神戸市北区にある太福寺
聖徳太子の御請願によって創建されたといわれる古刹で、昔は浪速国四天王寺の直轄であったそうで、本堂自体は以前別の場所にあったそうです。
太子が三歳の時に疱瘡にかかられたので、乳母や近従と共に当地を訪れられて、疱瘡をはじめとして小児一切の病気封じを願って、山中の滝に打たれて修行された。結願の日の朝方に十一面観音菩薩が夢枕にたたれてからは、病気も急速に治ったので、霊験あらたかなことを喜ばれ、今後も多くの人々にも幸あらんことを祈念して、ここにお寺を開かれた。
当時の建物は、1828(文政11)年の出火によって消失したが、翌年には村民の協力によって現在の太子堂、庫裏などが再建された。太子御三歳の童子像と乳母ニ方像が納められているので、これが聖徳太子ゆかりの古寺といわれるゆえんである。(道場町ふるさと今昔探検・道場町自治会発行より)
ご住職が本堂でない。とおっしゃっていたので太子堂ですかね?
向拝欄間蟇又・飛龍 木鼻・獏 文政12年頃?
まっしゃさん寄稿 たからづか市史研究紀要 第25号本日発売
私は、宝塚市役所にて入手。
さっそく拝見・「川面の町に生まれて」監修あとがきと言った感じですかね。
まっしゃさん毎号寄稿したら?お手伝いします。(笑)
聖徳太子の御請願によって創建されたといわれる古刹で、昔は浪速国四天王寺の直轄であったそうで、本堂自体は以前別の場所にあったそうです。
太子が三歳の時に疱瘡にかかられたので、乳母や近従と共に当地を訪れられて、疱瘡をはじめとして小児一切の病気封じを願って、山中の滝に打たれて修行された。結願の日の朝方に十一面観音菩薩が夢枕にたたれてからは、病気も急速に治ったので、霊験あらたかなことを喜ばれ、今後も多くの人々にも幸あらんことを祈念して、ここにお寺を開かれた。
当時の建物は、1828(文政11)年の出火によって消失したが、翌年には村民の協力によって現在の太子堂、庫裏などが再建された。太子御三歳の童子像と乳母ニ方像が納められているので、これが聖徳太子ゆかりの古寺といわれるゆえんである。(道場町ふるさと今昔探検・道場町自治会発行より)
ご住職が本堂でない。とおっしゃっていたので太子堂ですかね?
向拝欄間蟇又・飛龍 木鼻・獏 文政12年頃?
まっしゃさん寄稿 たからづか市史研究紀要 第25号本日発売
私は、宝塚市役所にて入手。
さっそく拝見・「川面の町に生まれて」監修あとがきと言った感じですかね。
まっしゃさん毎号寄稿したら?お手伝いします。(笑)
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