今回初めて明日香村の撮影にきました。桜の咲く頃に石舞台にと思っていましたが
少し遅かったようです。今後岡寺、橘寺、飛鳥寺、甘樫丘、稲淵、八釣、小墾田宮等に行って見たいと
思っています。
今回初めて明日香村の撮影にきました。桜の咲く頃に石舞台にと思っていましたが
少し遅かったようです。今後岡寺、橘寺、飛鳥寺、甘樫丘、稲淵、八釣、小墾田宮等に行って見たいと
思っています。
平安時代以降、観音信仰の高まりとともに貴族の女性が長谷詣(泊瀬詣)をした事は前日
記載しましたが、泊瀬という地名は、果てる瀬、つまり人が命を終えるところという意味があります。
死というものを、新しい生への出発点だと理解した昔の人にとっては、新しく出発する別の命の誕生の
場所がここだと信じたのでしょう。
平安時代以降、観音信仰の高まりとともに貴族の女性が、京都から何日もかけて詣でました。
長谷詣は平安文学にも著され 「枕の草子」 「源氏物語」 「更級日記」 に長谷詣での場面があります。
観音信仰というのは、女性信仰と近いものがある為、そこに女性たちは親近感をもって安心して
身をゆだねる事が出来たのでしょう。
730年創建といわれ東大寺より古いお寺である。
このお寺に来て楽しみの一つは鐘がつける事である。鐘つき堂の前に 「仏の供養の為
心をこめてついて下さい」 と書いてある。
文献資料によれば平安後期からその名がみえ、創建者として奈良時代後期の藤原一門の
人びとが伝えられている。
拝観者の少ない尼寺と聞き、拝観の電話予約をするが、今年は秋まで拝観出来ないとの事である。
しかたなく興福院への参道、四脚門の大門等を撮影しました。
興福院への参道