あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「人格をつくる言葉」94 仏陀やキリストは、いつもそこにいるのに、あなたに真理の眼が開けていないだけだ。

2024-09-30 09:03:09 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」94 仏陀やキリストは、いつもそこにいるのに、あなたに真理の眼が開けていないだけだ。

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 如来は1万人分の仕事が同時にできると言われています。まして宇宙や地球など全てを創られたエルカンターレは、地球の神様であるから、どこかの木の葉一枚が落ちるのも分かると教えられている。そして弟子である高級諸神霊や天使たちも人類の魂をいつも支援しているのです。
人類に仏の性質=仏性を宿らせているから、内面(潜在意識)からもその人の心(表面意識)を見つめておられるのです。
残念ながら、肉体を持った魂は、肉体が全てだと錯覚すると、目に見えないものは存在しないと思い込んでしまいます。
そして、辛い目に合うと「神も仏もいないのか!」と嘆き悲しむのです。
仏陀やキリストは、いつもそこにいるのに、目に見えないものを信じない心の、何と悲しい生き方であろうか!
神様を否定した、あるいは信じなくなった魂は、一旦地獄で勉強をし直しをさせられます。その反省のなかで、神様はすべてお見通しであった、気づかなかった自分が愚かだった、感謝すべき時に、恨み心をだしてしまった!と激しく反省すると、本来の神様の子であった自分を思い出し、喜びの涙をながすのです。
私たちは孤独ではないのです。
いつも仏陀やキリストは、いつもそこにいるのです。😭 

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「人格をつくる言葉」93 この世的欲望を持ち続ける限り、「欲界転生」からは逃れられない。

2024-09-29 09:10:21 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」93 この世的欲望を持ち続ける限り、「欲界転生」からは逃れられない。

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 人間の魂は作られた時から、輪廻転生を繰り返しています。
輪廻転生とは、霊界に住む魂が、修行のために肉体に宿り、いろんな経験の後死んで霊界に戻り、生きていた時の問題解決のために、またこの世に生まれることを意味します。
 人間に生まれると、欲望との闘いです。この戦いに勝ったり負けたりの経験が「業」となり、霊界に還った魂の宿題となり、それを解決するために生まれることを繰り返すのです。
欲望に負けるために、何度生まれ変わってもこの転生から逃れることはできません。これを「欲界転生」と言います。
狭き門ですが、せめて善行を積むことが、この転生から逃れるチャンスとなります。
 この輪廻転生から逃れた人達は、菩薩以上の魂で、利他のために生きることが出来、欲界転生ではなく、苦しむ人類のために指導するための転生を繰り返します。その転生は欲望に振り回されたものではなく、数百年単位で生まれ変わります。普通は100年未満でしょうね。
 生まれても、同じ問題につまずく場合や、成功しても立場を変えて生まれるとまたしても似たような問題でつまずくものです。
 仏法真理を学び実践した人達は平均で300年と言われています。

以下、ネットから詳しい説明です
「欲界転生」=繰り返し生まれる世界に六道があります。
 六道は、仏教の世界観において、生命が生まれ変わる6つの世界(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天上道)を表す概念です 。

●地獄道は、悪業を積んだ者が生まれ変わる世界です。この世界は、罪を犯した者が受ける苦しみが特徴的です。 
●餓鬼道は、貪欲な者が生まれ変わる世界です。この世界では、飢えと渇きに苦しむ餓鬼が登場します。 
●畜生道は、無知な者が生まれ変わる世界です。 
●修羅道は、*瞋恚(しんい)(「瞋」は怒りや憎しみ、「恚」は憤りや怨みを意味します。 )と戦いの多い者が生まれ変わる世界です。 
修羅は、戦いに明け暮れ、他人を倒すことでしか満足できない存在です。 
●人間道は、善業と悪業が混在する者が生まれ変わる世界です。 
●天上道は、善業を積んだ者が生まれ変わる世界です


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「人格をつくる言葉」92 いずれこの世は去るものと考え、日々に執着を薄めてゆけ。

2024-09-28 09:03:55 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」92 いずれこの世は去るものと考え、日々に執着を薄めてゆけ。

