スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

スピリチュアルで騙されない為に。

2007年05月28日 | 騙されない為に。
スピリチュアルの事に対して 解らない言葉や聞こえてきた(流れ込んできた)情報の整理の為に スピリチュアル的なことが沢山載っているサイトを
拝見させてもらっています。

玉石混合とはコノ世界だなと面白く見させてもらっています。

私の見た世界もあくまで私が経験したことであり、100人いたら
全ての人が違うという事も理解しますが、
ちょっとチガウンデナイノ?と思うのが 多すぎ。
それでも大きい意味での真理っぽい事を書いているので騙されちゃうんだろうな。

だって、オレオレ詐欺だって、あ、れ、だ、け 世の中的に騒がれて問題になっても いまだに被害額が数億円とか聞くと 「それは騙される方が勉強不足だよ」と
なかば 呆れることもあります。

騙される人達の傾向として

★金を払えば何とかなると思っている
高い金払えば 能力が身につくとか ご利益があるとか オレオレ詐欺も
身内の事件にしたくない心理をついていますよね

★必要以上に 不思議な出来事に興味を持ちすぎている

第6感の項にも 書きましたが、 開く事=すごい事じゃないです。
霊に襲われた時にどうパニックにならずに対処できますか?
トラウマにならずに その後日常生活を送れますか?
精神に変調をきたす事は 周囲の人に迷惑になります。
それのコントロールが出来ないなら なまじっか手出さない方がいいです。

★騙す人の波長とやはり 凸凹が似ている。
狼が羊をねらうのは 羊が狙いやすいから。 凸凹が合致すれば 言わずもがな。

★周囲の人の意見を かたくなに聞かなかったり 本音で話しができる
人達が周囲にいない。

これは、、もう生き方の問題にもよるので、今回のお題とは別になりますが
大抵 間違っているスピリチュアルを探究していれば 傍からみて
「やめときな!」とか「アナタどうかしてるわよ!」って
周囲の人が気がついて 忠告してくるはず。

スピリチュアル的な生き方は 超能力でも超魔術でもなく
人が人として まっとうに生きていく上での考え方みたいな物なので
社会と切り離して考える事自体が スピリッチュアルからかけ離れていると
思います。

もし自分の周囲を見渡して 良い人が離れていくようなら
自分の言動、行動を見直して反省も必要。

カルト宗教の人達は 集団になる事で 周囲からの隔絶の孤独を
隠そうとします。 なので 中に居れば安心という羊達なのです。

スピリチュアル的な 生き方は 周囲との調和が生まれます。


軌道修正の仕方。チェック方法。

2007年05月28日 | スピリチュアル
スピリチュアル的な目覚めは スパイラル状に上がって行きます。
同じところをぐるグルしているように見えたとしても
少しずつではありますが 上昇していくのです。
そのコイルが 密なのか 長いのかは人によります。

そして、モチロン下方修正もあるわけで、
上に行っているつもりで 下に行っていたという事もあるのです。

そんなとき、 自分は 果たして精神修業的に道が誤っていないかどうか?と
どうすれば 確認できるでしょうか?

その方法は、

★ 美しい物、優しい出来事、 自然のやさしさなどに 感動できるかどうか。
★ 人の言葉に対して どう自分が反応したか
★ 目の前が 明るいか 暗いか
★ 姿勢が伸びているか 前かがみになっているか。
★ 新しい物に対しての感性が 良い方に変化しているか
★ 古いものに対して 新しい面を発見できるか
★ 口からガマガエルを出していないか(童話より)
★ 笑顔がつくれるか


簡単に挙げるとこのような感じです。
チェック方法。

副産物、副作用に泣いている時代

2007年05月28日 | スピリチュアル
今の時代、
昔と違い  完全なる善悪の世界ではなくなりました。
全くの善もないし全くの悪もない。

闇金が悪だとしてもそれを必要とする人にすれば 蜘蛛の糸の様なもの。
神の道と言って 戦争を繰り返す宗教。

なぜコノような状態になったのか。

何故戦争と平和が起きるのかのお題と関連するのですが

今の時代は あまりにも対極で生じる”副産物”が多すぎて
それが悪に取って代わっているという事らしいです。

科学の進歩に伴い、公害や奇妙な病気、精神病などが現れる事。
薬が毒にもなるという事。

しかし 切っても切り離せない理由が ”副産物”であるからなのです。
必要悪とでもいうのでしょうか。

だからといって それを野放しにしておく事も出来ません。

どうすればいいのか? 難しいですが 自然の中に身を置いて
自然のもつテクノロジーを利用する事。

心で感じる事を おかしいとか非科学的だと 耳をふさがないこと。

自分で自分の首を絞め、さらに 未来に生まれる子供たちにも
負の遺産”副産物”を 残さぬように、大人が出来る事をするときです。

いや、 幼い子供の方が 何倍も良く知っています。
年齢関係なく、 お互いに聞く耳をもちましょう。



なぜ戦争と平和があるのか

2007年05月28日 | スピリチュアル
根本的な お題。

なぜ 人は平和を求めるのに戦争がなくならないのか。
なぜ 人は豊かさをもとめるのに貧困がなくならないのか?

医療を学んだ人間としては 突拍子も無い事を書くので
ヨタ話としてとらえられても別にかまわないのですが、

人間は 望めば 叶う 様にできています。

そしてその望みが 頭で考えついたか 心(ハート)で考え付いたかで
結果が違ってきます。

頭には 脳があり、 右と左に分かれています。
心(心臓)は 一つです。

この世の法則として 一つのものが生まれれば 対極のものも自然に発生します。
自然に別れてしまうとでもいうのでしょうか。
それにより お互いをひきたてあっているともいえます。
白があるから 黒が黒になりうるので、光が無ければ闇もないし
闇があるから光が光として存在できるのです。

お互いが中庸のバランスをとることが 陰陽のマークでしるされているイメージです。

人が”頭”で 平和を考えたとき、その平和には対極の戦争が生まれます。
人が”心”で 平和を考えた時、 平和はストレートに平和だけが生まれます。

全ての事がそうです。 頭で考えた(サルヂエ)は 副産物として対極の物を
生み出します。
それが 2つの脳を持った人間の 機能なのです。

にわかには信じられないですが 頭で考えた平和では、
人は悲惨な光景や 死に際の覚悟の様な 高揚した気分を実は求めていて
それにより 生への渇望や 生きる事への情熱に変えるという
余計な事をするそうです。

心からの平和を望む気持ちは 死や失う事に対しての恐怖から逃げるための生では
なく、 美しい物、楽しいもの、優しい気持ちなどの美を求める心から発生します。

なので 頭で考えるよりも 心で感じる事が 大切なのです。

だそうです。

地球へ

2007年05月28日 | スピリチュアル
昨日コンビニで 「地球へ」を 買い、初めて読んでみました。
地球へ、、 は私が小学生の時に たしか映画化されて
親戚のオネエチャンがハマって私に説明してくれたのですが
難しすぎて解らなかった 思い出があります。

当時の小学生の頭では 善悪等の単純な話しか理解できなかったのです。

今、その時の思いを捨て、挑んでみました。

「!!!そうそう。その通り・絶対この作者はヴィジョンを見たはず」と
思うくらい 未来の(別次元の事ともいえるかも)
状態を表しています。

精神のチェックとか、そのチェックされるときの 状態とか。

やはり 物事の理解には時間と経験が必要なんですね。

子供の時には わからなかった。