今年も本当に残すところ28時間を切りました。
今年は、昨年の夏より危篤状態になった施設内の母と多くの時間を共にしようと決めた年。
同居の義父も脳梗塞で救急搬送されてから施設にてショートステイ開始。施設も2度目の移動が済んだ頃。
買い物中の3月11日。震度6の地震に遭遇。
幸いなことに、自分はなんともない。
家族もなんともない。
・・・・・いろいろな思いが交錯する・・・・・
計画停電・ガソリン不足。
母のもとに行きたくても行けない。
独居で居るより、施設にいることが安心なんだ、大丈夫なんだと母にも自分にも言い聞かせてきた。
そして、地震で崩れたのではない、津波のヘドロで汚れたんじゃない。
自分の手をこまねいて見ていた自分の家を掃除し始めた。
同居して早20年。
それまでしたくてもできなかった・しても無駄だった・やる気が失せた自分の家を見回した。
そして、大掃除の場所もあり、自分の思うままに片付けていった。
鼻から栄養経管をし、孤独と意識の遠のく中で、じっと私を待っていた母が、7月30日に永眠した。
悲しいけど、悲しみより、やっと楽になれた・父のもとに行けた・母。私にはその安堵感のほうが強かった。
葬儀・告別式も、無事に終え、49日の納骨まで、母(遺骨)を車に乗せ実家までドライブに行った。
母が帰りたかった実家を見せてあげた。
そして。
今日も、仏壇を綺麗にし、両親の眠る霊園に行ってきた。
いつものように3つ分のお墓に花をあげ、お線香を付け。
帰りには、例年、私が行けなくとも、墓前に花を上げてくれる親戚の家に年末のご挨拶に寄った。
とうとう両親が亡くなっちゃったね・・との言葉。
そうだ・・・だけど。
今日仏壇を綺麗にした後の両親の写真はいつにも増して笑っているように見えた。
一夜飾りはいけないから、今日、帰りにお供え餅を買って飾った。
少しばかりの御節も買って、明日はきんぴらごぼうでも作って、年越しそばを用意して、日付が変わる頃には、お赤飯を炊く。
喪中だけど、こころ晴れやかに、新年を迎えたい。