
箴言集 「地獄に堕ちないための言葉」 大川隆法 著
「地獄に堕ちないための言葉」④ この世の机とか、肩書きを取り除いたあなたは、一体何者か。
コメント
定年になった後の自分は、名刺になんと記載するか?と同じ質問でしょうね。ただ真面目に生きたは、悪人ではないですが魂の向上には役立っていません。世のため人の為に尽くした(例えば、地域の安全や発展に努力した)ならば、人は寄ってきます。寂しくはないですね。
肩書があり出世の道が続くならば、脂ぎった生き方になるでしょう。肩書がなくなれば、一挙に人間関係も途絶えます。威張っていた人(我欲に走っていた人)ほど、人は寄りつきません。また仕事一筋で家庭を顧みなかった場合や地域の人間関係を無視した人達は、寂しい人生になります。
あとはOBのつながりがあれば、声がかかりますが、なければ、自分は一体何をしてきたのだろう?と疑問の日々になります。
これは痴ほう症予備軍になりますね。
ここでの問題提起は、肩書や知名度などは、あの世での価値にならないのです。かえって邪魔なものになります。この世の価値にしがみついていた人達への警告なのです。魂の存在を少しも考えなかった人たちの警告なのです。
生きたいた時に、世のため人の為に尽くしたことが、魂の存在価値にプラスされます。ただし、自分の欲望を満たすためにした慈善行為は偽善者であり、その人の心は真っ黒でマイナスであり別です。
与える愛に生きたか、奪う愛に生きたかが、天国か地獄の判定になります。
もし、自分は何者かが分からない場合は、恩返しの人生にしましょう。
我欲をすてて感謝の実践をするのです。