昨晩に続いて3つ目の記事。書いているうちに寝てしまってた💧
爺様とアイビーさんのコメント読んで思ったこと。
喋るのと同じように文が書けると言う件。よくよく考えればちょっと違うかも。
私は喋る時は多分頭と口が直結していて、頭に浮かんだことは速攻口から出ている(;^_^A
書く時は、あれも言いたいこれも言いたい なので、頭に浮かんだこと書きたいことで、勝手に手が
動いていると言うのが正しいかも。
揉んでとか噛みしめてとか一呼吸おいてとか、そう言うことが喋る時も書く時も全く無いと言っても
いいくらい。そう言う意味では喋るのも書くのもやっぱり同じかな。スピードが違うだけで。
言いたいこと書きたいことが溢れて喋る時も書く時も、多分焦っている私💧 気が急くと言うか。
前に書いたことあったと思うけれど、アメリカに居た時先生に、日本のこと書いてと言われた。
いわゆる作文。で、私は与謝野晶子のことを書いた。情熱の人と。
鉄幹のことなんかも書いたと思うけれど、一番書きたかったのはやはりこれ。
”君死にたまふことなかれ”だ。
昔は戦争に行けば、玉砕せよ!みたいな風潮があったのでは?国の為?天皇陛下万歳?
しかしあの時代、与謝野晶子は何物をも恐れず堂々と、弟に向けて死んではならない、生きて帰って
くるのだよ!と叫んだのだ。そんな勇気?勇敢?な人も居たんだよ、おとなしいと思われている
日本の女性にもね、そして昔なのにね、と言うことを、アメリカ人の先生に解って貰いたい
知ってもらいたいと言う思いだったのだと思う。書いている時はもう夢中でね。
下手な英語でも何でもいいんだから。で、先生。凄く褒めてくれた。とても興味を持ってくれた。
もっと聞かせてと。ああ、言いたいこと伝えたいこと解って貰えたのねと嬉しかった。
私が思うに、言いたいことがいっぱいあって溢れている人の方が、外国語の上達が早いのでは?
と思うんだよね。いわゆるお喋り?日本語で話すのと同じように英語ででも話したい訳。訴えたい訳。
すると何とかしようとワードを探して言い方駆使して自分の思いを伝えようとすると思う。
そうそう、これ自慢と思われると困るのだけれど、私は英語をしゃべる時、日本語で考えてそれを
英語に訳してと言う作業はしない。いきなり英語だ。それは何も自分が英語が喋れると言うことを
言っているのではない。喋れるというレベルではないから(;^_^A もう会話になんかならないから。
何故か解らないが昔から脳がそうだっただけ。なので、喋り出してからえーっと・・と単語が分からなく
なって止まってしまい、”もといっ!”となって言い直したりはしょっちゅうある。言いたいことがあっても
伝え切れない、単語が分からなくなる。なので自分の知っている簡単なワードや言い回しに替えて喋る。
1年位向こうに居たからって、喋れる訳ではない。2年くらい居たら、ある日突然、聞けて喋れての
”その日”が来るなんて、まことしやかに言われたりもしたが、私には”その日”は来なかったから。
何でもそうかも知れないけれど、話すことも書くことも結局は”書きたい””話したい”という”思い”が大きく
関係するかも。そうじゃなければスラスラと言葉も文字も出て来ないのでは?
ブログで書くことが無いと嘆く方もよく見かけるが、書きたいことが無い時は無理に書かなくても
いいと思う。”書きたいこと”こそ、上手く書けるのでは?
あー何が言いたいのか分からなくなった💧。
喋るのと同じように書けると言うのは、思いが溢れて、手が勝手に動くってことかな?
慣れない人が最初の頃に行くには、気位が高くて気難しいヨーロッパとかより、アメリカの方が
おおらかで良いのでは?って思うことかな?
しかしまあ、言ってももう昔だからね。私が知っているリアルアメリカは。
今は又違うかも知れない。