過ぎたるは猶及ばざるがごとし
子貢 問う、
師と商とは 孰れか賢れる。
子 日わく、
師や過ぎたり、商や及ばず。
日わく
然らば即ち 師は愈れるか。
子 日わく、
過ぎたるは猶及ばざるがごとし。
シコウ トウ、
シト ショウトハ イズレカ マサレル。
シ ノタマワク、
シヤ スギタリ、ショウヤ オヨバズ。
イワク、
シカラバ スナワチ シハ マサレルカ。
シ ノタマワク、
スギタルハ ナオ オヨバザルガゴトシ。
現代語訳
子貢が 尋ねた。
「師(子張)と商(子夏)と、どちらが優れていますか」
先生は おしゃった。
「師は 過ぎており、商は 及ばない」と。
「そうであるならば、子張のほうが
優れていると いうことですか」と子貢が尋ねると、
先生は、
「過ぎていることも、及ばないことも
どちらも同じだ」と お答えになった。
参照
仲庸の大切さを説いた、
論語の中でも 有名な章句ですね。
やりすぎてもダメ、やらなすぎてもダメ、
物事における 取組のあり方を示したものです。
バランスのよい人に なりたいですね。
曽子 日わく、
君子は文を以て 友を会し、
友を以て 仁を輔く。
ソウシ イワク、
クンシハブンヲモッテ、トモヲカイシ、
トモヲモッテ ジンヲタスク。
現代語訳
曽子が 言った。
「君子は(詩書楽などの古典の)学習のために
友人を集め、彼らと共に学ぶことによって、
仁の徳を磨くことができたのだ。」
参照
いろいろなことを真剣に 学んでいると、
同じようにがんばっている人に出会うことができます。
志を共にした仲間と一緒に、
理想に 近づいていけたらいいですね。
真剣に 学んでいると、
そこに 自然と仁も育まれていくものです。
※ 仲庸(チュウヨウ)について、少し調べました。
仲庸とは、かたよることのない 中の道。
孔子が 最高の徳として説いた概念です。
子貢は、問答に よく登場しますね。
この論語の ⑲㉓㉘㉙にも・・・
一を聞いて以て十を知る。や
この 過ぎたるは猶及ばざるがごとし。
言語に 秀でてたからでしょうね・・・。
子貢は弁舌に優れ、魯や斉の国の 宰相を
歴任したともされてます。
商才にも恵まれ、孔子門下で 最も富を築きました。
※ 宰相(サイショウ)とは、
君子を補佐した 最高位の官職です。
曽子は 論語⑱にも 登場しています。
次の章句にも出ていますので・・・その時に。