美味しく焚ける炊飯ジャーを買ってもらったのに、食べているお米がどうも、ねということで。。
法事の引き物の中にカタログが有りまして、その中から、「魚沼産こしひかり」を注文。
やってきました、こしひかり。。
今朝早速焚いてみた。。
(ー`´ー)
でも、そんなに感動しなかった・・・
なんでかな~。
実家で食べていたご飯は、お米屋さんから買ってきていたお米。
父は、おかずはなくともお米が美味しければ良い、と言っていた。
その頃はそのご飯を美味しく食べていた。
いざ、米を作っている家に嫁いできても、あまり美味しいと思わないのは、何故だろう。
新米~ の一瞬だけ。
あとは、古い順から消費するわけで。。
農家といっても、お米の味・品質に執着して作る農家じゃなくて、田んぼがあるから、今まで通り先祖から教え聞いてきたとおりに継続しているだけの農家。
冷たい言い方だと思う。自分では何もできないし知恵もない・知識もないし、やらないのだから。
そう思うと、お米の名産地ではどれだけの工夫があるのだろう。そして、職人ともいえる技も持っているのだと思う。
環境も良いに違いない。
ご苦労もあるでしょう。
そのお米を焚いてみた。
釜良し、米良し。なのにだ・・・・
長男も大感動というふうでもない。
今までのご飯と色が違うのは明確。だけど、味に、「これだっ」というものが無い。
それは、なんなんだろう・・・。
とにかく、口が肥えたということなのか。
ほかに食べるものが豊富にあって、お米としての味を分らなくなっているのか。
いんや。。
まだ本当の美味しいお米に出会っていないのだっ。。 と思おう。
今日も今日とて強い冷たい風が吹いている。。ょ。寒い、ね。
かたくりは、風に揺られて咲きだしました。
今朝テレビで、今の自分がいるのは戦時中や戦後の日本人が頑張って生きながらえてきたから、と言っていた。
私の先祖といっても、知る範囲では、母の長兄が戦死。
義父の兄弟が戦死。
その方たちの志半ばでの死は、親であり兄弟であれば、悔しさと悲しさ・寂しさ・愛おしさが尽きることはないでしょう。
直接、私の命との繋がりは、両親。
母の兄がいなくても、義父の兄がいなくても、私は生まれてきた。
多くの日本人が命を国に捧げで亡くなっていった。
そしてその後の混乱する中で生きながらえ、必死で生きて道を作ってこられた方々がいるおかげで今があると思う。
作れや売れやの商売の人と、製品・商品に心血を注いでいる人の差がある。
自分の生活費を稼ぐために、とりあえず作れば良いという人たちがある一方、売れるまでの道のりにどれだけ時間とお金を費やしたかしれない人たち。
戦国時代の武士と農民・商人と町民との比率ってどれくらいだった?
刀で人を切る時代。
かたや某国では芸術が栄え、某国では、近代的な建物が建ち並んでいた同じ時に、ふんどしで駆け回っていた民。
なのに、今、スポーツや企業で頑張っている人たちを「サムライ」と呼ぶ。
まあ、どうでも良いようなことに、天邪鬼は引っかかってしまった・・。。
さて。私。ちっぽけなちっぽけな、ただの人。