行ってきます・とただいま・の間。

2013,1に長男から貰った、SONY NEX-F3で撮っています。
その日の事柄と撮りたて写真で残してます。

倒木。

2014年03月23日 10時34分15秒 | 日記

これまでの雪と強風で、竹林の中にある樹が折れてます。

 

 

ケーンケンと、キジが鳴く場所。^^
このくらいの大木が3本ありますが、1本が倒れたので、残りの2本を昨日、持ち主が切っていました。
竹も切ってくれ~
人が入るような場所ではないですから、怪我する人もいませんが、この麦畑の方へ傾いていますから、片付けないといけないですね。。

 

 

昨日は、父が亡くなってから11年も経ってしまいました。

仏壇にある両親の写真を見ると、話し声が笑い声が聞こえてきそうです。
でも、それも、今では叶わないこと。
孫たちをとっても可愛がってくれました。
自転車に乗せて・膝の上に抱いて、身長を測ってくれて、写真を撮ってくれて・・・・
多くの思い出があるのに、それら、孫たちの記憶から薄れていくだろう・・と思います。
それは、私がそうだから。
両親はいつまでも両親です。
でも、私の中の記憶で祖父母の印象はかなり薄いです。
遠く離れていたこともありますが、母や父と過ごした密度とは違いますから・・・

今、息子たちの記憶の中に、じいちゃん・ばあちゃんはどれくらい占めているでしようね。。
声をぬくもりを忘れてしまうでしょうか。。

 

なんだか、思い出すことがいっぱいあります。
それは、幼稚園を卒園するときのこと。
七五三の着物を着て迎えた卒園式。
記念写真を撮る後ろの席に立つ近所の男の子がちょっかいを出したことも。

そして小学校の卒業式も。
前日、給食室の扉におもてから突っ込んで、ガラスに頭をぶつけていた男の子。
勿論先生には、その場にいた児童はみな叱られました。
明日卒業式を迎える今、何をやっているんだと。
そんなことで中学生になる自覚があるのかと。(*≧m≦*)
迎えた当日。
晴れやかに、式典を執り行ってくださった先生方。
そして、身を引き締めて返事をした卒業式でした。
保険の先生には、今までの厳しかった指導も、なんだかありがたく感じて、ああこれが感謝の気持ちっていうものなんだと理解したり。。

中学の卒業式。
3年間テニス部にいました。
けっして優秀な部員ではなく、良く、試合に行って敗退するとその学校のグランドで正座していました。
そんなこんなでも、夕立の後の虹や、体育館裏から湧くようにコウモリが飛び立った下校時間が楽しかった。
そして、当日。
後輩から貰う卒業祝いの品々。
楽しかったなぁ。。

高校の卒業式。
大好きな友達と別れてしまうことが悲しくて、卒業までのひと月は、泣いてばかりいました。
美術選考のクラスでした。美術の先生に、その友達と放課後モデルになって肖像画を描いてもらいました。
今でもそのキャンバスは飾ってあります。
もし子供が出来て、不良になったらどうしよう・・と考えこんでいる表情です。
当日、クラスのみんなとサイン帳の交換をしました。
女子高の中のいろんな思い出。。
最高だった。。

それから就職をして、お姉ちゃんとして妹を両親を支えてました。

家族というくくりの中にあったぬくもり・・・
その頃は反発もし文句も言った。
父娘・母娘との時間。
いつもどの思い出の中にも、姿はなくても、支えていてくれていた。
その受けた愛情とおんなじことを今、私は息子たちにしている。
と思っている。

心のどこかに残っていてくれたら、うれしいな。。


魚沼産のこしひかり・かたくり・・・と。

2014年03月22日 12時11分18秒 | 日記

美味しく焚ける炊飯ジャーを買ってもらったのに、食べているお米がどうも、ねということで。。
法事の引き物の中にカタログが有りまして、その中から、「魚沼産こしひかり」を注文。
やってきました、こしひかり。。
今朝早速焚いてみた。。

