もうね、、以前から イライラする話です。
医療関係者の間では生保の人って本当に生保が必要な人ばかりなのか?
という事は昔からお題にのぼる話題だったのですが
最近 2ちゃんねるなんかでは 結構詳しくやってるので
本当のマスコミよりも 真実を言ってるんじゃない?って思うことも
多々あります。
医療費無料なので 結構言いたい放題だったり要求が普通以上なこともしばしば。
普通の患者さんの方がよほどしっかりしてる。
2ちゃんねるは玉石混合だけど、かなり的確な事も話題になる事も多いし。
ただ 人の批判とか悪口とか根も葉もないうわさなんかは
やりすぎ感はありますが。
さておき、 生活保護ってば、出所は私たちの税金であるのに
一旦 国庫に収まった金は 議員やら担当者が懐から配っているとでも勘違いしているのか、国民の総意からは離れて活用されているようにしか思えないですし
こういう事こそ フレキシブルに変更があってしかるべきだと思います。
お金に絡むことには必ず 必ず 裏をかいて利を得ようとするやからがいるわけで
そういう人たちに ダダ漏れなお金をつぎ込むという事は
国の将来のお金も減るし 彼らは何の生産もしないわけだから
国家の収入としても見込めない面倒みなきゃいけない人口なわけだし
ひいては 将来の私たちの子どもたちなどへも ツケが回るという事なのに
こういう事に関して あまり 深く考えない(ようにしている)人たちが
多すぎると思う。
だから 考えてみた。
これは2ちゃんでもよく書かれている事だけれど
☆第三セクターの失敗した保養所などを収容所にして
生活保護(保護ですから)の人たちをまとめて そこで暮らしてもらう。
☆現金は渡さない
☆使用明細がわかるカードを渡す。
こういうとき 人権じんけんって騒ぐ団体がありますが、
保護を受けるという事は それだけハードルが高いのだという事を
キモに命じさせろと思う。
何もせずによそ様から保護を受けられるという事は
それなりの義務をおう責任があるという事。
おにぎり食べたいって亡くなった人がいるという事は大々的に取り上げて
もっと基準を下げろと声高に言うが その何万倍もいるであろう
裏で暗躍する ゴロツキに関しては スルー。
市役所や区役所に行くと 時々 大声で主張されてる 人が居たりしますが
面白くて聞いてると 内容も面白い。 ばっかじゃねーのと思う内容で
どうすれば そういう理論が思い浮かぶんだろうねと その方が面白いです。
さておき、 こういうゴロがいるわけだから 1役所に最低1人は警察官置いていいと思うんです。 民事不介入とはいえ、大声上げる人は尋常じゃないでしょ。
恫喝ですわ。
けど、これもご他聞にもれず 「そんな、可哀想」と同情する声もあるということで、
じゃさ、 募金制にすればいいじゃん。と思うのです。
どうせ国民の税金から一律頂いてるので それを役所通さずに自力で
よそ様からお金を頂戴するという事くらい できるでしょ。
募金箱もって。
昔私の小さい頃には 右や左のだんな様。。っておわん置いた
いかにもな人って 道にいた。そんな時に おばあちゃんに
@可哀想だからお金あげようよ。。って言ったら
「ああいう人は 本当に困ってる人じゃない場合があるよ。そういうのも
見抜きなさい」って言われました。
おばあちゃんは女手ひとつで5人の子供を育て上げた人。
戦時中の一番日本が大変であったろう中で男手も借りず
がんばってがんばった人。だからこそ働く事、
よそ様からお金を頂くことの大変さや辛さも知ってる人。
私が保育園に居たとき、送り迎えをしてくれたおばあちゃんと公園で
遊んでいたとき、身なりの良くないおばあさんがいつもその公園にいました。
うちのおばあちゃんと話をすると、「ウチでご飯たべさせてもらえない」って
言っていたので、女同士、苦しい時代を知っているおばあちゃんは
「タイヤキでも買って食べてね」ってお金を渡しました。
すると、次の日からもずっと「食べさせてもらえない」って
訴えてくるのです。 いい加減おばあちゃんも
