スピリチュアルな体験談

自分で体験した事を書いていきます。不思議な出来事など。
軽口だけれど自然に対しては敬虔な気持ちでいます。

カウンセリングより 自覚と無自覚

2013年04月01日 | スピリチュアル
先日カウンセリングを受けていただいた方のお題より、
多くの人に共通するであろう事を受け取ったのでご本人の了承を得て書きます。
プライベートな事は書きませんが、私自身「そうか」と思った事。

相談者さんはあることについてずっと自分の中にしまいこんで誰にも言えなかった事があったそうです。

まずはじめに、見えてきたこと。
その人は小さい頃はおしゃべりが始まるのも早く、賢い赤ちゃんだということでした。(見えたビジョンより)

これが何の話かな?と思うのですが、次。

大人になって、「小さいころの記憶っていつの頃から覚えている?」という問。

それが 自覚が始まる頃ということでした。
子供は自覚が早く目覚めてしまうと、無自覚な子供や大人の何気ない言葉にとても傷ついてしまうので
その頃に受けた心の傷がトラウマになってしまうということ。
自覚があるということはそれだけ気を配ることができる賢いひとなのですが、
無自覚な人の行動まで先読みしたり、深読みしたりしてとても心が疲れたり、
他人を傷つけないよう、自分の行動を制限してしまったりします。

目立たず消極的な行動をしていれば 誰も傷つけることはないと自分で対処法を作り出してしまったのでしょう。
本来なら能力も高いはずなのに、とてももったいない事です。優しさもアダになります。

こういうことは多々あって、落ちこぼれって言葉は有名ですが 世の中には 浮きこぼれという状態も存在します。
相対的な人数の問題で、周囲よりできない子は落ちこぼれ、出来過ぎて浮いてしまう子は浮きこぼれです。

落ちこぼれを救おうという動きは沢山あります。なぜならば 人間はある条件で 弱いものを助けようという正義感が働くからです。
ある条件というのは、「自分よりも劣っていると認識した対象に対して」です。

自分より優れている、または 優れすぎている対象が メインストリームに乗れずにいても 手を差し伸べる存在とは認識できない様子。

浮きこぼれの子がその能力により気づいてしまう事が多く、無自覚な人の言動行動に傷ついたとしても 理解されにくいようです。

自覚が早く始まった人からみると、無自覚な人の行動は理解不能だったり、自己中心的なルール無用の状態で
反面教師だと認識してしまえば 解決、対処は早くできるのですが、それでも「どうしてあんなこと言うんだろう」とか
「自分はあんなことを言われてしまった」とか「自分が悪いからかもしれない」と
原因は自分にある ように仕向けられたり、自分で納得してしまい がんじがらめになってしまう様子。

年齢性別関係なく、それは 自覚しているか 無自覚か だけなのだ というお答えをチャネリングで頂き、
シンプルな言葉でいうと そうなのかと納得。

自覚している人が無自覚な人の言葉で傷つく必要は ないんだよ。 と言う事。

そこで、小さいころに言葉が早かった→賢い→自覚が早い という流れになっていたということです。

そこで昔の映画 「リトルマンテイト」を思い出しました。

今の日本は 落ちこぼれをどう立ち直らせるか ということには躍起になりますが 浮きこぼれをどう対応するのかと言う事に関して環境が整っていなそうです。

自覚と無自覚。しばらくのお題になりそうです。