有名な故事、「株を守る」。
NHKラジオ高校講座・国語総合を、作業しながら聞いていた。
聞き流していたが、気になる言葉があったので、ホームページよりストリーム学習をした。
宋人有耕田者。田中有株、兎走觸株、折頸而死。
因釋其耒而守株、冀復得兎。
兎不可復得、而身爲宋國笑。
宋人に田を耕やす者有り。田中に株有り、兎走りて株に触れ、頸を折りて死す。
因りて其耒を釈てて株を守り、復兎を得んことを冀ふ。
兎復た得可らずして、身は宋国の笑いと為る。
宋の国の人に、田を耕やす者がいた。
畑の中に、木の切り株があった。
ある日そこへ兎が走ってきて切り株にぶつかり、
首の骨を折って死んでしまった。
そこでこの農夫は自分の耒(すき)を捨てて切り株を見守り、
もう一度兎を得ようとこいねがった。
兎は二度とは手に入れることができず、
彼自身は宋の国じゅうの笑い者になった。
という話。
この故事成語は、古い習慣を守って時勢に応じた処置ができない事と解釈される。
成功した昔のやり方をそのまま持ち込むのではなく、
新しいやり方で人民を治めるのだ。
いつまでも新しいことをしないのは進歩のないこと。
なにもせずに楽をしてウサギを手に入れた、
仕事もしないで株を見守る、間抜けな男の寓話、と言う言葉が耳に入った。
自分の株式運用と重なって見えた。
「株を守る」→「株式を見守る」→「株式投資で、株価を見守る」
という流れで考えた。
株式運用は『濡れ手で粟』と思われる。
なにもせず楽をして、利益(ウサギ)を得るようなものだ。
だが買った銘柄の株価を見ていても、思い通りに行かない。
必ずしも値上がりするとは限らないし、利益を得ることができるとも言えない。
値下がりし損失をこうむることだって有り得る。
株式運用で「株を守る」のは、決して単純ではない。
と、いろいろ思考した。