雨が降って寒い1日でしたが、和楽会の皆さんが出て頂き販売・喫茶を行いました。
午後は町保健福祉推進委員会が、ぬくもりの里で開催されました。
高齢者専門部会長 現状が報告されました。
~問題を家族、個人で抱え込まないこと。それと子どもに、施設に厄介になる。~そんな話をしました。
関ヶ原(上)を読み始めましたら、以前読んだことに気が付き、調べましたら3年前に読んでいました。
福島の復興は?
東日本大震災から8年になろうとしている今、あのテレビに映し出される信じ難い映像、家族・恋人が当然居ただろう夥しい人の死、津波に押し流された家屋・田畑、何も支援も出来ず安穏と生きる自分が居ました。特に福島第2原子発電所の林立する処理水タンク群を見るにつけ、廃炉作業の難しさと帰還後の地域コミュニティー構築の困難さを感じていました。
全国大会への参加は愛媛大会(八幡浜)以来2回目、意のある仲間との再会・交流は知識の習得ばかりでなく、地域での取り組みの励みとなり、また自分の活動へのエネルギーとなります。
復興現場を肌で感じればと、発電所に一番近い常磐線終点の竜田駅プラットホームに立った時、田んぼは区画され、駅舎・道路は復旧し、ダンプカーは埃を巻きあげながら疾走し、作業員は重機を動かしていますが、見る風景は何故かシンと静まった感じでした。楢葉町の木戸駅から歩いて、会場のJ-VILLAGEへ、途中通行止めの立て看板やバリケード、道の駅が仮警察庁舎に、至る所に交通警備員が立哨、稲刈りが終わった田んぼには海鳥が数羽餌を啄んでいました。14
これから先の見えない、長い長い復興事業、そしてそれに続く、住み慣れた地域への帰還への取り組みが行われます。然し8年と云う年月は、生まれた子供が小学2年生に、中学生は二十歳を迎える期間で、“ふるさと”は何処になるのでしょうか。私たちは遠い長野の地から、支援出来る事は限られていますが、おかれた困難な立場を、課題を、悩みを共有して、支援を模索し続けなければなりません。(酔)