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清少納言の恋の場の歌 4.

2022-07-25 11:51:49 | 清少納言の恋の歌
清少納言の恋の場の歌 4.
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版

 (ー3の続き)
 初信の歌だけあって歌がらも引きつくろって(体裁をととのえて)いる。いやらしくないほどの色めかしさと才気はいかにも清少納言らしく、断られた時の用意ももちろんあったはずだ。恋の歌とは一種の挑発なのである。こうして親しくなってのち、ある男はこんなことをいう。

  住吉に詣でて、いととくかへりて来なん、その程ゆめ忘れたまふな、といいたるに

 いづかたに茂りまさると忘れ草住吉ののにながらへてみよ 「清少納言集」(Ⅰ)

 (あなたを忘れる忘れ草など、どこにのこっているのですか。どうぞ「住みよし」という気分のよさそうなところに充分御逗留なさるといいわ) 

 ずいぶん色よい返信であるが、当時の住吉詣は貴人にとっての最大の遊山(ゆさん)、直会(なおらい:神道の儀式の一種で神事の最後に供物やお酒を飲食すること)には浦伝いに江口、神崎も近く楽しみの多い日程が組まれていたであろう。

 それを計算に入れればこの歌にも多少の皮肉はこめられている。「清少納言集」(Ⅱ)の方では下句が「よし住みよしとながらえてみよ」とあってよりわかりやすい。
 「住吉でどんなに遊んで来られても待っていますわ」という寛容さがかえって軽いだろうか。「ゆめ忘れたまふな」という言葉は旅する前にしばらく逢えない歎きとともに女に言いおく常套的なものであったから、女の方も、「言っていらっしゃい」というほどの気楽さでうたっているともいえる。しかし、この歌のような餞別のことばをもらったら男としてはかなり嬉しいにちがいない。

 この項終わり(このあと、藤原実方と清少納言の恋の歌を予定)

清少納言の恋の場の歌 3.

2022-07-24 10:36:00 | 清少納言の恋の歌
清少納言の恋の場の歌 3.
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版

  人を恨みて、さらに物言わじと誓ひてのちにつかわしける
 われながら我がこころをば知らずしてまた逢ひ見じと誓いけるかな 「続後撰集」恋三

 これも相手はかなり親しいお気に入りの男性なのだろう。互いに恨みつらみを言いあう濃い愛情の結末が、もうあなたとは口もきかない。誓って二度と逢わない。などと言って別れた翌日、その人が恋しくなり、あやまりを入れた歌である。素直な歌い方に好感がもてる。「私としたことが、私の本当の心に気がつかず、二度とお逢いするすることはないなどと、何と軽率なことを誓ったのでしょう。ごめんなさい。ぜひ早速にもお逢いしたいものです」という、急転直下の和解の申し入れである。

 「枕草子」で活躍する才気煥発の清少納言とは少し違い、恋に立ちおくれて恨みっぽい心弱さがみえるところがかえって新鮮。しかし、清少納言は恋の場面でも積極的で歯切れがいい方が本領のように思える。自分の方から、「人のもとにはじめてつかはす」というような詞書の歌もある。女から男への恋の初信である。

 たよりある風もや吹くと松風によせて久しき海士(あま)のはし舟 「玉葉集」恋一

  (あなたと交際の道をひらくためによい機会があってほしいと願いながら、それを待っている私は、松島の入江に寄せた小舟のようなもの。もうずいぶん長らく待ちつづけていますのに)

 こんな歌を手にしたのはいったいだれなのだろう。

 続く(この項、次回で終わります。その後、実方と清少納言の恋の歌を予定)

清少納言の恋の場の歌 2.

