日本最古の道祖神がある福寿草の里信州沢底  60数年前のセピア色した田舎暮らし 週末田舎暮らしを体験してみませんか?

さわそこ里山資源を活用する会は、間伐されて放置されている木材を簡易製材機で製材し、小屋の材料、看板等に利用しています。

天蚕 

2019年07月04日 20時02分12秒 | 練習

天蚕が溺死、孵化してから穴の隙間から水に落ちて死んでしまいました。生き残りが僅かです。

 自然薯?シオデ?

 

 今から20数年前、木曽に額田王を研究している人から「シオデ」を貰いました。が草に覆われどこかへ行ってしまいました。山アスパラと云われるようです。

蚕の子は毛蚕(ケゴ)1齢、またの名前は蟻蚕(ギサン)、子どもの内は幼蚕(チサン)5齢と云うようです。

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「赤羽焼復活!穴窯構築事業 ~土と炎のフェスティバルin荒神山~」事業企画書

荒神山スポーツ公園がある赤羽は良質の陶土(粘土)があり、江戸末期元治2年(1865年)創業から小松五右衛門らによって陶器の製造が始まりました。日用品である鉢・丼・土瓶・急須・徳利などを近在から隣国にかけて売りさばかれました。慶応元年、製糸工業の繰糸鍋などに使う陶器製造も始まり大正期まで栄えましたが、第2次世界大戦後に廃業しました。

明治以降製糸業が盛んになり、陶製の製糸鍋の制作に転じました。この保存されている窯は、当時11段の糸鍋専用登り窯で、全長27m、幅7mと大規模であり、中央道工事に伴い11段の内5段を荒神山スポーツ公園に移転復元されました。

自然の傾斜面を利用して火の回りを良くし、温度を上げる構造で、「連房式登窯」と言われました。赤羽の粘土は、独特の有機的かつ微妙な仕上がり具合で、「景色」と表現されました。

この登り窯を偲び、制作ボランティアを広く募集して、専門家の指導を受けながら耐火れんがを積み上げて穴窯を完成させます。一方赤羽出身の小松華功氏を招き小学生をはじめとした陶芸教室を開催し、日常使う器を作り完成した穴窯で焼きます。

燃料になるアカマツも、間伐材を集め薪にするイベントを行い、~土と炎のフェスティバルin荒神山~と銘打って3昼夜寝ずの番で焼き上げます。

これを機に瀬戸物リサイクル市や瀬戸物市も、年1回ほど開催できればと期待しています。

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