ぶらり紀行

宝塚市近郊の神社仏閣・祭り山車を中心に訪れた様子をレポート

木之元地蔵尊

2011年03月04日 20時39分19秒 | 社寺まいり
2回目ブログ登場の西宮市名塩木之元にあるお寺・木之元地蔵尊


室町時代の文安2(1445)年に戦に破れこの地で自害した赤松満政とその一族を供養するために建立されたといわれる。
本尊の木ノ元地蔵は、紀伊の木之元、近江の木之元とともに、聖徳太子が鎮護国家のために一本の木から三体の地蔵を作ったといわれ日本三体地蔵のひとつだといわれてます。
この地蔵には火にまつわる伝承があり、安土桃山時代の天正年間(1580年頃)に兵火で寺が焼けた時に地蔵自ら火の中から飛び出して一部焼けただけで済んだので焼け地蔵といわれるようになった。
また、地元に住んでいた川辺音次夫婦が赤ん坊を家に残して裏山に薪をとりに行ったときに家が家事になり、あわてて戻ると燃える家の中で日ごろ信心している木ノ元の地蔵が火の粉を袖で払って赤ん坊を守っていたため、赤ん坊は無事だったが地蔵はやけどをして左の頬と衣にその傷が残っているという事から火伏地蔵と呼ばれる、という民話もある。
その後戦火により本堂は焼けたが地蔵は奇跡的に残っているそうで、秘宝とされ毎年8月14,15日のみ一般公開させるそうです。(西宮観光案内より)

彫物
本堂向拝柱欄間・双龍?か親子龍か
木鼻・ライオン風獅子









彫師・万正 昭和8年



隣接・阿弥陀堂
向拝柱・欄間 獅子







彫師・前川音吉 大阪市市制は明治22年ですからそれ以降の作品です。




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2 コメント

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本堂彫刻の彫物師名 (Unknown)
2012-09-07 05:54:32
本堂向拝彫刻の裏面銘を「万正」と読まれていますが、「方正」では? なお下の文字も「正」に多少疑問も・・・。
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RE本堂彫刻の彫物師名 (あにき)
2012-09-07 09:59:06
ご指摘ありがとうございます。
指摘いただいたとおりですね。
たしかに万でなく方のように見えます。
正もあやしいですね。
雅号かと思うのですがこの彫師ご存知ですか?
江戸彫のような作風に思います。
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