「 沁みる夜汽車の物語 」鉄道と人が紡ぐ奇跡と感動の実話
2月に読んだ「 沁みる夜汽車の物語 」第2弾です。10話の鉄道にまつわる物語です。 図書館で借りてきました。
~~~~~ネタバレあり
第1話は、今から50年以上前に、お見合いで結婚が決まった女性が、大阪から山県の彼の実家まで挨拶に行く話です。
大雪の日で、電車は新潟から大阪に戻ることになり、「 やり切れませんね 」と、困っていると、隣の男性客が「 槍は切るもんじゃなく通すものですよ。あなたもやり通しなさい 」
東京を経由して2日かかり、6本の電車を乗り継いて目的地に着きます。その後、結婚して、色々あったけれどあの大雪の日を教訓に乗り越えてきた。
〔 方向音痴で独りで電車に乗れない私は、きっと破談だったでしょうね。〕
第2話は、ステージ4の胃がんで手術したが体調が戻らず、早期退職した男性が、無人駅の咲かない桜を再び満開にさせる話。
妻の「 桜が咲かないとさびしいわね 」の言葉と、樹木医の「 手当をすればきっとまた咲く 」の言葉に励まされ、サクラの世話をして自分の体力も回復。
第3話は、子供のころから鉄道好きの少年が、回り道をしながらも、念願だった運転手になった話。 初志貫徹!
第4話は、昭和30~40年代の高度成長期のさなか、上野駅に「 集団就職列車 」に乗り、東北から上京してきた少年の話。
16歳からお世話になった町工場の社長から教えられた3原則「 母校に感謝・産んでくれた親に感謝・故郷の青森に感謝 」
真面目に働き出世して家庭を持って立派に子供を育て上げ、時々上野に来て故郷に思いをはせている。
〔 あの頃の金の卵と言われた人たちは、きっと皆さん苦労をされた事でしょう。今の子供達には想像もつかないだろうが。私も、母校や親や故郷に感謝が足りないんだな 〕
第5話は、元中学校教師が、退職後、荒れ果てた無人駅を愛犬と共に十数年黙々と掃除を続け再生した話。
第6話は、新幹線の第一号を運転した運転士の努力と、家族の協力と苦労話。
第7話は、当時5歳の少年の家は、家庭を顧みず女性を作り母につらく当たる父親と、何時も泣いている母親がいて暗かった。
そんなある日、母と電車で出かけ、いつもと違う雰囲気の母と海まで行った。 悪い予感がして「 母ちゃん、チンチン電車に乗って帰ろう 」
母は、涙をポロリと流して少年を抱きしめて、戻った。
少年は大学を出て、公務員になって母に報告すると、母は「 生きててよかった 」と言った。 チンチン電車にたすけられた。
〔 死んだら何もかも終わり。 本当に生きててよかったね。辛いことはいつか終わる。生きていれば笑える日が来るよ 〕
第8話は、駅の立ち食いそば屋の弥生軒の社長と従業員の心温まる話。 山下清画伯もアルバイトをしていて、のちに包装紙を書いている。
第9話は、千葉県から東京へ行商専用列車に乗って50年間、自分の畑で採れた野菜を売りに行った女性の話。
〔 今はなくなりましたが、昔、大きな荷物を背負った行商のおばさん達が電車に乗っていたのを思い出しました。〕
第10話は、廃線の危機を迎えた路線を、数々のアイデアで立ち直らせた運転士の話。
30代とはいえハードな毎日。「 うんと疲れた ・すごくしんどい 」と、言うようになり、突然死してしまう。
多くの人たちが彼の意思を継ぎ、彼がやり残した仕事を実現させた。
~~~~~~
一話二話と書いているうちに、すべて書いてしまいました。
鉄道は余り興味もなく、思い出もありませんが、ここに登場する人達の思いには心沁みました。
何か自分の好きなことに打ち込む姿は素晴らしい。 人それぞれ歴史ありで、自分史が書けますね。
ぽちっと、ひと押しお願いします。
にほんブログ村
ありがとうございます。