(ー`´ー)

でも、そんなに感動しなかった・・・

なんでかな~。
実家で食べていたご飯は、お米屋さんから買ってきていたお米。
父は、おかずはなくともお米が美味しければ良い、と言っていた。
その頃はそのご飯を美味しく食べていた。
いざ、米を作っている家に嫁いできても、あまり美味しいと思わないのは、何故だろう。
新米~ の一瞬だけ。
あとは、古い順から消費するわけで。。
農家といっても、お米の味・品質に執着して作る農家じゃなくて、田んぼがあるから、今まで通り先祖から教え聞いてきたとおりに継続しているだけの農家。
冷たい言い方だと思う。自分では何もできないし知恵もない・知識もないし、やらないのだから。

そう思うと、お米の名産地ではどれだけの工夫があるのだろう。そして、職人ともいえる技も持っているのだと思う。
環境も良いに違いない。
ご苦労もあるでしょう。

そのお米を焚いてみた。
釜良し、米良し。なのにだ・・・・

 

 

長男も大感動というふうでもない。
今までのご飯と色が違うのは明確。だけど、味に、「これだっ」というものが無い。
それは、なんなんだろう・・・。

 

とにかく、口が肥えたということなのか。
ほかに食べるものが豊富にあって、お米としての味を分らなくなっているのか。
いんや。。
まだ本当の美味しいお米に出会っていないのだっ。。               と思おう。

 

 

 

 

今日も今日とて強い冷たい風が吹いている。。ょ。寒い、ね。
かたくりは、風に揺られて咲きだしました。

 

今朝テレビで、今の自分がいるのは戦時中や戦後の日本人が頑張って生きながらえてきたから、と言っていた。

私の先祖といっても、知る範囲では、母の長兄が戦死。
義父の兄弟が戦死。
その方たちの志半ばでの死は、親であり兄弟であれば、悔しさと悲しさ・寂しさ・愛おしさが尽きることはないでしょう。
直接、私の命との繋がりは、両親。
母の兄がいなくても、義父の兄がいなくても、私は生まれてきた。

多くの日本人が命を国に捧げで亡くなっていった。
そしてその後の混乱する中で生きながらえ、必死で生きて道を作ってこられた方々がいるおかげで今があると思う。


作れや売れやの商売の人と、製品・商品に心血を注いでいる人の差がある。
自分の生活費を稼ぐために、とりあえず作れば良いという人たちがある一方、売れるまでの道のりにどれだけ時間とお金を費やしたかしれない人たち。


戦国時代の武士と農民・商人と町民との比率ってどれくらいだった?
刀で人を切る時代。
かたや某国では芸術が栄え、某国では、近代的な建物が建ち並んでいた同じ時に、ふんどしで駆け回っていた民。

なのに、今、スポーツや企業で頑張っている人たちを「サムライ」と呼ぶ。

まあ、どうでも良いようなことに、天邪鬼は引っかかってしまった・・。。

 

 

さて。私。ちっぽけなちっぽけな、ただの人。

 


かたくり。

2014年03月21日 13時38分29秒 | 日記

とーっても風が強いです。
この風の音を聞いていると、頭が痛くなる・・・・・(ー`´ー)

朝日を受けてかたくりももう少しで開くのに、ね。

 

 

先っちょのほうだけに光を受けていました。
ちょっとした角度が難しい。

 

   ※ 東北では停電等、豪雪と強風。乗り越えてください。


お彼岸に入りました。

2014年03月19日 17時01分16秒 | 日記

なのに今日は寒いですね。

球根植えのヒヤシンス。
いつもこの色がうちにやって来る。
咲き終わった球根はいつもどおりに庭へ。

 

  玄関が良い香り。。

 

我が家にもクリスマスローズが咲きだしました。^^

 

 

もうこの色しかありません。
確か、3色あったはずなのに。この色は丈夫なのでしょうか。。

 

 

なんだか・・・
義父が施設に入って、家にいなくなってから、庭の様子が変わりつつあります。
植えても植えても引き抜かれた植物たち。
じゃあ鉢植えに、と思っても、思い通りにいかなかったあの頃。

今は、毎年の猛暑・酷暑のせいで枯れていく木。
枯れた気や枝を切り落としていく。
それはもう私の腕で。

ここに嫁いでから、早、24年目となった。
当時のうつうつとしていた頃、近所の同じ立場だった先輩方に、20年過ぎたら天下だよ、なんていわれました。
天下かどうかは論外ですが、その頃の義父母の年齢になったんだと思うと、また感慨深いものがありますね。

今自分の体力的なこと、嫌いなことと、やりたく無い事。
欲しいものと、放したくないもの。

息子たちに見る私の躾たものと、反映してしまったこと。
これから先、自分の手で自分の人生を生きていく。
痛みも苦悩も、自分もちだから・・・
もうお母さん・お父さんの手の中にはいない。

明るさと。

 

 

重い沈む影の中にいても。

 

 

全て自分が主役の自分の人生。
腐らず、沈み込まず、這い上がって、起き上がって、踏みしめて、登っていけ。。

誰もが、そう。
今生きている意味。今を作ること。
先に逝く意味。未来を一足先に作りに旅立つこと。
みんな繋がっている。
何が無くても、大事なのは、己自信。その命のみ。


元気ね。。

2014年03月16日 17時20分30秒 | フトアゴヒゲトカゲ

   スマホ写真。

 

今日は暖かいですね。
ティちゃんも、ケージの蓋が外れていて、長男はお出かけ。
出たいょね。。(*≧m≦*)
ちょっと出してあげました。部屋の温度は18℃くらい。
あっちゃこっつちや動きだしました。そろそろ、遊びたい季節だものね。
この写真は、「おいで~」といったところ、理解したとは思わないけど、ティちゃんからやってきた。。
スマホやカメラを持って構えると、ティちゃんは目線をカメラに向けるんですよ。。
何枚か撮っているあいだ、じっとしています。(o_ _)ノ彡☆ばんばん

今は身体が冷えてきたのでケージの中に戻しました。
バスキングライトのちょっとズレだところにペターリしています。顔はこっち見てます。。。

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義父。
母と同じように、鼻からの経管による栄養投与が始まりました。
これで高カロリーを得られれば、皮膚のただれや化膿も落ち着くかもしれません。
ただ・・・ もう自分では身体を動かすことも話すこともできない状態。
主人と弟・妹で話し合いをし、この先の治療の希望を提出しました。

かたや、義父の兄貴。
あの旅行以来、長男夫婦は出て行くことに決めて伯父さんはどうなるやら・・。
伯父さんには2人の娘さんもいますが、その娘さんたちが、長男夫婦を毛嫌いし追い出したという具合です。
なぜなら・・ 財産を奪われるという・・

なんだかなぁ。
そうなの? そんなものなの? 
今までは好き勝手してきた長男夫婦だけど、老いた父親を面倒見るために同居しようと決めたのにのっとりだといって、追い出す。
しかし、いざそうなると、伯父さんの行き場はどこ? 長女は今すぐにでも引き取るといきまいていたのに、嫁ぎ先にも姑が健在で、すぐには無理という。
伯父さんも半ばボケはじめていて、自分のことが精一杯・・? もしくはもう無理。
そんな自分の親を目の前にして、悪い方向に出してしまった結果。
この先、本当に伯父さんの希望通りだと言って含めて施設に入れてしまうのだろうか。
自分で建てた家も捨てて・・ それはいずれ壊して更地にして返すのだそうだ。
それは誰がやるんだろう・・
いゃいゃ、私のことじゃない。私には何もできないのだし、主人が言ってももうどの人も、決心は固いみたい・・。

これは、独り言でした。。