理想国家日本の条件 さんより転載です。
「言外の意味」が汲み取れなくなる…?
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647
「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来より
抜粋
「コスパ」を求める若者たち
2つめの背景は、コスパ(コストパフォーマンス)を求める人が増えたこと。
倍速視聴・10秒飛ばしする人が追求しているのは、「時間的コスパ」だ。
フォロワー数十万人を誇る、あるビジネス系インフルエンサーが、Twitterで映画の倍速視聴を公言したときも、そこについたリプは「コスパが良くなっていい」といった好意的な意見が多くを占めた。
彼らは映画やドラマの視聴を、速読のようなものと捉えているのかもしれない。彼らは速読と同じく、訓練によって映像作品を「速く」「効率的に」体験できると考えている(速読が書物の堪能度・理解度を阻害するか、しないかの議論は、ここではしないでおく)。
しかし、ビジネス書ならともかく、なぜ映像作品にまで「コスパ」を求めるのか。なぜそこまでして、効率を求めるのか。「話題作についていきたい」だけでは、動機としてはやや不足に思える。
仕事で大学生たちと交流の機会があるという、あるマーケターの方の言葉に、そのヒントがあった。
中略
「飛ばした10秒」の中にあるもの
10秒飛ばししたり、倍速視聴したりする人たちは、物語を追いかけるのに必要な情報は、必ずセリフやナレーションで与えられるものだと信じきっている、ように見える。
しかし、映像表現とは、本来そうではないはずだ。
誰もいない部屋に、氷が溶けきってない飲みかけのウイスキーグラスがあれば、それは「それを飲んでいた人間が立ち去ってから、まだあまり時間が経っていない」ことを表している。妻のいる自宅に夫が帰ってきても、「ただいま」「おかえり」が交わされなければ、その夫婦がうまくていっていないことが暗に示されている。ある小道具が“必要以上に長く”映されていれば、その小道具は物語上なんらかの意味を担っている。
画面に写っている美しい自然や人の営みそのものを「ただ堪能する」のも、映像作品の醍醐味だ。ディズニーランドでは、乗り物に乗っていなくても、パーク内にただいるだけで楽しい。あるいは絵画鑑賞のように、撮影された対象物の美しい配置・構図・色合いをじっくり眺め、それらがどんなテーマの比喩になっているかに思考をめぐらせる。
しかし、10秒飛ばしや倍速視聴では、それらを汲み取りきれない。アトラクションからアトラクションの移動時に目隠しをされては、夢の国を堪能したとは言えない。自転車で美術館内を回るのは、芸術鑑賞ではない。
こういう話をすると、「うるさいな。細かいことはいいから、とにかくストーリーがわかれば、それでいいんだ」と言い返す人がいる。なるほど。
しかし、百歩譲って「ストーリーさえわかればいい」のだとしても、その飛ばした「10秒」の中に、ストーリー上重要な伏線になるカットが一瞬だけ挟まれていないと、なぜ観る前から断言できるのだろう。彼らはエスパーなのか。あるいは、「数秒後に何も起こらないことくらい、その直前の状況から簡単に予想できる」と踏んでいるのだろうか。
だとすれば、映像作品も随分となめられたものである。なめられて当然の作品があることも、否定はできないが。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81647
・無駄と思ったり、 寄り道したときに経験した中に、意外に学びが多く
後で大切な智慧になってるって事も多々あります・・