鴻池より先ほど帰宅しました・・・・・・
鴻池郷によりまともにブログアップできているかどうか?
ご了承ください。(笑)
今年は、名塩地車まつりの日程暦のいたずらにより
例年名塩の祭りの後に川面ですが、名塩があとになりました。
そんな名塩のお寺
西宮市名塩 浄土真宗本願寺派 教行寺(きょうぎょう)名塩御坊ともいう
1475年(文明7)、名塩の村民が蓮如を招いて寺庵を建立したのにはじまる。蓮如は、この寺庵を摂津富田の教行寺にいた子蓮芸に兼帯させ、当寺も教行寺と名づけた。蓮芸の没後、その次男賢勝が跡をつぎ富田教行寺から独立して、寺号も広教寺と改めた。賢勝の孫准超は、豊臣秀吉の養女を妻とし、彼女が没すると、後妻に毛利輝元の孫娘を迎えるなど寺運の興隆をはかり、1617年(元和3)寺基を現在地に拡張移建した。1634年(寛永11)、寺号も教行寺の旧号に復した。
尼崎地域史事典「apedia」参照
彫刻 1617年制作か?
かえる股
獏・獅子・麒麟?
裏面
木鼻
像
手挟み
蓮?菊?牡丹?
その他
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