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36. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ホ 中国には西洋美術館がない 」

2021-09-30 09:10:03 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
36. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ホ 中国には西洋美術館がない 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ホ 中国には西洋美術館がない

  著者は北京の故宮に陳列されている、中国美術品や、台北にある故宮博物院を、何回も見学したが、数万点もある美術品のなかで、心を動かされるような作品が、ほとんどなかった。いや、まったくないと感じた。

  台北の故宮博物館は、蒋介石が大陸から台湾に命からがら、慌てて逃げ込んだ時に、故宮から大量の宝物を奪って、丁寧に梱包したうえで、輸送船に乗せて、持参したものである。そのために、蒋介石のために働いた、多くの末端の将兵や、下級役人たちが、大陸に置き去りにされた。

  故宮に展示されている芸術作品のなかには、翡翠を彫ってつくった、小さな虫があって、何とも滑稽なことに、その前に、拡大レンズ(むしめがね)が置かれている。著者はまるで北京雑技団(サーカス)の曲芸のようなもので、バカバカしいと思った。
  展示されている作品は、すべてといってよいが、皇帝に捧げられたものである。すべてが、作者のものではなく、皇帝のものなのだ。

  日本の茶器や、絵画のように、作者の精神世界を表現したものが、どこにもないのだ。
  芸術は自由な魂によって、創造されるべきものである。ところが、中国には一人ひとりの人間を尊ぶ、土壌がないのだ。

  中国ではあらゆるものが、政治に帰納する。
  今日の中華人民共和国も、中国の三千年にわたる、政治文化がつくったものだ。

  中国について、もう一つ、驚くことがある。
  第二次大戦前にも、中国には上海を中心として、貿易を通じて巨富を手にした、富裕なファミリーがいくつも存在した。
  ところが、今日でも、広い中国大陸に泰西名画(泰西《西の果ての意》西洋。⇔泰東)をはじめとして、西洋美術館が一つも存在していない。

  日本であれば、上野公園の国立西洋美術館や、東京駅八重洲口にあるブリジストン美術館をはじめとして、全国に西洋美術を蒐集した、美術館がある。

  日本は世界的にも、高い評価を受けた洋画家を、数えきれないくほど生んできた。
  日本における洋画の歴史は、遠く室町時代(1392~1573年)まで遡る。

  キリシタンの宣教師が持ち込んだ宗教画を、絵師が模倣して、南蛮絵と呼ばれた。徳川時代に入ると、多くの優れた画家が、西洋画科の手法と、油絵、岩絵具を用いて、絵筆を競った。これらの絵は蘭画とか、紅毛画と呼ばれている。

  ところが、中国ではそのようなことがなかった。
  中華文明だけが、世界で唯一つの真っ当で、偉大な文明であると、思いあがってきたから、西洋美術は夷狄のものとして、見なした。そこで、今日にいたるまで、西洋美術館が一つもないし、日本のように優れた洋画家をうむことがなかった。

  中国文明は、政治、政治、政治ばかりで、息が詰まる。今日にいたるまで、すべて、あらゆるものが、政治に取り込まれる、異常な社会であってきた。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

35. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ニ 公の概念が欠落した儒教 」

2021-09-29 09:19:49 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
35. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ニ 公の概念が欠落した儒教 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ニ 公の概念が欠落した儒教

  本場の中国の儒教に戻ると、孝が何よりも、もっとも大切にするべき徳目となっている。

  孔子の「公羊伝(くようでん)」によれば、父親や、身内が悪事を行った場合には、外に対して、口にしてはならず、隠蔽しなくてはならないと、教えている。
  ある村に、息子がいた。「父が、羊を盗んだ」といって、告発した。
  すると、孔子がこの息子を、「ばか者!」と一喝して、「身内の不祥事を、外に絶対に漏らしてはならない。隠すのが、人の道だ」と、叱った。

  儒教は、孝をもっとも重要な徳目としてきたから、公の概念がすっぽりと欠落している。中国では、公というと、皇帝と朝廷のことであって、日本のように国全体を指しているわけではない。

  中国では、血がつながっている家族と一族共同体か、あるいは仲間集団である、疑似家族共同体が、社会の基本となっている。
  今日の中国では、国慶節や、節目の祝日に当たって、天安門の楼上に並ぶ、習近平国家主席以下の一千万人をこえる中国共産党員が、疑似家族共同体を形成している、排他的な利益集団だ。