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 誰もが死ぬのはわかっているのです。その後がない、「死んだら何もないから、生きている間に楽しいことをせねば損だ」と考える人達は執着が取れないですね。
 あの世はあるかもしれない、と考える人達は、虫の知らせで親族の死ぬ前の声や姿を夢で見た時、幽霊を見た人達などでしょう。さらに臨死体験をした人達は確実にあると実感しています。
また霊感体質の人や、霊能力で過去世を語る内容を聞けば、あの世の存在を信じますね。そして、死ぬのが怖くなくなります。

 あの世を信じた人達でも、あの世界の仕組みが分からないのです。その仕組みを明らかにしたのはお釈迦様です。善悪と、努力する功徳を教え、その結果は天国行きか地獄行きかに別れますよ!との教えで、過去の偉人たちが生まれました。お釈迦様の説かれた法を実践した人達です。地獄に堕ちない第一の方法が「執着をなくす」ことなのです。
その教えに感動し後世の人たちに連綿と伝えてきています。

 ところが、科学が発達するにつれて、あの世はないとする人たちが増えてきました。目に見えるものしか信じない人達が異常に増えてきたのです。
それらの人たちは、死んでも生きている姿や景色が見えるため「普通に見えるから死んでいない」と体験しています。そして、生きた人間には触れないし、言葉をかけても反応してくれないのを実感して、夢か?精神異常になっているのか?としか思えず、この地上界をうろうろと彷徨います。いわゆる幽霊ですね。時たま霊感体質の人に見られると、その人と会話ができるために取り憑きます。ま、憑依霊となって延々とこの世界にとどまります。地獄へのも天国へも行けないのです。地獄へ行けないならば、このままで良いと考えるのは、永遠に天国へはいけません。地獄で魂の勉強をして「反省と感謝」を身に着けてからでないと天国へ行く資格がないのです。
だから、執着を取る、薄めることで、天国行きの近道になるのです。

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「人格をつくる言葉」91 地獄の試練の中で、反省と感謝が支えとなることを知れ。

2024-09-27 09:05:30 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」91 地獄の試練の中で、反省と感謝が支えとなることを知れ。

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 まず、地獄に堕ちている人達は、ここが地獄だとは思わないし、なぜ苦しいかも理解できないと教えられている。(自分も過去に地獄に行ったことがあるはずだが、記憶を忘れ去られているから思い出せない。)
 仏法真理を学んでいれば、天国へ行けるはずだが、所詮知識だけで終わっていると、地獄に堕ちるものです。
もし周りが暗かったり、寒かったりすると、ここは、仏法真理を学んだ地獄かもしれないと理解できます。そうだ反省と感謝をするのだった!と思い出すはずです。
反省や感謝をし出すと、苦しみが和らいでくることから、地獄から抜け出す方法であると分かるでしょうね。

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「人格をつくる言葉」90 沈黙のうちに、人生の智慧を蜜のようにためよ。

2024-09-26 08:55:42 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」90 沈黙のうちに、人生の智慧を蜜のようにためよ。

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 知識を詰め込むだけでは智慧にはなりません。単なる記憶装置と同じです。記憶された知識を最高の組み合わせにして回答するのがAIです。
智慧は知識の組み合わせでは悟りにはならないのです。
外の世界を遮断して自問自答することが必要です。学んだ知識を役に立たせるには?、有益な知識とは?、利他のための知識にするためには、何が必要かを深く考えることが大切です。この考えて得た答えを積み重ねてさらなる答えを作り上げてゆきます。この積み重ねが人生の蜜になるものと考えます。
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「人格をつくる言葉」89 学問は、あなたの精神を練り上げるために使え。

2024-09-25 09:05:08 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

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 出世を目的とする学問は資格を増やす内容である。世間の名声を得るための学問は、他人の目を欺くものである。
もちろん、疑問を持って、真面目に深く追求する人達もいる。努力によって良い結果が出たならば、有名になるが、初期の動機が自分のためでないならば、この名声は後からついてくるものであろう。
 与える愛の学問は、相手の幸福を願うことであるから、自己犠牲が大きい。でも少しでも喜んでもらえればうれしいとの感謝の気持ちが芽生えるのである。
この自己犠牲の努力が、自分の精神を練り上げることになりますね。
 奪う愛の学問は、結果が出なければ不幸だと考え、結果が出れば、出世を勝ち取ったと天狗になるであろう。つまり感謝の思いがないのであります。
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「人格をつくる言葉」88 老いてなお、日々に自分を磨くものは、後光が射してくる。

2024-09-24 09:03:28 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」88 老いてなお、日々に自分を磨くものは、後光が射してくる。