「あなたも大変だろうけど、もう少しなんとかなさい」と言うと
「うるさい。おおきなお世話だよ」と。。。。
そのやりとりを小さいながらに横で見ていて 人の心ってどうしてこうなのだろうと心に残ったエピソードです。
外国でも いかにも貧乏な格好して、道端に子供を抱っこして座って
泣きながら お金を乞う女の人かなんかがいるけど、
周囲は冷ややかだし、地元の人が言うには そういうグループで
彼らは働かないでお金をもらおうとしてる。子供をだしにつかって
嫌な奴らだという意見が大半だった。
ただ、小頭症の人がコップもってウロウロしていたときだけは
結構皆さんお金あげてた。 私も小銭を出した。
今の日本は平和ボケやら 豊かな生活ボケによって
助けなくていい人を 手厚く助けすぎたり
本当は声も上げられなくて 遠慮する人ほど行き渡らない現実が多すぎ。
募金で賄えば 可哀想といってる人の一瞬の安息にもなるんじゃないでしょうか。
そして 自分の懐から現金を出せば いかにゆたかボケしている国民でも
その行き先が気になるでしょうし、どう使われているかを考えたりする
いい機会にもなるでしょうし、彼らも自分たちの立ち位置がどういう立場なのかを
きちっと体得するでしょう。
最近では 「コーヒーも喫茶店で飲めない」とか
生活保護受けて感謝こそなく、相手にくってかかるような行動をする
なんとも情け無い要求をする人たちが生保を受けてるのが多い。
そういうのを後ろで援護しているのも、怪しい。
他人を楽させるために税金を納めてるわけじゃないんですけど!!!!
人権無視だという声が上がるなら、勝手に税金をだだ漏れされている日本国民の
権利はどうなのでしょうかと思います。
医療関係者の間では生保の人って本当に生保が必要な人ばかりなのか?
という事は昔からお題にのぼる話題だったのですが
最近 2ちゃんねるなんかでは 結構詳しくやってるので
本当のマスコミよりも 真実を言ってるんじゃない?って思うことも
多々あります。
医療費無料なので 結構言いたい放題だったり要求が普通以上なこともしばしば。
普通の患者さんの方がよほどしっかりしてる。
2ちゃんねるは玉石混合だけど、かなり的確な事も話題になる事も多いし。
ただ 人の批判とか悪口とか根も葉もないうわさなんかは
やりすぎ感はありますが。
さておき、 生活保護ってば、出所は私たちの税金であるのに
一旦 国庫に収まった金は 議員やら担当者が懐から配っているとでも勘違いしているのか、国民の総意からは離れて活用されているようにしか思えないですし
こういう事こそ フレキシブルに変更があってしかるべきだと思います。
お金に絡むことには必ず 必ず 裏をかいて利を得ようとするやからがいるわけで
そういう人たちに ダダ漏れなお金をつぎ込むという事は
国の将来のお金も減るし 彼らは何の生産もしないわけだから
国家の収入としても見込めない面倒みなきゃいけない人口なわけだし
ひいては 将来の私たちの子どもたちなどへも ツケが回るという事なのに
こういう事に関して あまり 深く考えない(ようにしている)人たちが
多すぎると思う。
だから 考えてみた。
これは2ちゃんでもよく書かれている事だけれど
☆第三セクターの失敗した保養所などを収容所にして
生活保護(保護ですから)の人たちをまとめて そこで暮らしてもらう。
☆現金は渡さない
☆使用明細がわかるカードを渡す。
こういうとき 人権じんけんって騒ぐ団体がありますが、
保護を受けるという事は それだけハードルが高いのだという事を
キモに命じさせろと思う。
何もせずによそ様から保護を受けられるという事は
それなりの義務をおう責任があるという事。
おにぎり食べたいって亡くなった人がいるという事は大々的に取り上げて
もっと基準を下げろと声高に言うが その何万倍もいるであろう
裏で暗躍する ゴロツキに関しては スルー。
市役所や区役所に行くと 時々 大声で主張されてる 人が居たりしますが
面白くて聞いてると 内容も面白い。 ばっかじゃねーのと思う内容で
