あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「病の時に読む言葉」㉔ 初恋の人を思い出せるか。

2025-02-09 08:51:32 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㉔ 初恋の人を思い出せるか。

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 初恋の時期は、親から養ってもらっている時です。働かなくても良いし、養う相手もいない、まるで天国にすんでいるような時期です。言い換えれば、責任を持たなくても良い時期でもありますね。
 一人前の人生になったら、この責任ができるようになったことになります。責任を果たすことに懸命になっていると、無責任に生きていた初恋の人を忘れます。しかし、純粋な心で好きになった自分の発見ができるのは、初恋の人を思い出す時です。
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「病の時に読む言葉」㉓ この世に異性が存在したことに感謝しよう。

2025-02-08 08:33:34 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㉓ この世に異性が存在したことに感謝しよう。

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 人間には寿命があります。だから種族の保存として男女があり性欲がセットとなっています。カタツムリみたいに雌雄同体ならば種族の保存ができます。
人間に異性がなければカタツムリのように、異性の事を考えなくて済み、子供は気が向けばいつでも埋める体になっているはずですね。
 異性が存在することにより、異性へのあこがれや、好きになる感情が発生する喜びがあります。性欲により結婚があり家族を作って維持する喜びがあります。
しかし、多くの場合、異性へ思いが届かない場合や、嫌われる場合がありますね。思春期になると喜びどころか苦しみがを経験するのが常です。この相手の考えが分からないがゆえに、自分の悪い所を探す考えが芽生えます。なぜ?と考える事が増えるのです。自分の思い通りにならないことを経験するのです。
 大切なことは、思い通りにならないからこそ、そこに智慧がうまれるのです。人間きらいになる原因にもなりますが、何とかうまくいかないかと考える所に希望があり、工夫をする努力が芽生えるのです。この努力こそが、人間の魂を磨くことになるのです。
 つまり、魂を磨く一番の存在が異性になる訳なのです。
 カタツムリは、時期がくれば子孫を排せつするだけです。深く考える機能は不要ですね。本当は、カタツムリにも魂があり、敵に見つからずに餌を探すことだけでも、この世に生まれた魂の磨きになるのです。魂の発展のための一つのステップとして存在しているのですね。
 異性が存在するというのは、一段と高い魂の磨きをせよとの、神様の慈悲になるんです。感謝をすれば、磨きが成功となるのですね。
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「病の時に読む言葉」㉒ 自分より優れた人が、たくさんいてくれたから、この社会は繁栄したのだと思おう。

2025-02-07 09:01:18 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㉒ 自分より優れた人が、たくさんいてくれたから、この社会は繁栄したのだと思おう。

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 社会というものは、個人が互いに助け合って成立する集合体です。互いに反発し合う個人ならば、集合体にはなりません。ゆえに、個人同士が離れれば済むが、離れる場所がなければ争いになって、どちらかが滅びるまで続きます。これは社会とは言いませんね。
 社会がうまくいっているということは、自分が楽しく生きていることと同じです。そして、便利さが多くなれば、優秀な人達が活躍してくれたからですね。
自分も少しでも、社会に貢献するように努力し、もし至らなくても、感謝する心があれば、立派な社会を作っていることになります。
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「病の時に読む言葉」㉑ 自分が嫉妬し続けて来た人がいるなら、その人の長所にあこがれていたことを認めよう。

2025-02-06 08:41:36 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」㉑ 自分が嫉妬し続けて来た人がいるなら、その人の長所にあこがれていたことを認めよう。

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 嫉妬は誰にでもありますね。相手が格下の人間であるならば嫉妬しません。嫉妬する相手は成功者なんですね。何か卑怯な手を使ったのか、ゴマスリで出世したのか、身分不相応な待遇であるとか、順番ならば俺の方が先のはずであるとか、不満の裏返しの気持ちなんですね。
と言うことは、自分もなりたかった待遇や名声や処遇なのです。この不満を解消するには、その人の長所にあこがれていたことを認めることです。すると、同じ処遇がやって来ます。嫉妬しているままだと、いざ自分の番になると、今まで否定し続けていたから、その否定した人物になることだから辞退することになります。嫉妬は損する事なのです。嫉妬は病気の原因にもなっています。
なぜならば、同じ長所を持っているのに、自己否定するのですから病気になりますね。
やはり、「その人の長所にあこがれていたことを認めること」です。これが仏法真理なのです。
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「病の時に読む言葉」⑳ 他人の罪を赦し、悪態をも許そう。