  だから、毛沢東から習近平国家主席までが、政権にとって不都合なことを、ひた隠しにしてきたのは、徳に適うことなのだ。

  中国の新幹線が重大な事故を起こした時に、大きな穴を掘って、埋めたのも、儒教の教えに従ったものだった。

  日本では、中国から孝がやってくると、忠がその上にぴょんと乗って、「忠孝」となった。儒教を改良したのだった。
  著者は海外で、日本文化について講演する時に、忠を「パブリック」(公:おおやけ)と訳することにしている。日本では、一族よりも、民族共同体である国を大切にするのだ。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

34. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人 」

2021-09-28 09:43:20 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
34. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人

  本場の中国では、儒教は専制を維持するための、統治イデオロギーだったが、日本に入ってくると、優れた修身道徳哲学となった。

  仏教でも、自動車でも、林檎でも、フランスパンでも、日本に取り入れられると、もとのインド、中国、デトロイト、アメリカ、フランスよりも、はるかに優れたものとなる。

  苺も、よい例だ。苺は幕末にオランダからもたらされたが、今日では、日本の苺が、大きさでも、味わいでも、世界一という、高い評価を受けている。

  儒教は、日本に入ってから、新しい生命を与えられて、素晴らしい人生の指針となり、人間学となっている。

(投稿者補足)以下は、日本での「論語」の解釈、その日本国民全体への教育による理想の人間像育成の流れです。
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  徳川家康は、自ら論語を学ぶだけでなく、武士に論語を学ばせました。江戸時代は、士農工商という身分制度がありましたが、藩校や寺子屋で武士から商人にいたるまで、論語を学んでいたのです。こうして、江戸時代の日本人は、世界で一番識字率が高いと言われているのです。

  その逸話として、1854年に日本と和親条約を結んだペリー提督は、自伝の中で「私は世界をいろいろ航海してきたが、日本人のように落ち着いた華麗さと、威厳を持った国民に出会ったことがない」と記しています。当時の日本人は「論語」に描かれる理想の人間像を求めて、論語を学んでいたのです。

  この日本人の精神を世界に発信したのが、新渡戸稲造です。新渡戸稲造は、1900年に「武士道」という本をアメリカで出版します。原文は、英語で書かれており、世界でベストセラーになりました。当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトも「武士道」を絶賛し、家族、友人、知人に配ったという逸話が残されています。

  そして、日本の経済界をリードした渋沢栄一は、商業道徳を指導する際の拠り所として論語を活用しました。世界の中で日本の商慣行が優れていたのも、渋沢栄一の実践哲学としての「論語と算盤」があったからにほかなりません。
(出所)
かながわ 福祉居住推進機構のHP 理事長談話の抜粋
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参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

33. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ロ 支配階級のための儒教 」

2021-09-27 09:20:19 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
33. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4ロ 支配階級のための儒教 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4ロ 支配階級のための儒教

  孔子が、仁や、義や、恕(じょ:人を許すこと)や、徳などを、もっともらしく説いたが、支配階級の人々とのあいだだけに、適用されるものだった
  儒教の高邁(こうまい:衆にぬきんでてすぐれていること)な徳目は、支配階級の仲間うちだけのものだった。とくに、仁は慈しみ、他者への思いやりを意味している。

  だから、人民であれば、男のもっとも大切なところを、いくら切り取ってもよかったし、空腹をみたすために、いくらでも殺して、食べてしまってもよかった。

  中国では、清朝が崩壊するまで、人民は長いあいだ、「民草」と呼ばれてきた。この言葉は、日本にも輸入されて、使われてきた。
  中国では、民草はいくら刈っても、また、生えてくるものだから、殺しても、煮ても、焼いて、食べてもよい、存在であってきた。

  ところが、日本では、民草は慈しみ、守るべき、対象であってきた。
  中国は、日本のように、万民が人として、それぞれの人生を生きた、文化ではないのだ。

  著者は、孔子が仁を説いているのにかかわらず、宦官制度や、食人習慣を、一度たりとも批判しなかったことに、中国社会のおぞましさを、垣間見た思いがした。

  儒教は、道徳哲学ではない。統治哲学である。
  本場の中国における儒教は、為政者が天下を私有する専制制度のもとで、人々の行いを制禦することによって、いかに権力に奉仕させて、社会を治めるべきか、体系だてた政治イデオロギー(思想傾向)なのだ。著者は、そのように覚った時に、戦慄した。それ以来、著者の中国観が変わることが、なかった。

