雑感 独り善がり

日々の思いや怒りを自分勝手な考えで綴る

心の風邪で若い子が辞めた

2023-02-02 23:27:24 | 仕事

今の会社の離職率は低いと思う。辞める人がほとんどいない。と言うことは居心地がいいのだろうか。

しかし、ごくたま~に心の風邪を引く人が居る。会社を興して30年近くで、3人位?

多いか少ないか判らないけれど。しかしそう言う人たちも回復して又職場に戻って、今は普通に

仕事している。

そんな中、私が結構が可愛がっていた若い男性が1月末で辞めた。とうとう辞めてしまったと言うのが

正しいのか・・・。

 

私が今の会社に入った時、彼は営業で私の先輩だった。その時で入社して2~3年だったのかな。

それまでは社長や先輩の営業に同行したりで、徐々に一人で営業に行き出していた。

担当も持たされていた。私は入ったばかりでしばらくは社長に付いて行ってて、自分も必死で

周りのことや他の人のことを気にする余裕は無かった。そんな日は1年足らずだったけれど。

そんな中、社長や上司が彼を気に掛ける機会が減って行った。そんな頃彼は、難しい案件や

トラブルなどで会社の窓口として矢面に立たされることが増え、しかしながら誰かに聞かなければ

判らないこと(例えば設計とか)や確認しなければ返事出来ないこと等が膨らんで行って、

1人で処理出来ない状態になって行ったのだろう。

とてもおとなしい子で、聞こうと思っても相手が忙しそうにしていると遠慮して聞けなかったり

返事まだ貰えませんか?と問い詰めることも出来なくて、八方ふさがり状態だったみたい。

私みたいに図太い人間は、食らいついてでも相手から必要なこと聞き出すまで引き下がらないが、

それは彼には無理だった。お客様に怒られるようになり、返事が出来ない状態に絶望して、徐々に

出社出来なくなり、下の子どもさんが生まれたことをきっかけに育児休暇と言うことで休みを取った。

数か月後育児休暇が終わり又出社するようになってからも状況は変わらず無断で休むことが多く、

見ていてたまりかねた品質管理部が彼を引き取った。品管においでと。外へ行かなくて済むだろうと。

でも、それから数カ月、品管に行ってからも状況は変わらなかった。

頭のいい子で仕事も早く、仕事ぶりは優秀だった。ビジュアルも性格も良い。お客様からも可愛がられて

いたのだ。なので勿体ない。

私は彼とよく一緒に昼食に出掛けた。『明日一緒にお昼行くから出て来てね。1人にしないでね』と

くぎを刺すと、絶対に休まなかった。だから余計頻繁に声を掛けた。

 

出て来れないのはどこに原因があるのだろう?何がイヤなの?誰か虐める人が居る?などと話したりも

したが、別にこれと言って出て来れない理由がある訳でも無かった。

毎日家は出る。子どもたちを保育園に送り届ける。しかし会社の近くまで来て足が止まる。

『どこに居るの?迎えに行くよっ!』などと、しょっちゅう電話してた。そしてついに品管もさじを

投げた。仕事に支障が出る。突然休まれると予定が立たない。出来上がるつもりが間に合わなくなると。

そりゃそうだろう。もう勘定に入れないと。

 

彼を育てる為に会社は何年もに亘ってお給料を払って来た。勿論彼がして来た仕事への対価だから

当然だけれど。そして彼も何年もに亘ってキャリアを積み上げて来た。それが辞めることに依って

お互いがその大事なものを失うことになる。きつい言い方だけれど、まるっきりの新人・素人を

1人前に育て上げる為に会社は投資しているとも言える。なので育て上げてやっと1人前になり、

さあこれからバリバリ働いてもらおうという時に辞められると、会社のそれまでの投資は

パーになるということだ。7年余りの在籍。

 

一旦雇った人はそう簡単には辞めさせられない。彼がそう言う風になったのは会社の責任もあるのでは?

と思う。だからそれもあって会社もキツいことは言えない。彼の性格も相まって、会社はずっと温情を

掛けて来た。でも同じ状況でも彼みたいにならない人も居るんだよと、そう言う人も。

そりゃそう言われればそうかもだけど・・・。

あいつだけなんで勝手気ままに好きな時間に出て来て好きな様に休むのさ。不公平じゃん。

そう言う声もちらほらあった。有休を使い切っても足りなくて欠勤になる。でも強くは言えない。

それは彼も解っていたみたい。こんな優しい会社は無いよと言うと『解ってます』と。

彼は医者にも掛かっていたし薬も飲んでいると言ってた。何とかしてあげたいと思うけれど、

何も出来るはずもなく・・・。

 

そしてとうとう、業務から引導を渡されたらしい。業務部長が強硬だった。

辞めたくないなら辞めたくないとはっきり言うんだよと私は言ったが、彼はやっぱり”辞めさせられた”

と思っているようだった。

寂しいやん・・一緒にお昼行けなくなるよ と言うと、彼はそれが一番心残りですと。私に対して

良くしてもらったのに申し訳ないと。そんなことはいいねん。でも勿体無いねぇ。会社もあなたもよ。

どーすんのこれから・・幼い子2人抱えて、奥さんも働いているとはいえ、どうするんだろと

心配でならないわ。

 