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 剥げてきて頭が光ることではないですね。😅 
 後光は霊的な光ですから、見える人(霊感体質の人)は限定されます。
利他に生きる人、いわゆる人々の幸福を願い指導する霊格です。その霊格とは菩薩であり、その人には後光が射していると言われています。
あらゆる人に利他で対応するには、日々に自分を磨く必要がありますね。

 菩薩に近い人や菩薩を目指す人は、精進を長く続ける人でもあります。そのような人の言葉や仕草から、凡人ではない(タダ者ではない)雰囲気が感じられるのではないでしょうか。
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「人格をつくる言葉」87 自制心は、まず若い頃の男女関係で試される。

2024-09-23 08:31:05 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」87 自制心は、まず若い頃の男女関係で試される。

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 生まれてから思春期になると、性欲が増大してきます。
 他人の目の前では自制心は働くが、誰の目もないとなると、性欲の暴走を止められなくなります。この暴走をいかにして抑えるかが魂の修行であります。
 男女関係で付き合う条件としては性格などが考慮されますが、性欲に翻弄されていると、性格は無視されて女(男)であれば誰でも良いとなります。
 性欲は子孫を残すための神様から頂いた原動力ですが、動物であっても発情期が限定されているものです。そして相手を選んでいます。
年がら年中発情期である人間は、互いの愛を深めるためのふれあいの一つであります。
しかし、愛のない肉欲だけの生き物、動物以下に成り下がった自分を想像できるかが、自制心を鍛えるチャンスになり、難問を解く試しでもあります。

 年を重ねれば、性欲は落ちて、名誉欲や権力欲が増大してきます。
この欲望を抑えるのが人徳への道になりますね。
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「人格をつくる言葉」86 自制心を磨くことが天使・菩薩への道である。

2024-09-22 14:11:41 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」86 自制心を磨くことが天使・菩薩への道である。

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 自制心とは自分の心を制御することである。
悩むことがなければ、制御することは容易いことであるが、人生につまづいたり、他人からの悪口や暴力に出会うと、なかなか心を制御できるものではない。
霊界では、自分の心と同じ人たち男と暮らしているから、自制することはないので、魂の磨きにはならない。心はガひラス張りだから、自分の考えと異なる魂とは暮らせないのです。異なる考えと出会ってこそ魂を磨くことができるのです。
だからこそ問題がいっぱいあるこの世に、肉体を持ってさらに記憶を消されて出発すれば、相手の心は見えない=目隠しをされて生きるのと同じで、つまづいた時、どれほど自制心が磨けるかのテストになるわけです。この試練に打ち勝ってこそ魂が向上する=磨かれて光が増すのです。

「俺の性分だから直しようがない」「自分の欲望に正直にいきるのが悪いのか?」と自制心の事など全く意識しない生き方は、
天使・菩薩への道ではなく、地獄行きの生き方ですね。
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「人格をつくる言葉」85 神仏・両親から頂いた身体をそまつに扱うな。よく手入れをすれば、丈夫で長持ちする。

2024-09-21 09:09:32 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」85 神仏・両親から頂いた身体をそまつに扱うな。よく手入れをすれば、丈夫で長持ちする。


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 卵が先か親の鳥が先か?
あらゆるものを創られた創造神は、最初から両方を創られたのです。設計図を創られたのです。そして魂の磨く環境(地球)と修行する期間(寿命)が決められたのです。
 生まれる前に、自分の人生計画をたてるのですから、ある程度は神の仕組みを理解できていたのです。しかし、生まれる時に、魂の記憶はその計画を実行するには邪魔になるので、一時的に忘れさせられているのです。
そして、自由をも与えられた魂は、神様を信じない自由を出し始め、肉体の欲望に身を任す愚かなことをしだしたのです。
 科学の進歩で医学は発達して、病気治療も発達し、寿命が延びました。
しかし、科学万能の思想にある医学では、なぜ病気になるかの原因は、あくまで細菌か人間関係のストレスであるとするのが、限界でしょう。
 魂の修行のために与えられた問題を、単なる偶然と考えている間は、本来の寿命を短くするのみですね。自分の身体は自分の自由で管理するとの考えでは、延命治療にすがるしかないでしょう。
 与えられた身体であり、神仏や両親に感謝する人生が、本来の寿命に合う生き方になるのです。

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