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18 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ハ 山本五十六の無責任発言 」

2021-11-13 09:04:29 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
18 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ハ 山本五十六の無責任発言 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

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2ハ 山本五十六の無責任発言

  山本五十六連合艦隊司令長官は、9月6日、7日の御前会議の15日後の9月22日に、近衛首相から「日米戦での海軍の見通しはどうか」と、たずねられた。
  山本は、「ぜひやれといわれれば、一年か、一年半は多分に暴れて御覧にいれます。その先のことは、まったく保証できません」と、答えた。
  この時、山本大将は対米戦争自体に反対することが、まったくなかった。国の安危を双肩に担っていた連合艦隊司令長官として、無責任なことだった。

  連合艦隊は開戦してから、わずか六カ月に満たない1942(昭和17)年6月はじめに、ミッドウェー作戦を行なって、とうてい日本の国力によって、挽回することができない致命的な敗北を喫した。
  山本が、「一年か、一年半は多分に暴れて御覧にいれます」と語った、安易な見通しが、半年で崩れた。

  山本五十六連合艦隊司令長官は開戦してから、一年四か月後の1943(昭和18)年4月18日に、戦死した。戦死後に元帥の称号が贈られ、国葬が催された。

  昭和天皇は山本の国葬が決定された時に、不興を示され、侍従武官の山縣有光陸軍大佐に、「山本元帥を国葬にしなければならないのかね」と言われて、疑問を呈された。

  政府は前年11月に、野村吉三郎海軍大将を駐米大使に起用していたが、この人選も、的外れだった。
  野村はルーズベルト(FDR)がウッドロー・ウィルソン政権で海軍時間を務めた時に、日本大使館付海軍武官として、1915(大将4)年から三年八ヵ月にわたってワシントンに勤務していた。

  そのあいだに、ルーズベルト(FDR)の知遇を得て、親しい関係にあると信じられており、そのための人選だった。野村は少佐として赴任して、対米中に中佐に進級した。
  だが、ルーズベルト(FDR)大統領は、野村に対して個人的な親しみを、まったくいだいていなかった。これは、日本側の一方的な思い込みでしかなかった。もともとルーズベルト(FDR)は日本に対しても、好意をいだいていなかった。

  そのうえ、野村は英語が苦手だった。野村本人も、英語が不得意だと自認して、相手に意思が通じるまで、同じことを何回か繰り返さなければならないと、述懐している。
  それにもかかわらず、野村はワシントンに着任すると、2月21日にハル国務長官と通訳を連れずに、二人きりで差しで会談した。
  ハルは後に回想録のなかで、この時、野村の英語が「たどたどしく(マージナル)」、何を言っているのか、よくわからなかったと、述べている。
  それでも近衛首相は、まだ、ルーズベルト(FDR)大統領との首脳会談に希望を託していた。

  10月10日に、豊田貞次郎外相がグルー大使を外務省に招いて、野村大使が再三にわたってハル国務長官に対して、日米首脳会談へ向けてアメリカ側の方針を明らかにするように求めてきたのにもかかわらず、要領を得ないでいるが、「時間の要素の関係から、会談の実現を促進することが必要だ」と、訴えた。

  グルー大使はその日の日記に、豊田が「近衛・ルーズベルト(FDR)会談の結果、ある種の取り極めに到達すれば、日本の世論を統制することは比較的容易だ」と語って、「時間の関係から、首脳会談を一日も早く行いたい」と、同じ言葉を繰り返して懇請したと、記している。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

 17 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議 」

2021-11-12 09:29:56 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
17 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

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2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議

  9月6日、7日の両日にわたって、天皇が臨席されて、宮中で御前会議が催された。

  御前会議は、天皇が主催する会議ではなかった。天皇は御前会議では、何らかの発言もされず、意思を表示されないのが、通例となっていた。天皇は議決された議案を、御前会議が終わった後に裁可された。

  御前会議の二日目に、
「一、帝国は自存自衛を全うするため、対米(英蘭)戦争を辞せざる決意のもとに、おおむね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す
二、帝国は、右に並行して米、英に対し外交の手段を尽くして帝国の要求貫徹に努む
三、前号外交に依り十月上旬に至るも尚(なお)我要求を貫徹し得る目途なき場合に於いては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す」
  と、決定された。

  天皇は前日と同じように、「外交が主なのか? 戦争が主であるのか?」と、念を押すように、たずねられた。
  及川(おいかわ)古志郎海相が「重点は、外交にあります」と、答えた。

