和歌山県橋本市橋本 真言宗 中興山 応其寺
橋本の町を開いた応其上人によって1587年に建立。
応其上人は荒れ地を開拓し、紀ノ川に橋を架け(橋本の地名の由来となった)、豊臣秀吉の紀州攻めから高野山を守り、塩市の免許を得たりして近世橋本の基礎を築いた。
本堂や庫裡は江戸時代中期建立。
幕末に十津川郷士が発砲して弾痕が残る山門は1857年(安政4年)建立。
山門に残る弾痕の跡は確認してませんが山門彫刻
11代目 中川理兵衛 銘あり・高野山壇上伽藍大会堂と同じ中川理兵衛末平
前回紹介した松原市称名寺本堂欄間彫刻・私は確認してませんが、情報によると同時代なのでこの11代目理(利)兵衛の彫刻か?
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