有馬の温泉地には、狭い範囲内に神社が数箇所あります。
その内のひとつに境内に源泉が湧いている神社が天神社です。
前回の御厨天神社は、祭神が、大己貴命(大名持命)・少彦名命
この有馬天神社は、学問の神様・菅原道真です。同じ天神社ですが祭神が異なります。が、その昔日本最古の名泉とされ、日本三名泉・日本三大古湯にも数えらている有馬温泉を発見したのが、大己貴命と少彦名命ですので、つながります。
源泉
泉質:含鉄ナトリウム、塩化物強塩高温泉
温度:98.2℃
そう、私のプログは温泉の紹介じゃないので。
本殿(拝殿)・向拝欄間・龍 木鼻・獅子 彫物あり。
銘なし 年代?古いような・・・そう古くないような・・・
その内のひとつに境内に源泉が湧いている神社が天神社です。
前回の御厨天神社は、祭神が、大己貴命(大名持命)・少彦名命
この有馬天神社は、学問の神様・菅原道真です。同じ天神社ですが祭神が異なります。が、その昔日本最古の名泉とされ、日本三名泉・日本三大古湯にも数えらている有馬温泉を発見したのが、大己貴命と少彦名命ですので、つながります。
源泉
泉質:含鉄ナトリウム、塩化物強塩高温泉
温度:98.2℃
そう、私のプログは温泉の紹介じゃないので。
本殿(拝殿)・向拝欄間・龍 木鼻・獅子 彫物あり。
銘なし 年代?古いような・・・そう古くないような・・・
だんじり祭りの日程を土~日曜日に変更しようという議論が再燃しているようですね。
これまで幾度となく検討されては立ち消えてきた問題ですが…実際のところどうなんでしょうね?
日付を固定した現状を、「平日開催」と言うようですが、1年は365日(52週と1日)。つまり、閏年を考えなければ、毎年1日ずつ曜日がずれていく計算になります。少なくとも7年のうち1回は土~日曜日開催が巡ってくるのです。まして金~土曜日や日~月曜日を含めるなら7分の3は(嫌でも)週末がからむ日程になります。
何も毎年が土~日曜日じゃなくったっていいじゃん?
私は単純にそんな風に思っているのですが。
久しぶりのコメントうれしく思います。
私プログさぼりすぎですね、いつも覗いてくれてる方々には恐縮ですが、本業忙しくご了承ください。
祭りの土日論ですか・・・・難しいですね。
あくまで私個人的な希望では、現在のままがうれしいです。
たしかに日中の人手考えると休日でないと又、学生のことも考えると・・となりますが、土日の地車曳行のたいへんなこと。役員は祭りどころではないですし、最近では、必ずしも会社の休日土日じゃなく平日の方も増えているように思いますが、岸和田のように観光祭りになってしまっては、休日もやむなしですが、所詮川面は村まつりですから、私は現行の伝統を守りたいですが、皆様はいかがですか?
さて、土日推進派は「子供も大人も参加しやすくなる」と口を揃えます。確かにお勤めにせよ学生にせよ大半の方は土日がお休みでしょうから、祭りが週末になれば「参加しやすくなる」人が増えることは間違いありません。でも、過去のいろいろなイベントはほとんど休日開催にも関わらず、平日開催の秋祭りと比べて、とりたてて人出が多かったという印象はありません。
ただ、日程に関わらず参加するわたしたち関係者、特に帳箱や世話人といった役付きの方にしてみれば、仕事を休まずに済むにこしたことはありません。しかし、サービス業、外食産業をはじめ、中には週末こそ休みを取りづらい人も少なからずいるはずです。部活に精を出す学生らの中には「平日の練習なら休めるけれど、土日は試合があると休めない」といった声もあるようです。日程を週末に固定するということは、少数派とはいえ、そういった方に大きな負担をかけることになります。
まして、川面周辺の道路事情を考えると、週末日程になった場合のリスクと安全確保のための負担増には計り知れないものがあります。やはり、週末化論には安易に賛同できないなぁ。
私、若中老主要メンバーに再度確認したところ私以外全員週末の方がいいとのことでした。
時代はそう言う流れですね。
週末ならゆったりした祭り(曳行)計画を今後立てていかないといけませんね。
週末化のメリットとデメリットを並べて計ると、週末化の優位は明白です。最終的には、週末化のメリットを優先するか、これまでの伝統・慣習を守るか、といったことが争点になるのでしょう。つまり、だんじり祭りは祭礼日にする方がいいのか、それ以外の日付でも構わないのか、が問題なのです。
私が週末化に賛成しない「本当の理由」は長くなるので、また次の機会に書くとして、もし「だんじり祭りの日程は祭礼日にこだわらない」といった結論が出た時は、10月中旬の土日曜日なんていう中途半端な妥協案を考えず、とことんメリットを追求すべきだと思います。必ず3連休となるハッピーマンディ(例えば、体育の日)前の土日にするとか、子供たちが参加しやすい夏休みにするとか、桜が咲き誇る季節にするとか、ゴールデンウイークにするとか…。秋にこだわらず1年365日の中から、もっとも「誰もが参加しやすい日」を選ぶべきですよね。だって、祭礼日直近の週末を選択した場合のメリットと言えば…何年かに1度「本来の祭礼日に重なることがある」くらいしかありませんから。
伝統や祭りの意味を深く考えたとしても現実参加できなければ、と言うことかと。