2022-07-23 10:43:54 | 清少納言の恋の歌
清少納言の恋の場の歌 2.
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版

  たのめたる夜見えざりける男の後にまうできたりけるに
  出で逢わざりければいひわづらいて、つらきことを知ら
  せつるなど、いはせたりければよめる

  よしさらばつらさは我にならひけり頼めて来ぬは誰か教へし 「詞花集」雑上

 「清少納言集」「Ⅰ」の詞書を参考にすると、約束して待たせた夜をすっぽかした男が、その後久しい無沙汰の後やってきて「み心のつらさにならいにける」(あなたがいつも私につらくされるお心のまねをしたんですよ)などといった時の返事になっている。この場面の方がわかりやすいかもしれない。「詞花集」の方では、すっぽかしを味わった後の清少納言が、仕返しのように男に逢ってやらなかったので、「つらい目にあわせるのですね」などと男が欺いた時の歌になる。歌は、「つらい思いを味わうことは私に教えられたと仰しゃる。それなら約束して来ないというすっぽかしは、いったい誰が教えたのですか」というもので、「私は教えない」とすれば、「そんなことをして平気な女などとつき合っておいでなのですか」という皮肉とが二重の物言いになっている問いかけの妙味がある。

 続く(かもしれない)

清少納言の恋の場の歌1.

2022-07-21 13:37:04 | 清少納言の恋の歌
清少納言の恋の場の歌1.
 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~恋する黒髪~ からの抜粋簡略版

  切れのよい文体で綴られた「枕草子」とは対照的に、その歌を集めた「清少納言集」は歯切れがよくない。人ごとならぬ自分の人間関係ともなれば、清少納言といえどもこういうことになるのだろう。

  家集は「私家集大成」に二種類収録されているが、「百人一首」に採られて代表歌となった

 「夜をこめて鳥のそらねにはかるともとよに逢坂の関はゆるさじ」
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 【現代語訳】
まだ夜が明けないうちに、にわとりの鳴き真似をしてだまそうとしても、(中略)、あなたと逢う逢坂の関所は、決して通ることはできないでしょう。
  解説
 ある日の夜、夜更けまで清少納言と話しをした藤原行成は、早々に帰ってしまいました。そして翌朝、言い訳の文を寄こした行成に対して詠んだ歌です。
これだけの歌をとっさに詠み、男性の嘘を指摘する頭の良さはやっぱりずば抜けてるのではないでしょうか。
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などは収録されていない。

  歌数も少なく、「清少納言集」の「Ⅰ」に三十首、同じく「Ⅱ」には四十首、他作もまじるというぐあいであるから、才にまかせて詠み散らし、記録されなかったものも多いだろう。もっとも清少納言は、梨壺の五人と呼ばれ「後撰集」を勅撰した清原元輔の女(むすめ)であったから歌を詠むことにきわめて遠慮があったらしい。「枕草子」に自ら語り、中宮にもそのコンプレックスを冷やかされているから、得意の分野ではなかったようだ。ともかく意外な清少納言がみえてくる恋がらみの日常のことばに触れてみよう。

  清少納言の歌は「後拾遺集」に初出するが、恋の歌は「詞花集」以降に採られている。

  心かはりたる男にいひつかわしける
 わすらるる身はことわりと知りながら思いあへぬはなみだなりけり 「詞花集」恋下

 これは男との情の回復を願っているようにみえる。男に忘れられる、つまり他の女に情を移されてしまうというのは、やはり相当にプライドを傷つけられることである。その男のもとに「わすらるる身はことわり」だといってやるのだから、ずいぶんな低姿勢といわなければならない。清少納言自身の方に非があって「わたしが悪かった」といっているのだ。その上でこの歌の訴えは下句にある。判断として自分の至らなさを自覚しているのに、男に対する情として涙が流れる。流れる涙は男との別れを「思いあへぬ」納得できないでいるのだ。「清少納言集」(Ⅱ)の詞書によれば、この歌には長大な手紙もついていたらしい。よほどその仲を惜しいと思っていたのだろう。もっとも、男女の間が親密になってからのちは、互いにその思いの深さを言い合い、そのはてにはちょっとしたことを恨みあったりするのも、親密さを増すテクニックというところがあったようだ。
 続く(かもしれない)