どうすれば そういう理論が思い浮かぶんだろうねと その方が面白いです。
さておき、 こういうゴロがいるわけだから 1役所に最低1人は警察官置いていいと思うんです。 民事不介入とはいえ、大声上げる人は尋常じゃないでしょ。
恫喝ですわ。
けど、これもご他聞にもれず 「そんな、可哀想」と同情する声もあるということで、
じゃさ、 募金制にすればいいじゃん。と思うのです。
どうせ国民の税金から一律頂いてるので それを役所通さずに自力で
よそ様からお金を頂戴するという事くらい できるでしょ。
募金箱もって。
昔私の小さい頃には 右や左のだんな様。。っておわん置いた
いかにもな人って 道にいた。そんな時に おばあちゃんに
@可哀想だからお金あげようよ。。って言ったら
「ああいう人は 本当に困ってる人じゃない場合があるよ。そういうのも
見抜きなさい」って言われました。
おばあちゃんは女手ひとつで5人の子供を育て上げた人。
戦時中の一番日本が大変であったろう中で男手も借りず
がんばってがんばった人。だからこそ働く事、
よそ様からお金を頂くことの大変さや辛さも知ってる人。
私が保育園に居たとき、送り迎えをしてくれたおばあちゃんと公園で
遊んでいたとき、身なりの良くないおばあさんがいつもその公園にいました。
うちのおばあちゃんと話をすると、「ウチでご飯たべさせてもらえない」って
言っていたので、女同士、苦しい時代を知っているおばあちゃんは
「タイヤキでも買って食べてね」ってお金を渡しました。
すると、次の日からもずっと「食べさせてもらえない」って
訴えてくるのです。 いい加減おばあちゃんも
「あなたも大変だろうけど、もう少しなんとかなさい」と言うと
「うるさい。おおきなお世話だよ」と。。。。
そのやりとりを小さいながらに横で見ていて 人の心ってどうしてこうなのだろうと心に残ったエピソードです。
外国でも いかにも貧乏な格好して、道端に子供を抱っこして座って
泣きながら お金を乞う女の人かなんかがいるけど、
周囲は冷ややかだし、地元の人が言うには そういうグループで
彼らは働かないでお金をもらおうとしてる。子供をだしにつかって
嫌な奴らだという意見が大半だった。
ただ、小頭症の人がコップもってウロウロしていたときだけは
結構皆さんお金あげてた。 私も小銭を出した。
今の日本は平和ボケやら 豊かな生活ボケによって
助けなくていい人を 手厚く助けすぎたり
本当は声も上げられなくて 遠慮する人ほど行き渡らない現実が多すぎ。
募金で賄えば 可哀想といってる人の一瞬の安息にもなるんじゃないでしょうか。
そして 自分の懐から現金を出せば いかにゆたかボケしている国民でも
その行き先が気になるでしょうし、どう使われているかを考えたりする
いい機会にもなるでしょうし、彼らも自分たちの立ち位置がどういう立場なのかを
きちっと体得するでしょう。
最近では 「コーヒーも喫茶店で飲めない」とか
生活保護受けて感謝こそなく、相手にくってかかるような行動をする
なんとも情け無い要求をする人たちが生保を受けてるのが多い。
そういうのを後ろで援護しているのも、怪しい。
他人を楽させるために税金を納めてるわけじゃないんですけど!!!!

人権無視だという声が上がるなら、勝手に税金をだだ漏れされている日本国民の
権利はどうなのでしょうかと思います。
いつも興味深く読まさせていただいております。
人権って言葉が隠れ蓑のように使われるのには腹が立ちますね。
きっちり税金払ってる人が馬鹿みたいです。
本当に困ってる人測定器みたいなものがあればいいのになぁ…なんて思ったり。
これからもスピリチュアルなお話、この国についてのお話、楽しみにしています。
本当に困っている人測定器。
本当に親切なひと測定器。
いろんな測定器があって
一目で数値が出たら早いのにと思います。
困っている人を切り捨てろというのではなく
それを利用する蠢くものを
もっとみんな正面から見てみようよとおもいます。