2月に読んだ「 沁みる夜汽車の物語 」第2弾です。10話の鉄道にまつわる物語です。 図書館で借りてきました。
~~~~~ネタバレあり
第1話は、今から50年以上前に、お見合いで結婚が決まった女性が、大阪から山県の彼の実家まで挨拶に行く話です。
大雪の日で、電車は新潟から大阪に戻ることになり、「 やり切れませんね 」と、困っていると、隣の男性客が「 槍は切るもんじゃなく通すものですよ。あなたもやり通しなさい 」
東京を経由して2日かかり、6本の電車を乗り継いて目的地に着きます。その後、結婚して、色々あったけれどあの大雪の日を教訓に乗り越えてきた。
〔 方向音痴で独りで電車に乗れない私は、きっと破談だったでしょうね。〕
第2話は、ステージ4の胃がんで手術したが体調が戻らず、早期退職した男性が、無人駅の咲かない桜を再び満開にさせる話。
妻の「 桜が咲かないとさびしいわね 」の言葉と、樹木医の「 手当をすればきっとまた咲く 」の言葉に励まされ、サクラの世話をして自分の体力も回復。
第3話は、子供のころから鉄道好きの少年が、回り道をしながらも、念願だった運転手になった話。 初志貫徹!
第4話は、昭和30~40年代の高度成長期のさなか、上野駅に「 集団就職列車 」に乗り、東北から上京してきた少年の話。
16歳からお世話になった町工場の社長から教えられた3原則「 母校に感謝・産んでくれた親に感謝・故郷の青森に感謝 」
真面目に働き出世して家庭を持って立派に子供を育て上げ、時々上野に来て故郷に思いをはせている。
〔 あの頃の金の卵と言われた人たちは、きっと皆さん苦労をされた事でしょう。今の子供達には想像もつかないだろうが。私も、母校や親や故郷に感謝が足りないんだな 〕
第5話は、元中学校教師が、退職後、荒れ果てた無人駅を愛犬と共に十数年黙々と掃除を続け再生した話。
第6話は、新幹線の第一号を運転した運転士の努力と、家族の協力と苦労話。
第7話は、当時5歳の少年の家は、家庭を顧みず女性を作り母につらく当たる父親と、何時も泣いている母親がいて暗かった。
そんなある日、母と電車で出かけ、いつもと違う雰囲気の母と海まで行った。 悪い予感がして「 母ちゃん、チンチン電車に乗って帰ろう 」
母は、涙をポロリと流して少年を抱きしめて、戻った。
少年は大学を出て、公務員になって母に報告すると、母は「 生きててよかった 」と言った。 チンチン電車にたすけられた。
〔 死んだら何もかも終わり。 本当に生きててよかったね。辛いことはいつか終わる。生きていれば笑える日が来るよ 〕
第8話は、駅の立ち食いそば屋の弥生軒の社長と従業員の心温まる話。 山下清画伯もアルバイトをしていて、のちに包装紙を書いている。
第9話は、千葉県から東京へ行商専用列車に乗って50年間、自分の畑で採れた野菜を売りに行った女性の話。
〔 今はなくなりましたが、昔、大きな荷物を背負った行商のおばさん達が電車に乗っていたのを思い出しました。〕
第10話は、廃線の危機を迎えた路線を、数々のアイデアで立ち直らせた運転士の話。
30代とはいえハードな毎日。「 うんと疲れた ・すごくしんどい 」と、言うようになり、突然死してしまう。
多くの人たちが彼の意思を継ぎ、彼がやり残した仕事を実現させた。
~~~~~~
一話二話と書いているうちに、すべて書いてしまいました。
鉄道は余り興味もなく、思い出もありませんが、ここに登場する人達の思いには心沁みました。
何か自分の好きなことに打ち込む姿は素晴らしい。 人それぞれ歴史ありで、自分史が書けますね。
ぽちっと、ひと押しお願いします。
にほんブログ村
ありがとうございます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます