どーんなことも、ね。
自分をどう調節していけるかってことに尽きると思います。
時間。時空。
自分の見てない・知らない聞こえない時間。
人様の、していることを見てない・関知しない・それをする時間なんかない。
自分の取り巻く周りのことだけが全てなのよね。
誰かが痛い思いをしていても、つらい思いを強いられていても、悲しみに暮れていても、努力の汗と涙を流していても。
それを知ることはあっても感じることはできない。
あとから聞いて知っても、もう時間が経過していては、かける言葉にはこちらの思いだけしかない。
相手には、それは慰めの言葉にしかならないかもしれない。
時間。ほんとこれは誰にも同じだけの24時間。
1秒でも足りず多いことのない平等のもの。
その中で誰もが生きている。当たり前だけど。
その生きている時間を蓋のある筒に収めて、ところてんのように押してみたら。
凝縮されたその人生の味は、濃いのか水に等しいくらい薄いのか、押せないほど固いものか、流れてしまうか。
そんなことを思います。
良く、『太く短く、細く長く』と、人生を例える言葉がありますが、それに似ています。
自分の使える時間。
どう使うのも自分の勝手です。人がどうこう言う筋合いではないです。。
ぼやき虫が発生しました。
先日の法事の宴の料金を支払うについて。
主人は、仕事の始まる前に店に立ち寄りました。
誰かがいるだろうと、それが午前10時ほど。しかし、鍵がかかっていて誰も出てこなかったと。
では、翌日に行きますと連絡をしておこうと、電話で午前10時頃伺うことを約束。
この電話には主人も居て、そのやりとりは聞いていたし、10時というのは主人の良い時間なわけです。
そして、翌9時。主人から電話が入る。
・・・なんぞや・・・・ またバンクか・・・? 先日やったばかり。ガス欠か・・・ふう・・
スマホに出ると、支払いに来てるけどまた店に鍵がかかってる。
( ̄‐ ̄*)
何時やっ
『今何時?』って聞いてくる。
自分の携帯でも時間は分るでしょうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ
ふぅ・・・はぁ・・・ふぅ・・・ひぃ・・・・深呼吸深呼吸。
「あのね・・・・昨日電話したよね? 10時頃って言ったよね。まだ仕入れしている時間じゃないの?」
というと、じゃあ出直すと言ってほどなくして戻ってきた。
何度も行くのは大変かと私が行こうかと言うと、却下。。
そして、内職を進めているともうすぐ10時になる。
2階にいる主人に声をかける。ここから、車で10分ほどの店です。
ここにいて、何もしていないのだから、10時に着くようにするのが当たり前だと思うのよね。
下りてこない。
部屋まで行って、私が払ってくるよ、と言うと、逆切れ。
『俺が行くっていってるだろうがっ。』
だってさ。。10時を10分も過ぎて出て行く。バタバタわざと音をたてて。
なんでこうちゃんとしないんだろう。なんでこうちっちゃいんだろう。
電話で行く時間の確認までとって、その時間に鍵を開けてもらうようにしてあるのに。
そこへめがけて自分を動かさない。忙しいならともかく、私が行くよ、も聞かず。なんでできない?
以前にも同じようなことがあったから、またか・・・と私の治ったはかりのヘルペスがうずく。。
だからそういう性質なのよね。分っています。さらにそして相手に文句を言いかねない。
何度も来てるのにって、自分は客だと大柄な態度で。
数え上げればこの数日になんでだろうどうして? なことはきりがない。
よく仕事をしてこられたとつくづく思う。
きっと一緒に仕事をしていた人が尻拭いをしたり、代わりになっていたことがどれだけあったんだろうか・・・と思う。
今、助けの手を差し出すのは私。←これ傲慢よね。
家に居ることでそれを目の当たりにする事が増えただけ。
年をとってその頑固さに拍車がかかる。義父とおんなじ。
やっぱり親子だわぁ。
従兄弟にも心配をかけている事案もある。
同じ家の屋根の下。
いたわりあい、助け合いしながら生活していこうと、思った今年なのに。。(*≧m≦*)
この性格を承知したなら、それを飲み込んでいこう。
何度も同じことを繰り返すのはやめよう。
相手が変わらなければ、私が柔軟になれば良い。
そう言い聞かせることはできるけど、いざその時になると、ね。。ぼやきました~