どうも生き方が下手なようで、成功体験が多いというより
失敗の中から学ぶ事が多いです。
そのおかげで 失敗は単なる経験で成功への途中経過なのだと
とってもアッケラカンと思えるようになりました。
そうしたら、 沢山の経験を積んだ方が良いなって。
紆余曲折って悪い意味ではなく とってもいいことを端的に説明している事だと。
沢山の失敗は”ノウハウ”だから、その知識は捨てるべき物ではないし、
取り返しがついて、他人に迷惑のかからないものならば
どんどん 失敗をするほうが深みが増すと思います。
相談を受ける時にも、
「どの道を選べば失敗はないですか?」的に聞かれたり、
「どの人を選べば幸せになりますか?」と聞かれたりする事が多いですが、
ハッキリ言って、そういう事を言っているうちはどの道にも
失敗と感じてしまう事だらけだろうし、
どの失敗も失敗ではないのだという境地にいなかったら
全てに不満を感じて失敗を引き寄せてしまうと思います。
恋愛でも、結婚でも、自分が幸せにしてもらうんではなく、
自分が相手を幸せにするんだくらいの気持ちでないと
どの結婚、恋愛でも不満だらけで次から次へと同じ事の繰り返しをするでしょう。
私は 起こり得る事の状態を説明したり、
相手の性質、本音を読み取ったり、前世を絡めての問題の根本を探ったりする事を
しますが、 最終決定を下す事はありえません。
だって 自分の人生じゃないから。
冷たいようですが、自分が自分で選択していかないと
いつまで ”他人の人生”を生きるのですか?と逆に聞きたくなります。
他人の判断を最高とあがめて生きているなら自分の人生ではないです。
情報として聞く事はいいとしても、最終判断は自分です。
日本人は依存的な性質が強いので、誰か確か(そうな)者や物にすがり、
自分の責任を軽くしたいというのが濃く傾向としてあります。
自分で何か事を起こすというより 傍で見ていて、
さらに 性質が悪いと 傍からヤジだけ飛ばすだけの人も多い。
まずは、自分でやってみなよ。って強く思います。
全てが思い通りに行く事ばかりではないし、
自分も失敗だらけだしなあ。と 心から納得すれば
他人の失敗や 道理のとおらない事に対しても
少しはおおらかな気持ちでいられるのではないかと思います。
お互い様だから。
失敗の中から学ぶ事が多いです。
そのおかげで 失敗は単なる経験で成功への途中経過なのだと
とってもアッケラカンと思えるようになりました。
そうしたら、 沢山の経験を積んだ方が良いなって。
紆余曲折って悪い意味ではなく とってもいいことを端的に説明している事だと。
沢山の失敗は”ノウハウ”だから、その知識は捨てるべき物ではないし、
取り返しがついて、他人に迷惑のかからないものならば
どんどん 失敗をするほうが深みが増すと思います。
相談を受ける時にも、
「どの道を選べば失敗はないですか?」的に聞かれたり、
「どの人を選べば幸せになりますか?」と聞かれたりする事が多いですが、
ハッキリ言って、そういう事を言っているうちはどの道にも
失敗と感じてしまう事だらけだろうし、
どの失敗も失敗ではないのだという境地にいなかったら
全てに不満を感じて失敗を引き寄せてしまうと思います。
恋愛でも、結婚でも、自分が幸せにしてもらうんではなく、
自分が相手を幸せにするんだくらいの気持ちでないと
どの結婚、恋愛でも不満だらけで次から次へと同じ事の繰り返しをするでしょう。
私は 起こり得る事の状態を説明したり、
相手の性質、本音を読み取ったり、前世を絡めての問題の根本を探ったりする事を
しますが、 最終決定を下す事はありえません。
だって 自分の人生じゃないから。
冷たいようですが、自分が自分で選択していかないと
いつまで ”他人の人生”を生きるのですか?と逆に聞きたくなります。
他人の判断を最高とあがめて生きているなら自分の人生ではないです。
情報として聞く事はいいとしても、最終判断は自分です。
日本人は依存的な性質が強いので、誰か確か(そうな)者や物にすがり、
自分の責任を軽くしたいというのが濃く傾向としてあります。
自分で何か事を起こすというより 傍で見ていて、
さらに 性質が悪いと 傍からヤジだけ飛ばすだけの人も多い。
まずは、自分でやってみなよ。って強く思います。
全てが思い通りに行く事ばかりではないし、
自分も失敗だらけだしなあ。と 心から納得すれば
他人の失敗や 道理のとおらない事に対しても
少しはおおらかな気持ちでいられるのではないかと思います。
お互い様だから。