昨日は節分でした。
節分に撒く豆は大豆、が常識だとされているらしいですが
いやいや、そんなことはない。
東北では、節分に撒く豆は
【落花生】
と決まっている。決して大豆ではない!
スーパーなどでも、節分用の豆として普通に落花生が売られており、大豆など影も形もない。それが東北の節分の
普通な風景。
奥州藤原氏の拠点、平泉に建つ古刹・中尊寺の節分会で撒かれる豆もやはり、落花生です。
ことほど左様に、東北では節分に撒く豆は落花生と決まっている。決して
炒った大豆ではないのです。
ところ変われば品変わる、ではないですが、常識なんてえものは、地域によって偏りがあったりするものです。
どれが正しいとか、ではない。
ただ違っているのだ、ということ。
出口王仁三郎氏によれば、大豆の炒り豆を撒くというのには、「ノロイ」が込められているのだとか。
それは「炒った豆が芽を出すまで出てくるな!」というノロイで、煎ったというのは普通は芽を出さない。つまり、永遠に出てくるな!というノロイなのだそうな。
遠い昔、悪神たちがある偉大な神を封じ込め、二度と出てこないように掛けた「ノロイ」。
それが大豆の炒り豆を撒くということであり、「鬼」とは悪神どもにとって、鬼のごとくにとても怖い存在である「大神」という意味なのだと、
出口王仁三郎氏は解説しているそうな。
信じる信じないは、あなた次第…ってね(笑)。
さて、「ノロイ」とは漢字で書くと「呪(しゅ)」ですが
「呪」をノロイとみるのは、一面の解釈に過ぎません。別の視点から見れば
「呪」は【コトホギ】となる。
ある視点から見れば「ノロイ」となるものが、別の視点から見れば「コトホギ」ともなる。まっこと
陰陽は表裏一体のもの。
炒った大豆からもし芽がでたら
こんなめでたいことはない。
ところで、落花生の殻を取った中の豆は、ピーナッツですが
ピーナッツというのは、上手くやればおよそ60%くらいの確立で「芽」を出すそうです。
つまり東北では、端から「ノロイ」、「呪」など掛けられてはいないわけです。
東北では、「いつでもどうぞ出てきてください」という意味で
落花生を撒いている?
妄想が過ぎる、かな(笑)。
かつて、悪神どもに幽閉された偉大な神は、どこに閉じ込められたのか。
それは方角で言えば「鬼門」の方角だそうな。
鬼門とは北東方向、つまり
東北なんですよねえ。
なんだか、面白いですねえ。
陰陽座『羅刹』
ちなみに、岩手県の「岩手」って、鬼なんですよ。
県名の由来に鬼が関係している。この鬼って一体
何者、なのでしょうねえ。
鬼じゃ、鬼じゃあ!