真田信繁自筆の書状原本見つかる 三重の収集家が古書店で発見
この発見は関心が高い今だからこそのグッドタイミング!
「幸村」ではなく、やはり「信繫」なんですね。
大河ドラマで、今まで聞きなれない「信繫」なので、放送開始当初は「信繫」って一体誰だ?
と首を傾げていたけれど、
近年の研究で真実の名が死ぬまで「信繫」だと判明し、その積りで最近まで大河を見てきた。
数回前、意味もなく突然「幸村」を名乗りだし、不思議な展開になった。
ドラマの一貫性が損なわれた。
一気に拍子抜けがし、完全にしらけてしまった。
それならば、しらけついでに、自分だったらどんな展開で「幸村」を名乗り始めるかを想像した。
二つ考えた。
一つは、「信繫」が秀吉を尊敬していたのは十分承知している。
定説では、秀吉のご恩に報いるために大坂の陣で豊臣方についたと言われているが、
近年の研究では、九度山に隠棲していた折、秀頼からお声がかかったことをとても感謝し、
秀頼への恩義を深く感じて、豊臣方についたそうだ。
だから、大坂の陣で出陣する前に秀頼自らが「信繫」に向かって改名を勧め、
信繫の父・昌幸は家康に負けない戦をしてきたので、
「昌幸」の一字を頂いて戦の前に「幸村」と命名せよ、という筋書きにしたらどうだろうか?
もう一つは、敵・家康が出陣の前夜、夢の中で「信繫」と戦い、追い詰められ、幻影にうなされ思わずなぜか「幸村!」と叫び夢から目覚める。
大坂の陣で家康が「信繫」を「幸村」と思い込み、そこから「幸村」となる、
という展開はどうだろうか?
敵の大将・家康が「幸村」を命名するのだ。
こんなバカバカしいことは、起こるはずがない。
やはり、いずれも愚かな案だなあ・・・。
「信繫」を「幸村」に改名するのは、事実と反するから湾曲した風変わりな筋書きのドラマになってしまうなあ。
『真田丸』で無理やりとってつけたように「幸村」を名乗らなくても、良かったのではないかとつくづく思う。
しかもクジで名前を決めるなんて、絶対に有り得ない!
家康が命名することだって、当然あるはずがないのだが。
この大河ドラマ『真田丸』では、当初の筋を通して欲しかった。
何度もくどいようだが、「幸村」は登場しないほうが一番良かったと思っている。