あすか塾

「あすか俳句会」の楽しい俳句鑑賞・批評の合評・学習会
講師 武良竜彦

九月あすかの会秀句 兼題「澄む 積」   2024年9.27

2024-10-01 11:31:26 | あすかの会 2024年・令和6年

  九月あすかの会秀句 兼題「澄む 積」   2024年9.27

 

 野木桃花主宰の句

目鼻あるトーテムポール秋気澄む

新涼の澄みし空気に包まれる

積年の夢が叶ふ日涼新た

フルートの音色澄みく望の月

 

 野木主宰特選

籾袋積み込む蔵や窓一つ    市 子

  武良竜彦特選

諍ひはなかったことに石榴の実 孝 子

  秀句  選の多かった順 

木道に硬き靴音秋気澄む         尚     最高得点句

 今日の月空の広さを上りけり      さき子    準高得点句

 

消印は積丹岬鳥渡る          悦 子

歩荷積む荷の高々と秋の空        尚

 

透析の血の色澄みし後の月       かづひろ

災禍なほ止まぬ列島草ひばり      英 子

かなかなの声の限りの句読点      さき子

星澄むやライヴの火照りより出でて   ひとみ

 

暮れなづむ神田古書店秋の色      悦 子

まつすぐに置くや涼しき紙と筆     悦 子  

秋の澄むこの郷生れ替りても      市 子

逆しまに揺らめく湖景水澄めり     英 子

 

澄む水の川音尖る谿深し        礼 子

秋雲の風に散らされラブの文字     礼 子

面積の公式さらふ休暇明        礼 子

一葉義経末路語るかに        英 子

河原石積んで竈に芋煮会         尚

この径の終点は何処真葛原       玲 子

積み上る瓦礫に秋の大夕焼       玲 子 

木道に色なき風の岐れゆく       典 子

積ん読の机辺のあたり秋気満つ     孝 子

積雲の折り重なりて野分前       都 子

 

秋澄むや山間の村過疎進む       市 子

風よけて休むや新藁積む陰に      市 子

強力へ積荷を分けて鰯雲        かづひろ

湧水の音澄み切って鰯雲        かづひろ

行商にもとめしぼた餅居待月      かづひろ

松虫を門外不出の古刹かな       さき子

灯火親し吾積ん読に成り果てぬ     さき子

廃城の石積む隙間苔の花        英 子

船底に石積む帆掛け秋時雨       典 子

娘来て芋煮馳走になろうとは      典 子

誰ぞ積むケルン撫でゆく秋の風     典 子

鰯雲遺跡の上に建つ校舎        玲 子

魁夷見て庭園巡る水の秋        玲 子

ゲリラ豪雨過ぐ虫の音の高らかに    ひとみ

左右荷を持ち替えて秋没日       ひとみ

積読の嵩より一つ秋灯し        ひとみ

秋うらら定期満期の通知来る      礼 子

敬老会一際高く澄んだ声        礼 子

油照コンクリートジャングル人を呑む  都 子

パリ五輪人力競ふ秋の空        都 子

皓皓と空を澄ませて盆の月       都 子

大皿に猫の足跡秋日和         悦 子

秋澄めりどこやらの児の無き騒ぐ    孝 子

稚の名を尋きつ訊かれつ盆の家     孝 子

 

参考 ゲスト参加 武良竜彦

秋澄むや我が身に刻む戦禍あり

この星はかぐやの流刑地夕月夜

秋の河原石を積みては父母のため 

過失なら赦せますかと曼珠沙華     

 

講話 あすか塾 65

和讃「賽の河原の石積」は生諸事のあわれ・日本人の仏教的心性の原型

 

人が死んで冥土の旅に出た後、三途の川の手前にある河原に至る。それが賽の河原
親よりも先に死ぬと、賽の河原に行き、石積みをしなければならないという俗信があった。根拠は『法華経』の「童子戲聚沙爲佛塔」和訳「童子の戯れに沙(すな)を聚(あつ)と塔を為す」である。これを元に鎌倉時代の法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶、貞慶(じょうけい)が作った『賽の河原和讃』。

      ☆

〇 その冒頭

帰命頂礼 世の中の 定め難きは無常り。

※「帰命頂礼(きみょうちょうらい)」仏に信順し,仏の足を自分の頭に戴き礼拝すること。仏教の

最敬礼。仏に祈念するとき,その初めに唱える語。


親に先立つ有様に 諸事のあわれをとどめたり。

※この一文で、この和讃が人生の苦難の比喩であることを示している。

一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子(おさなご)

母の乳房を放れては 賽の河原に集まりて

昼の三時の間には 大石運びて塚につく。


夜の三時の間には 小石を拾いて塔を積む。

一重(ひとえ)積んでは父の為

二重(ふたえ)積んでは母の為

三重(みえ)積んでは西を向き

しきみほどなる手を合わせ 

郷里の兄弟わがためと

あらいたわしや幼子は 

泣く泣く石を運ぶなり。

     

〇 賽の河原和讃の教えの意味

 この世は無情の世界であることの比喩で、ここでの子の受難劇は人生の比喩。

 親よりも子供が先に死んでしまうという設定は、自分や親兄弟を見舞う災難の典型的な例示。その中に自分の行いの報いの意味も秘められている。

 子供は死後(人生の最中)賽の河原という疑似地獄に行き、「一重積んでは父の為、二重積んでは母の為」と石を積んで仏塔を作る。朝六時間、夜六時間、泣きながら石を運び続けねばならず、石にすれた手足がただれ、指から血がしたたり、体が鮮血に染まる。その苦しさに、
「お父さーん、お母さーん、助けてー どうして助けてくれないのー」
とその場に崩れ、突っ伏して泣くことになる。

 すると、獄卒のがにらみつけ、
「なんだお前のその塔は。ゆがんでいて汚いな。そんなもので功徳になると思うのか。
早く積み直して成仏を願え」
と怒鳴りつけ、せっかく作った塔を鉄の杖やムチで壊してしまう。

 このように毎日十二時間、石を積んでは崩され、石を積んでは崩され、これをいつ果てるともなく繰り返すことになる。母親のお腹に宿ってから十ヶ月、両親に様々な心配をかけ、大変な苦しみに耐えて、血肉を分けてこの世に産んでくださったのに、親孝行もせずに先立ち、両親を悲しみ苦しませたのは、恐ろしい五逆罪である。

 悲しみ苦しませた父親の涙は火の雨となり、母親の涙は氷のつぶてとなって、やがて自らにふり注いでくる。近づくと両親の姿はたちまち消え失せて、河の水は炎となって燃え上がり、身を焼く。

 

〇 賽の河原の石積みの和讃は、この世の苦しみの比喩 そこからの解脱へ

 人は毎日朝から晩まで汗水たらして働いている。生き地獄である。

 目標を達成しても次の目標がある。和歌にもこう詠まれている。

越えなばと 思いし峰に 来てみれば なお行く先は 山路なりけり

 それは、果てしなく続いて、これで終わったということはない。

 どこまで行っても、心からの安心も満足もなく、汗と涙で築いたものが色あせ崩れる悲劇を繰り返し、人生を終わって行く。

 果てしなく繰り返す賽の河原の石積みは、私たちの人生の姿である。

 それは親不孝、兄弟不幸、我欲の結果である。それを改めなさい、ということ。

 それを自覚して心の地獄から脱出しないさいという教えの和讃である。

 

 

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