

それから亡くなるまでホント速かった。結局63歳のお誕生日を待たずに亡くなった。

 

私が機械メーカーの営業として仕事をスタートさせた最初に、そのTさんとのお付き合いが

始まった。ボンボンなのでTの買う機械はゴージャスだ、金に糸目をつけないと、もっぱら

社内で言われていたみたいだが、私は新人ながら2億数千万円の案件をやらせてもらったのだ。

それから数十年、未だに1件でその金額を超える受注は私は無い。それ以降、ことあるごとに

目をかけて下さり引き立ててもらった。偉くなっても全く変わらない方だった。

いっつも、業者のパーティーなんかで見かけると『おうっ!〇〇さん!』と気軽に声を掛けて

近付いて来て下さった。業者が競い合ってお客様に挨拶したい会場で、お客様の方から声を

掛けて下さるってのは、ちょっと鼻が高いものだ。

 

長いので続きます。