和歌山県伊都郡高野町高野山
高野山 真言宗 壇上(場)伽藍 大会堂
安元元年(1175)鳥羽法王の皇女五辻斎院内親王発願によって、父帝の追福のため建立された。
もとは別の場所に建立されていたが、長日不断談義の学堂として治承元年東別所より壇場に移し、蓮華乗院と称するようになる。後にこの論議は衰退し、現在では法会執行の際の集会所的役割を担うようになる。
徳川時代から大法会がある時一山大衆先ずこの堂に会して行列を整えるので大会堂と云う。
現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建された五間四面のお堂で、本尊は阿弥陀如来が奉安され、脇侍(きょうじ)として観世音菩薩、勢至(せいし)菩薩がともにまつられる。(案内板によると再建弘化4年(1847)とある。)
彫刻
刻銘より
11代目彫工
中川理兵エ末平
と確認できる。
浪花彫刻師 中川利兵衛藤原親家の末裔か?
親家から約100年くだるので彫刻での推測はむずかしい。
彫のかんじは、相野・小松に似たもの感じる。
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