お互い個人の携帯番号交換したし、気にもかけるだろうけれど、今迄みたいな訳にはいかないよね。

誘ってくれればお昼行きますと言っていたけれど、私ももう今はそんなに頻繁に出社する訳でも無い。

ただただ、まだ若い彼の今後を心配する。だましだましでも良いのでそれなりにやって行ってよね。

心の風邪も急にはそう簡単に良くはならないだろうけれど、少なくともひどくはならないでね。

少しずつでも良くなって欲しい。

心穏やかに平和に、家族一緒に無事過ごせる様にと祈るしかない、悲しい私。


元夫が亡くなった

2023-02-02 19:44:15 | 日記

先週26日木曜日、朝の6時頃に両方の娘から電話があり、別れた元夫が亡くなったことを知った。

昨年春にコケて骨折し、入院したことで身体の検査をされ、骨折どころの騒ぎじゃない程

あちこち内臓が良くないことが解ったらしい。しかしそこまで悪いとも思ってはいなかった。

元義母(元姑)は若い頃に元夫を産んでいて、昨年までとても元気だった。90何歳だったかだが

身体も頭もとっても若く、夫婦別れしてからの1人息子をとても心配していた。

私の娘たちは、おばあちゃんよりお父さんが先に逝くのではないかと、思うほどだった。

しかしその元姑も、突然心臓の調子が悪くなり同じ頃に入院。2人とも救急車で運ばれたこともあり、

別々の病院だった。

その元姑が昨年の夏に信じられないほどあっけなく亡くなった。順番だったね・・・と誰かが言うが、

私は義母が亡くなったことで、元夫も続いてしまうのではないか・・・との思いがあった。

 

夫婦別れしたのはもう40年以上も前。夫婦で居たのはたった9年だった。

別れて以降会ったのは一度か二度くらい。子どものこと以外で話すことも無い。

9年の生活で、何度も別れたいと言う私に、その度に母子して土下座して謝り、周りに説得され私は

何度も仕方なく思い直し、やり直す努力をしようと気を取り直すしか無かった。

あの人の悪行を話せば3日3晩で足りない。言いたいだけ言っていいよと言われれば、今でもきっと

いつまででも喋り続けるだろう。尽きないだろう。そんな人だった。

何度も何度も何度も我慢した私が、ある日突然我慢の糸が切れて、後先考えずに決心した。

働いたことも無い私が、2人の子どもを抱えて生活出来るかどうかなんて、考えも及ばなかった。

それほどもうアカンとなってからは誰が何と言おうとダメだった。親に頼まれ、近くに出張ついでに

説得に来た義兄が『無理です。テコでも動きません』と報告したそうな。

何度も何度も考え抜いて悩んで出した結論に後悔は無かったし、もう迷いも無かった。

私は自由になった!心が晴れ晴れした。その時はそれだけが、ただただ嬉しかった。

後の苦労も知らないで💧

 

子どもたちも良い感情は持っていない。子どもは子どもで私と又違った思いが夫々に在る。

訳あって、私以上に辛い思いをしている。

だけれども、結婚し子どもを持ち、それなりに最低限の付き合いを子どもたちはして来た。

それまででも、おばあちゃんに会いに行くついでに父親にも会ってるし、入院してからは

2人夫々別々にお見舞いにも行っている。

あ、作春の入院後、一旦は回復して退院しているのだけれど、今回お正月過ぎに急に具合が

悪くなって又入院してた。

元夫には妹が3人居る。子どもたちは遠く離れているし、面倒見る気はないので、作春以降

同じ時期に入院した元姑と元夫を、3人の妹たちは夫婦で交代で面倒を見てくれていた。

私は義妹とは普通に話が出来、用事がない限りは話すことも無いが、全くの音信不通と言う状況

では無い。本来ならば子どもたちがしなくてはならないことをして貰ったりはあったので、

私もそれなりにお付き合いをした。

私たち元夫婦は別れてからはどちらも独り身だった。再婚してくれればいいのにと何度も思ったが

それも要らぬお世話よね。

 

元夫が亡くなって考えることはそれなりにある。

あの人は私と結婚して幸せだったと言えるのだろうか。違う人と結婚していたらもっと穏やかで

幸せな人生だったんじゃない?孫も近くに居てくれて・・とか考える。

あの人にはきっと別の幸せがあったと思う。私と結婚したばっかりにねと、ちょっと可哀想に

思ったこともあった。

私は元気で今幸せだと思えるから。

なので関わりが無くなってからも、穏やかに普通に生活して長生きしてくれればと思っていた。

センチメンタルでも嘘でもない。本心。

亡くなったこと、悲しいとかじゃないけれど、ああ・・・力尽きたのね・・・と。

最後はどんなこと考えていたんだろうと。

昔からお酒の好きな人だった。それはずっと変わらず、晩年は食べるよりお酒ばっかりだったらしい。

やせ細っていたと。大きい目と高い鼻のせいで、余計骨ばってガリぶりが目立ったと。

 

ゆっくり休んで。人生お疲れさん。成仏して下さいと、私は祈ってるよ。

亡くなったら良いも悪いも無いんだよ。

そんな訳で、娘夫婦が通夜や葬儀で何日間か留守にする間、私は孫たちの世話をしに行ってた。

孫の感想と言うか捉え方もなかなかのものだった(;^_^A