鼻風邪がようやく全快
昨日冬の寒空のもと久々の社寺ぶらり
晴天なり、又気温も10度超え
大阪府内現在東大阪市が中途探索
地図上気になっていた社寺が点在する石切・額田周辺へ
なんちゃってまで行きませんがプチワンゲル状態となりました。
車では行けないお寺が何箇所もあり、当然登山。
よくよく考えると生駒山頂一歩手前。
彫刻の収穫はほぼはずれ、唯一・4代目彫清発見&どっかで見た?龍のかえる股
1月15日は、小正月・旧成人の日のせいか?平日にも関わらず、石切さんは、多数の参拝客で賑わってました。
途中・さすが枚岡神社管内、消防署よりでかい!額田太鼓蔵を目のあたりにして度肝を抜かれる。
でわ、そんな一日の画像
道中数十社まったく彫刻なく興法寺へ
縁起
約1360年前、舒明天皇の頃(629~41年)役行者小角が、堂宇を建立したのを開基とする。その後、元明天皇の頃(707~15年)行基菩薩が栴檀の香木により一刀三礼の千手観音像を刻み本尊とした。815年(弘仁6年)には弘法大師が当山で修行し、歓喜天像を安置、後勧修寺宮の院となり、朝廷より金剛乗院の称を賜った。南北朝時代には南朝方の城塞となり、貞和~観応年間(1345~52年)高師直に寺領を没収され、一山焼失、その後河内国守護となった畠山基国が1393年(明徳4年)に再建するも、応仁の乱で再び焼失した。永禄年間(1558~70年)大西丹後守が修復。江戸時代の寛永年間(1624~44年)亮汰が中興、1916年(大正5年)諸堂宇の大修理が行われ、現在に至っている。
結果的には、興法寺にも彫刻なし。
道中
どっかで見た彫刻
かえる股に龍のみ 木鼻なし
裏面見ると・・・どこか別の場所より移築ぽい。
度肝を抜かれた・額田太鼓蔵
慈光寺へ・・・・・これまた彫刻なし。
収穫 彫清 4世 柳原瑞山 刻銘
詳細アップはもそっと研究して1年後ぐらいかなぁ(笑)
最後に石切さんお参り
まず・石切神社上之宮より
ここの本殿はガラス囲い保存ながら色彩彫刻あり
石切さん
おみやげ
神社前 太田屋さんの紅梅焼 石切名物 滋養珍菓
固焼きまでいかないせんべい・なかなかいけます。少し変わった味。
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