  そして、古書によれば、孔子は好物として、人肉を発酵調味料に漬けた醤(ひしお)を、毎日、食べていた。孔子がもっとも愛していた弟子だった子路(しろ)は、内乱にあって、敵に食べられてしまっている。
  子路は、孔子の十人の直弟子(じきでし)である。十哲の一人として、有名である。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長

32. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4イ 儒教の矛盾 」

2021-09-26 09:06:16 | 中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか
32. 中国・韓国と日本の違いの原点 「 4イ 儒教の矛盾 」

 儒教の国と神道の国 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
4イ 儒教の矛盾
4ロ 支配階級のための儒教
4ハ 道徳哲学に儒教を変えた日本人
4ニ 公の概念が欠落した儒教
4ホ 中国には西洋美術館がない
4ヘ 女性に自由がない中韓
4 ト 易姓革命が諸悪の根源
4チ 自分の不徳を責める天皇
4リ 美意識に価値を置く日本人
4ヌ 中国は世界で唯一の神話がない国
4ル 日本は女性が最高神
4ヲ 和の文化と神道
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4イ 儒教の矛盾

  儒教が怪しい。胡散臭いものだと、はじめて著者が気づいたのは、大学に進んだころだった。
  著者は、孔子が生きた春秋時代(紀元前770~紀元前403年)について、孔子が出入りしたどの宮廷にも、宦官(かんがん:後述)が多くいたことを知った。春秋時代と呼ばれるのは、孔子の教えを編纂した、儒教の経典の「春秋」から、きている。

  儒教が、美しい言葉を並べて、うわべを飾り立てているが、見せ掛けのものではないかと、思った。

  孔子は、「孝経」のなかで、「髪の毛の一本一本から、膚にいたるまで、親から貰った身体だから、あえて、これをいささかも、傷つけてはならない」と、教えている。
  これは、孔子の多くの教えのなかで、もっとも有名な言葉だろう。儒教のなかで、もっとも重要な教えと、なっている。
  「孝経」は、孔子の十三経の一つで、儒教の根本理念であり、他の基本について、述べた経典である。

  では、孔子がそのように、ほんとうに信じていたのだろうか?
  宦官は、若い男性の生殖器を切除するのだから、残酷きわまりなく、宦官は、皇后や、黄帝の女たちが住む、後宮で執事をつとめたり、身の回りを世話するだけでなく、しばしば、君主の重要な補佐役として、仕えた。

  それにしても、宦官制度は、非道きわまるものだった。
  長いあいだにわたって、麻酔もなかったし、十分な消毒、殺菌も行われなかったから、生殖器を切除する時には、想像を絶する苦痛に、耐えなばならなかった。ほとんどが、生命を失って、生殖機能を奪う宮刑(きゅうけい)を受けた者は、五人に一人ほどしか、生き残らなかったという。

  もっとも、ヨーロッパのキリスト教会にも、1878年まで、宦官(ユーニック=かんがん)が存在した。この年に、ローマ教皇レオ十三世が、宦官制度を廃止した。1878年というと、明治十一年に当たる。日本で、ヨーロッパ文明に憧れている人々は、はたして、この事実を知っているのだろうか?

  そのうえ、中国では、人を食べる食人習慣が、ひろく行われていた。
  豚や、牛や、鶏、犬を食べるように、人肉を何ら罪悪感もともなわずに、口にしていた。
  遠征する軍隊は、携帯食料として、食用人間の群を、連れて行った。敵を捕らえたら、食べてしまった。

  毛沢東が発動した、人民文化大革命(1965~1975年)の時には、紅衛兵たちが、「造反有理」を叫びながら、殺人を働き、その肉を貪(むさぼ)った。何が、文化革命なのか。
  文化大革命は、四十年前のことである。つい、このあいだのことだ。その後、食人習慣がなくなったとは、信じがたい。

  習近平体制になってから、中国では、政権によって、バスを仕立てて、動員された暴徒が、「愛国無罪」を叫びながら、日本資本の工場や、百貨店を襲撃して、破壊し、略奪した。「造反有利」が、「愛国無罪」に、変わっただけのことである。

  儒教は、その後ずっと、中国思想の根幹となってきた。

参考:加瀬英明著「中国人韓国人にはなぜ「心」がないのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長