2025-02-05 08:51:26 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」⑳ 他人の罪を赦し、悪態をも許そう。

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 ネットから、
「赦す」犯した罪に対するもの。勘弁してやる。罪を償ったことにしてやる。赦免。大赦。 
「許す」許可を与える。何かをする権利を与える。免許。許可証。

 キリスト教では、生まれながらに罪人であるから、何もしなくても赦そうですね。
凡人が生きて行くに為には、悪態(愚痴や不満をぶつけるなど)をつかなければやって行けないと思うのですから、許可を与えましょう。
与える自分も知らず知らずに悪態をつくからです。
 すべてを赦そうとしているのは、愛の神(創造神エル・カンターレ)の教えに、人は罪びととして生まれる訳ではなく、仏の子や神様の子として生まれるとあるからです。すべての物に仏性が宿っているのです。
仏性の中には、自由がありますが、自由には責任が必ず付いています
自分の自由を発揮すれば、他人の自由を阻害します。これが悪の基になるのです。だから、自由を「与える愛」として使えば天国への切符になります。もし、間違えて「奪う愛」として使うと、自己責任として地獄で勉強させられます。でも、魂は消されません。永遠に残るのです。地獄から脱出して再出発できるのです。これが神様から愛されている証拠です。
根底に「愛」があるから「赦す」「許す」になるのですね。

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「病の時に読む言葉」⑲ けんかしている相手がいるなら、自分がまだ生きていることを、感謝しよう。

2025-02-04 08:32:33 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」⑲ けんかしている相手がいるなら、自分がまだ生きていることを、感謝しよう。

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 生まれる前や、死んであの世に還った世界は心だけの世界です。その世界は波長同通の法則にしたがったもので、同じ思い(同じ考え)の魂が集まる世界です。だからけんかするのは、互いに思いが異なるからであるから、あの世ではけんかする相手(魂)はないのです。
 ゆえに、けんかしている相手がいるということは、この世で生きている証になります。また、けんかは自分と異なる考えを知るための唯一の機会なのです。つまり自分の発見が、互いにできる機会でもあるのです。
 けんかばかりしている夫婦や友人がいる時は、自分の意見を理解させるためなので、理解してもらえるまで言い合いになるのです。いやだと思うのですが、けんかする相手がいなくなると、静かで良いような気分になりますが、やがて寂しくなるのです。本心をぶつける相手がいなくなるからです。
あの世に還ると、本心をぶつけ合う相手がいなく、主張しあう機会がないのです。ゆえに、喧嘩する相手がいることは、生きている証拠になりますね。
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「病の時に読む言葉」⑱ 生命の始まりに、「愛」があったことを感謝しよう。

2025-02-03 11:48:38 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」⑱ 生命の始まりに、「愛」があったことを感謝しよう。

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 人間の魂は偶然にできたものではなく、ある意志によってできたのです。
それは「愛」の神で創造神エル・カンターレの意志なのです。
だから、人類はみな「愛」に感動するし、共通の精神だからどんな人類であっても通じるのです。「愛」を使えば戦争は起きないのです。
 あらゆる紛争の解決するカギは「愛」となるのですから、どんなに幸せなことなんでしょう!!
 もしその意志が邪悪なものあったならば、埋めれてくる赤ちゃんは鬼の形相でしようし、人類は地球から絶滅していたはずです。
 今生きているならば、「愛」があったから、生まれてこられて、育てていただいたのですね。これは感謝せねばなりません。

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「病の時に読む言葉」⑰ あなたの生命は、何世紀も何十世紀も、さかのぼることができるのだ。

2025-02-02 09:20:12 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」⑰ あなたの生命は、何世紀も何十世紀も、さかのぼることができるのだ。

