雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

新年早々着物の整理をし、父を母を想う

2022-01-02 00:36:49 | 日記

新年明けましておめでとうございます。

世界中の多くの人にとって、無事に平和に過ごせる良き一年となればいいなと。

そして心と身体が、長く続くコロナの縛りから少しは解放されればいいなと、そう願っています。

 

よくよく考えれば1年前は、コロナの濃厚接触者と言うことで、年末から年明けまで2週間、自宅待機を

余儀なくされた のだった。

そう思うと1人の元日も、どうってことは無い。31日まで孫たちが居た訳だし、明日は娘夫婦が来るしで、

実質1人は今日だけだ。結構朝早くから目が覚めて、1人で一応お雑煮・黒豆・昆布巻き・ごまめ・蒲鉾等を

頂いた。とっても簡素。ごまめは関西だけの呼び名?田造りとは、魚の大きさが違うのかしらん?

年賀状を見て、出していない人からのが2枚あったので、早速書いてポストに投函。

そして掃除機をかけ、孫たちが使った布団を乾燥機にかけ片付け、バスタオルなどを洗濯。

昨日孫たちが帰った後はしんどくて、そのままだったので。

 

そして上の娘が催促していた振袖を探す。年末、ざっと見た限りでは見つからなかったので、今日は真剣に。

和ダンスを上から順に見て行って、見つかったのだが、ついでに和ダンスの整理をした。

久し振りに たとう紙を開けて1枚ずつ着物を見る。

未だしつけの付いたままのものも何枚か。もう柄が若過ぎて着ることはないだろう。

留袖は、妹が3人のところに嫁ぐと言うので若い柄をと、母は花車の模様を選んだのだった。

自分の兄の時と計4回、その留袖を着た。我が子の時には無理だわねと、その時から思ってた。

喪服が出て来た。袷と単衣の両方。単衣は絽だ。帯も絽?と袷用と。父の時に単衣を着た。

想い出す・・。あの時はあまりの突然にショックで、円形脱毛症になり、体重が5kg減った。

袷も単衣も着たのは一回キリ。母の時は洋装だった。

羽織も何枚も。子どもの卒園式か何かで黒の絵羽織を着たような記憶がある。綺麗な柄だ。

結婚した時に用意してくれた着物は、どれも若い。付け下げ1枚と色無地は、上の娘のところに既に行っている。

普段着用にウールの着物まである。結婚した年の冬は、普段それらを着ていた記憶がある。

母も祖母も着物が好きだった。母は夏の暑い時以外はずっと着物で過ごすほど着物が好きだった。

しかし・・見ていると、勿体無いなぁ・・と。

 

母は亡くなる数年前から、自分の大島や黄八丈などの織の着物?紬と言うかは、全部私用に八掛を変えて

仕立て直ししていた。染の着物は全部姉に。そう言う姉妹の特徴と言うか、好みを考えてのことだったろう。

母のセンスは良い。と思う。私は母の和装も洋装も、母が選ぶ父のネクタイも、全部好きだった。

私が貰った着物も、どれも大好きだ。お洒落であか抜けている。と自分は思う。しかし・・ほとんど着れていない。

着たものは1~2枚。もうかなり長い間着物着ていない。一応1人で着れるので、よく着物で出掛けた時期も

有りはしたが、今はもう全く。悪いなぁと思うけれど。

着物を整理しながら、しみじみと母を想う。結構胸がいっぱいに・・・。

私は自分がしてもらったようには娘たちにはしてやれていない。娘たちも時代が違うこともあって、何も文句は

言わない。そして、私が来た振袖を長女が着て、そしてそれを又孫が着てくれるらしい。新しいものが欲しいとも

言わずに。有難いこと。

孫たちのお宮参りの着物も最早懐かしい。

 

そんな訳で、お正月早々思わぬひと仕事をしてしまった。普段はそんなことしたくても出来ないのだから、

まっいいか。1人静かで穏やかなお正月を過ごしている。

健康で、そして周りに恵まれていることに感謝し、今年も出来ることを精一杯やろうと思う。

みんな仲良くね♡。よろしくね。