海岸辺りと平野に続く場所で有感地震(立っていられないほどの揺れの場合)があったら
高台か4階(20m)以上のビル屋上に避難すべし。
とにかく逃げることです。
ただし、揺れている最中は動けません。揺れが収まったら即避難です。
産経ニュースより
避難できなかった? 大川小の悲劇
東日本大震災から1年3か月以上経った今年7月、宮城県石 巻市立大川小学校の教職員の遺体が市内で発見、本人と確認された。死者・行方不明者あわせて84人にのぼる児童と教職員の犠牲者を出した同小学校の避難行 動をめぐっては、遺族有志が石巻市教育員会に対し、納得できる説明を今も求め続けている。悲劇の傷跡はまだ生々しい。適切な準備、適切な判断、適切な避難 行動ができれば、助かる命があったかもしれないー遺族、関係者ならずともそう思いたくなる惨劇だった。
震災後に被災地を十数回も訪ねて津波の調査を行う歴史地震・津波学者の都司嘉宣建築研究所特別客員研究員は、産経新聞に連載中の「温故地震」で、津波避難の検証と実践的な対策に言及している。
「大川小の悲劇」に都司さんは当初、なぜ校舎の裏山に登らなかったのかと疑問を抱いたが、現場を見て氷解したという。裏山は傾斜角45度の急斜面、大人が 草をつかんで登るのもやっとだが、震災当日は斜面が雪に覆われていた。避難させたくともできなかったのだろうと推論した。そのうえで、都司さんは「斜面を 楽に登っていけるような、ジグザグの津波避難路を設けておくべきだった」との考えを示している。
想定をあてにするな 「地震即避難」
一方、1000人以上の死者・行方不明者を出した岩手県 釜石市では、市内の小中学校児童・生徒のほぼ全員が無事避難し、「釜石の奇跡」と賞賛された。背景に2003年から同市で学校現場などで地道に津波防災教 育を実践してきた片田敏孝群馬大学大学院教授の存在があった。奇跡でなく教育の賜物だったこの取り組みで、片田教授は「地震が起きたらとにかく逃げるこ と」を強調してきた。
片田教授の信念は、波の高さの予報やハザードマップ(被害想定図)などの想定情報を鵜呑みにしないことにある。
「自然現象は人間の意思など無視して迫ってきます。子供たちには『ハザードマップを信じるな』とあえて逆説的なことをいって『地震、即避難』を徹底してい ました。ある小学校では、全員が避難を完了してから大津波警報を聞いています。犠牲者は逃げなかったか、逃げ遅れたから亡くなった。これは厳然たる事 実。(略)どのような情報であれ、人は都合のいいように解釈してしまう傾向があります。情報はなくても命は助かるということを釜石の子供たちは示してくれ た」(産経新聞「話の肖像画」から)
大切なことは、学んだ知識と日ごろの訓練に基づく各自の判断。判断に迷ったら「少しでも早く、遠くに逃げること」であり、それしか津波から逃げる方法はないのだ。
避難は必ず徒歩で 車はNG
想定以上の津波に襲われ、全力で高台などに避難しても、波にのまれる危険がある。そんなとき、備えておきたいのは救命胴衣とヘルメットだ。
津波学者の都司さんは、「高台の津波避難場所には、想定される避難人数に応じた救命胴衣とヘルメットを用意した小屋を作っておくこと」を提唱している。
救 命胴衣があれば万一、津波にのまれても水面に浮かんでいられる。ただし、海の転落事故と違い、激流に襲われる津波の場合は車や家屋のがれきなど危険物も周 囲に漂流し、水面に浮かんでも安心できない。そこで、ヘルメットをかぶっていれば、多少の漂流物にぶつかっても衝撃を避けられる。
また、今回の津波避難の教訓で悩ましいのは、車による避難の是非だ。
片田教授らは釜石市の津波避難実態調査の結果、車で避難途中に津波に流された人や渋滞に巻き込まれた人が少なくなかったという。車でないと逃げられない高 齢者や障害者らを考えると全否定できないが、基本的に車の避難はかえって危険と認識すべきである。社会的弱者が逃げ遅れないよう地域で車による避難のルー ルづくりが望まれる。
一方、究極の津波避難策は「津波シェルター」だ。外見は球形やドラム缶状などさまざまだが、内部に数人収容して漂流し、救助を待つというもの。費用は数十万円から100万円以上するものまであって安くないうえ、置き場所に余裕があれば検討する価値はあるかもしれない。