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 唯物論者や科学万能者達の歴史の古さは、遺跡の石碑や化石の存在が全てであり、その他の物は邪推であって歴史には採用できないものだとする信者である。
そして、さらに古い化石が発見されると、歴史が塗り替えられるという、後手後手の決め方である。化石でしか歴史を証明する手段を持たないから、歴史学が停止するのです。化石が見つかる前も、真実なる歴史があったのですから、邪推扱いするのは、人類の魂としては何も学ぶ姿勢がありませんね。
人類はアメーバーから生まれたとするならば、今もアメーバーが存在するのは? 猿が進化したものであるとするならば、今の猿が、じっと観察すれば、アメーバーから次なる生物へと、猿から猿人へと変化する現象があるはずですね。
 人間は生まれる時に、過去の記憶を忘れさせられて、魂の磨きの前提となっているのです。この前提を知らなければ、記憶から外れた過去の事は、子文書や遺跡や化石に頼るしかないのです。
でも、あの世に還ると、過去の記憶が戻り、前世どころか前々世、そのまた前々世と分かってくるのです。生きている間に、この事実を知るには仏法真理を学ばない限り分からないのです。単なる一つの知識としてしか記憶していたとしても、あの世に帰って、真実のことだったと魂の奥深いところで納得するのです。これが、見えないものを信じる、そして、体形的に説明されている仏法神理を信じる事が、この世を創られた神様の考えと一致し、悩みも苦しみもすべては魂の磨きとなって、幸福な人生を歩むことができるのです。
信じない自由を選べば、事実と違った思いの結果は自己責任という因果の理法によって、苦しみの地獄へと行くわけです。
 あの世の事を説明するのは、宗教の役目ですが、邪教もありますから、正しい選択をする知識も必要です。
何が正しいか因果の理法から結果を類推してみることです。推測する範囲を広め、深さをさらに深めるには、仏法真理を学ぶしかないのです。
目に見える範囲だけの考えでは、人間(魂)の真実を理解するのは不可能なのです。
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「病の時に読む言葉」⑯ 良かれ、悪しかれ、自分をこの世に生んでくれた父親と母親がいたのだ。

2025-02-01 08:35:07 | 日記
箴言集 「病の時に読む言葉」 大川隆法 著

「病の時に読む言葉」⑯ 良かれ、悪しかれ、自分をこの世に生んでくれた父親と母親がいたのだ。

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 現在、幸せな人生を感じている時は、自分の努力の結果として当然と思うのが凡人です。しかし、不幸な人生を送っている人は、勝手に自分を生んだ両親を恨むのも凡人(悟りの低い人)です。両方とも悪いことは他人のせい、良いことは自分のせい、と思うのが悟りの低さの表れである。
こんな人は、何のために生まれて来たかが分からないか、分かろうとしない人達である。こんな人の死後は、閻魔様の前で生まれる前の人生計画を思い出したならば、少し地獄で反省して天国へ戻ります。(天国へ行かないと、この世に生まれることが出来ないのだ。生まれたということは、天国にいたからである。)閻魔様の前で、自分は悪くないと言い張る魂は地獄行きが決定され、鬼たちに猛省を迫られる苦しみが待っているのである。
 こんなこと(仏法真理)を知らなくても、無条件に、自分を産んでくれた両親に感謝する気持ちが大切である。食べる幸せ、雨風をしのぐ住まいがある幸せ、寒さをよける衣服の有難さ、他人からの親切を受けた時の幸せ、これらの小さな幸せを感じる事が出来るのは、自分を産んでくれた両親がいたからであると、と考えると感謝の心が出てきて、悟りが進んだ事になる。
空腹の苦しみ、雨風の暑さや寒さに苦しんだり、他人からのもらい物が少ないと嘆くことばかりを考える人は、奪う愛に生きる人生で、苦しみから逃れることはできません。
この苦しみは、全てを求める自分の欲の深さに気づき、反省すると、与える愛の考えに切り替わります。「求めるから苦しいのだ!」と。
苦しい事があれば、脱出する知恵を見に付けるチャンスであると考え、その苦しみに負けない自分作りができる喜びを感じたならば、さらに悟りが進むのである。
 まずは、生んでくれた両親に感謝することが、人生を有意義に暮らすための第一歩であろう。そして、「元いた天国へ戻る生き方」になるのである。
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