子の親になり、子どもこと考え、会社の重要なポストに就き、仕事のこと考えした時に個人として、休日のほうが好ましいとなるのでしょう。
ただ、昔と違い今はみんなで話し合い多数決であれ、決定し、実行することができるようになったので、反対派であっても決まったことは気持ち良く受け入れようと思います。
しかし慣習の多くは絶対的な理由(何が何でもそうでなければならない理由)なんて無いものです。根拠がはっきりしている慣習については、その理由が該当しなくなった時、それに固執する必要はまったくないと思います。例えば、地車から女性を遠避けてきたことは日本の古くからの宗教観によるもので、今の時代にそぐわないことは明白です。また、社会情勢の変化により外圧で変化を余儀なくされる要素もあるでしょう。例えば、道路事情に配慮し、曳行する道路に制限がかかることも仕方ないかもしれません。
しかし、祭礼日、つまり、たいした根拠がないもの、理由がはっきりしないけれど、とにかく伝統的にずっとそうしてきたことを、現代のわたしたちが自主的・自発的に変更することには強い抵抗感を抱きます。理由がないなら変えたって構わないじゃないか、と考える人も少なくないと思いますが、本当は反対ではないでしょうか。
理由はよくわからないけれど、とにかく伝統だからそうしていること。それは今のわたしたちの地車まつりで、あるいはこれから先もずっと地車まつりを続けていく上で、とても大切なことだとわたしは思います。(つづく)
まあ私の場合祭礼日がいつになろうと地車を曳いていると思います。仕事していても手につきませんから。〈笑)
10月22~23日、わたしたちはずっと昔からこの日に地車を曳いてきました。何が何でもこの日でなければならない理由はありません。ずっと昔からこの道を通ってきました。ずっと変わらず地車まつりを続けてきました。何が何でもそうでなければならない理由はありません。でも、わたしたちはずっとその伝統を守ってきました。もし、今まで伝統を守り続けてきたことに「既得権」のようなものがあるとすれば、それはわたしたちが今後も地車まつりを続けていく上で大きな財産になるはずです。
周辺の渋滞は日常的なもので、何も地車だけのせいではないにせよ、それに拍車をかけていることは間違いありません。朝早くから夜遅くまで鐘太鼓が町中を鳴り響くことを不快に思う地域住民の方も少なくないでしょう。誰もが「地車はよき伝統だから、ますます発展してほしい」と願っているわけではないはずです。
でも、わたしたちが生まれるよりずっと前から、わたしたちがこの町で暮らし始めるずっと前から、自動車や鉄道が発明され、普及するよりずっと前から、その道が舗装され、信号がつき、電線が張り巡らされるずっと前から…こうして地車を曳いてきたのです。
伝統だから…。それは単なる言い訳に過ぎません。でも、わたしたちは「それは現代のわたしたちが決めたことではなく、古くからの慣習に倣っている」ことで、道理をたて、正当化し、直接的な責任を回避している側面があるはずです。もし、わたしたちがそれを意識していないとしても、周囲はそう考え、歴史的な伝統行事であるがゆえ許されてきたことが多くあるはずです。
確かにほかの日だって構わないし、違う道を通ったって何の問題もない。地車まつりがなくなったって誰も困るわけではないのです。
日程が平日か休日かのメリット・デメリットを比較する前に、わたしたちが意識していないところで、伝統を守っていることで享受している様々な恩恵を、今一度よく検証すべきだと思います。伝統は、現代のわたしたちが都合で自由に変更できるものではなく、合理的な判断で是非を問うものでもないからこそ伝統なのでは?
何も祭礼日がすべてではありません。でも「なんだ、地車まつりっていつでもよかったのか?」となった次に波及する問題に、「伝統だから」といった後ろ盾は(少なくとも今までのようには)通用しなくなるように思います。
ついでに、敢えてタブーに踏み込んで言わせてもらうなら、神社との関係も然りです。川面の地車は町が所有し、管理するもので、特定の神社や宗教とは一線を画しています。(そういうことになっている?)
しかし、問題になっている祭礼日のことにせよ、宮入にせよ、歴史的に宗教と無関係な行事と言い切れないことは明白です。まして、住民らの意識の中では、「地車は神聖なもの」と感じている人がほとんどなのではないでしょうか?
タテマエを貫くなら「もともと神社とは関係ないんだから、地車まつりの日がいつだって関係ない」ことになりますが、その部分を明確に意思表示してしまうと、ますます地車まつりは一部住民の単なる馬鹿騒ぎ、地車は木製の高価なおもちゃに成り下がってしまうように思えるのです。
当事者であるわたしたちのメリット・デメリットばかりでなく、周囲が地車まつりをどう見ているか? 日程を変更することでその目がどう変わっていくのか? そういったことを(想像力を膨らませて)十分に検討した上で、なお、参加者を増やすことが優先課題だと言うのなら仕方ありません。でも、日程の変更から始まって、切り崩し的に地車まつりの様々な部分にまで合理的な判断が波及する可能性は覚悟しておく必要があると思います。