「人は善いことをしながら悪いことをし、悪いことをしながら善いことをする」
これは池波正太郎作品にほぼ共通したテーマで、人間というのは、かように矛盾したもの。
とくにこの藤枝梅安シリーズは、主人公の藤枝梅安(豊川悦司)さんが、裏で針を使って人の命を奪う「仕掛人」を生業としながら、表では同じ針を使って人を救う針医者を生業としている。
梅安さんは表の針医者稼業では、人を救うことにある種の使命感のような情熱を持ち、医者として大変腕が良い。でありながら
裏では人の命を奪っている、この矛盾。
人というものの矛盾をこれほど強く抱えている人もいない。
ただ、殺す相手は「生かしておいちゃあ、世のためにならねえ悪党」に限定するということで、なんとか己を納得させているわけですが、
その点だとて、結局は仕掛人を雇う元締の胸三寸。本当のところは
わからない。
重い映画です。登場人物たちは皆、心に闇を抱えた者ばかり。殺される側はもちろん、殺しを依頼する側にも、単にかわいそうなだけではない、結構な打算があったりして、そう単純な話にはなっていない。
気の弱い善人と思われている人間にも、その心には闇があり、悪人といわれる者の中にも、秘めた純なる思いがある。
そうした人の心の襞を実に丁寧に描いていて、だから
単純な勧善懲悪とは、なり得ない。
いわゆる「悪女」を演じる天海祐希の演技が素晴らしかった。悪い奴に徹した生き方をしながらも、その心の奥底には幼いころの幸せだった思い出があるんです。その悪女が飼っている鳥に込められた深い意味。
これが後々、効いてくるんです。これがなんとも辛い。苦しい。
切ない。
映像も素晴らしかったですね。日本家屋って、障子や襖を締め切ると、昼間でも薄暗いんです。
そこを上手く利用した、光と影のコントラスト。障子から差し込む陽光が、薄暗い室内にいる人物を黒いシルエットとして浮かび上がらせる。これがなんとも、いい。
かつての必殺シリーズの、光と影の映像へのオマージュのような気がして、いいなあと思いましたねえ。
登場人物が皆、闇を抱えた者たちばかりの中、早乙女太一演じる若侍だけは違うんです。
一人の女性を守るために、追手に立ち向かって行く姿は清廉そのもの。他の人たちが闇を強調されているため、この早乙女太一の清廉さが作品の中で一際際立ってくるんですね。
こういう人間もいる、まだまだ世の中捨てたもんじゃないと、なにか安心した気分になるんです。
この早乙女太一演じる若侍と、彼が守る女性を、梅安さんとその相棒の彦次郎(片岡愛之助)が必死になって守ろうとするんです。
面白いですよね。一方では大金を受け取って人の命を奪っておきながら、一方では頼まれもしないのに、一文にもならないのに、人を助けようとする。
矛盾です。でも観客からは、その矛盾が理解できちゃう。そう観客に納得させるような物語に仕上がっている秀逸さね。
梅安さんも彦さんも闇にどっぷり浸かってしまって、もはや後戻りはできない。だからこそ、この清廉な若者たちには、生きて欲しい。
セリフでは特にこんなことは言ってないんです。でもちゃんと伝わるようにできてる。この説明セリフの少なさがまた良い。
最近の映画って、説明セリフが多すぎる気がするんですよね。これは観客の側の読解力が落ちているせいなのかどうか、よくわかりませんが
優れた映画というのは、一々説明セリフを入れなくても、ちゃんと観客に伝わるようにできているものです。特に時代劇は日本特有の文化。
以心伝心。一々説明セリフを入れなくても、映像だけで、物語の展開だけで伝わるようにできてなくちゃダメだし、観客の側も読み取れなきゃダメ。
そういう意味でも、この映画は秀逸です。
重い話ではあるけれど嫌な話ではないし、いくつかの話が重複した展開を見せながらも、最終的には一本の物語に収まっていく脚本の上手さも際立っているし、いわゆる「悪い奴」らはみんなちゃんと死ぬので(笑)、そういう部分のモヤモヤも残らない。エンタテインメント時代劇としても秀逸な出来。
ほぼ文句なしと言って良い。近年稀に見る秀作と言えます。
これはホントに、自信をもってお勧めできます。
観るべし、観るべし
観るべ~し!