興福寺は奈良を代表する寺院の1つです。
しかしわずか140数年前、興福寺には1人の僧侶もいなくなり、
五重塔は売りに出されていました。
値段は50円とも25円とも、いや5円ともいわれ、やがて買い手が
つきました、焼いて金具を取るだけの目的で。
しかし類焼を恐れる付近の住民の反対で五重塔は辛うじて生き残る
事が出来ました。(塔を焼く事には異論がなかったのです)
宝蔵は破壊され仏像・経巻・仏具は捨てられ、人々はこわした仏像で
たき火をしたという。
これが今からわずか140数年前、同じ日本人によってなされた行為なのです。
ではなぜこのような悲しむべき状況が生まれたのでしょう。
明治元年の神仏分離令は、仏教を廃するものでは決してなかったのですが
人々は廃仏を志向するものと受け取り、かくして日本全国に廃仏毀釈の
嵐が荒れ狂ったのです・・・・・残念なことがらです。
東金堂
南円堂
五重塔