  すると、天皇が全員が凝視するなかで、懐中からゆっくりと紙片を取り出された。
  天皇が御前会議で発言されることは、異例なことだったので、全員が息を呑んで、見守った。

  天皇は祈るような声で、「よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」と、読み上げられた。よもは四方であるが、全世界の人々が同胞(はらから)であると思うのに、どうして波風がたつのだろうかと嘆かれた。明治天皇の御製(ぎょせい)だった。
  天皇は参席者を見回されて、「この御製は、私がいつも愛好している御歌(みうた)の一つである」と、つけ加えられた。

  近衛首相はその日の夜、日記に「全員恐縮して、しばらくは一言も発するものなし」と、記した。
  天皇が御歌を読み上げられたあとで、永野軍令部総長が発言を求めて起立して、次のように述べた。
「政府側の陳述によりますれば、アメリカの主張に屈服すれば、亡国が必至であるということでありますが、戦うも、また、亡国であるかもしれません。
  すなわち、戦わざれば亡国必至、戦うも、また、亡国を免れないとするならば、戦わずして亡国に委ねることは、身も心も民族にとって、永遠の亡国になりますが、戦って護国の精神に徹するならば、たとえ戦いに勝たずとも、祖国護持の精神がのこって、われわれの子孫は、かならずや再起三起するでありましょう。
  統帥部としては、もとより先刻申し上げましたとおり、あくまでも外交交渉によって目的の貫遂を望むものでありますが、もし、不幸にして開戦と決して、大命が発せられるようなことになりましたならば、勇躍して戦いに赴き、最後の一兵まで戦う覚悟であります。」

  7日の御前会議が終わると、野村大使に対して、その日中に訓令が発せられた。「遅クモ今月25日マデニハ調印ヲ完了スル必要アルトコロ右ハ至難ヲ強イルガ如キモ四囲ノ情勢上絶対ニ致シ方ナキ儀ニ付右トク御了承ノ上日米国交ノ破綻ヲ救ウノ大決意ヲ以テ十全ノ御努力アランコトヲ懇願ス」と、述べていた。

  日本側はアメリカが外交暗号を解読していることを、知らなかった。
  アメリカは日本が焦慮に駆られており、日本が罠にはまろうとしているのに、微笑んだにちがいない。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

 16 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩 」

2021-11-11 09:08:53 | 1-2なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか
16 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩 」

 第2章
 米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い

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2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩

  昭和天皇は日米開戦に至るまで、懊悩された。天皇は一貫して、平和を強く望んでおられ、対米戦争について、深く憂慮されていた。
  天皇は9月5日に、突然、杉山元(はじめ)参謀総長、永野軍令部総長の陸海軍両総長を召した。近衛首相が立ち会った。 

  天皇は両総長に大声で、「絶対に勝てるか」と、たずねられた。
  杉山参謀議長が、「絶対とは申しかねます。しかし、勝てる算があることだけは、申し上げられます。日本としては、半年や一年の平和を得ても、続いて国難が来ることになります」と、申し上げた。

  天皇が杉山に、「日米事起こらば、陸軍として幾許(いくばく)の期間に片付ける確信が、あるか」と、質された。
  杉山が「南方方面だけは、三カ月くらいにて、片付けるつもりであります」と答えた。
  すると天皇は、「杉山は、支那事変勃発時の陸相だった。その時、陸相として「事変は一カ月くらいにて片付く」と申したことを、記憶している。しかるに、四ヵ年の長きにわたり、まだ片付かんではないか」と、詰問された。

  杉山は恐縮して、「支那は奥地が開けて、予定通り作戦を進めることができない」事情を、くどくど申し上げて弁明した。
  すると、天皇が「支那の奥地が広いというのなら、太平洋はもっと広いではないか。どのような確信があって、三カ月というのか」と叱責された。

  杉山が頭を垂れて、黙ってしまった。すると永野が杉山を助けるように発言を求め、「統帥部といたしまして、対局より申し上げます。今日、日米の関係を病人にたとえてみますと、手術するか、しないかの瀬戸際にきております。手術をすれば、非情な危険がございますが、助かる望みがないではございません。統帥部といたしましては、あくまでも外交交渉の成立を希望しますが、不成立の場合は、思い切って手術をしなければならないと、存じます」と、奉答した。

  天皇が、「今日のところ、外交に重点を置くと理解するが、その通りなのか?」と、念を押された。両総長が「その通りでございます」と申し上げて、退出した。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長