170427 異常交通事故の原因 <NHKガッテン・交通事故から家族を守りたいSP>を見て
今朝も目覚めは軽やかな野帳の囀り。すごく身近に感じたので起きてみると、わが家の庭木ではなく、30mくらい離れたヒノキの穂先でした。囀りを聞いて野帳を識別できるほどバードウォッチャーになれてないため、望遠のビデオカメラを取り出してのぞこうとしたのですが、三脚を取り出すのとカメラの据え付けに時間がかかり、狙おうとした途端、飛び去ってしまいました。高齢化の影響でしょうか、ま、仕方がありません。敏速にというのはもう死語?になりつつあります。
だいたい山野断崖絶壁を駆け巡った頑強な空海が入滅した年齢をとっくに超えてしまっているわけですし、長く体調不調が続いていた身ですから、少し体調が回復したからといって油断大敵です。
昨日のブログでというかいつも何かを書こうと思っているのですが、メモ書きもせず、思いのまま書き連ねるわけですから、しょっちゅう忘れてしまいます。昨日のブログも肝心なことを忘れていたので、少し付け足したいと思います。
日本郵政は、海外企業の買収で巨額の損失を今年度会計で計上したわけですが、当然、損失処理するか悩みつつも、東芝が粉飾会計と非難されている原発企業・WHの巨額損失を先の不正会計処理のときも、その後同社が訴訟相手の建設業者を買収したときも、隠し続けてきたことが多少影響したのか、また、政府出資企業として東芝の二の舞にならないようにと判断したためか、早期に計上したことは評価できると思うのです。
で、ここから言い忘れた重要なポイントがあると思っています。いま毎日記事は連載で「変革」を掲載し、現在は大和証券の危機について連載しています。そこで、あの山一証券を含む証券・金融機関などの大型倒産が続いた90年代後半の危機状態の中、大和証券も崖っぷちに立っていた状況を取り上げています。大和証券も隠れた不良債権がバブル期から積み残されてきていました。格付け会社からの質問に対しても適当に答えていたところ、厳しい通告がきました。
<大和への不信が高まり、企業の信用度を示す「格付け」は、98年6月に銀行から融資を受けられなくなる目安である「投資不適格」の一歩手前「Baa3」まで下がった。米格付け会社ムーディーズは「数カ月後にはさらに引き下げる」と通告してきた。>
これに対し、大和証券は、住友銀行との戦略的提携を発表しましたが、結果は変わりませんでした。そこで頼ったのが米国の現・商務長官で投資家のウィルバー・ロス(79)でした。ロス氏はムーディーズ本社に乗り込み、担当者に<「きちんと精査して出している結論なのか。根拠のない不十分な格付けなら訴訟を起こすぞ」。>と脅し上げたのです。他方で、ロス氏は、大和証券には<不動産関連会社など子会社を含めた全ての資産をもう一度、厳しく再評価するよう要求した。>上、すべての情報を格付け会社に出さしたのです。その結果、格付けが維持され、大和証券が立ち直ることが出来たというのです。
ま、こういった毎日記事の展開は、企業に情報を隠すな、すべてを開示して格付け会社の適正な評価を得ることが世界市場で生き残る道だとでも行っているような節があります。その中に、倒産王の異名があるロス氏がいたり、絶対の権限者的な格付け会社ムーディーズがいるように見えるのです。そういった背景と今回の日本郵政の対応の評価とが一見、重なるようにも見えます。
しかし、私が言いたいのはこの文脈の危うさです。リーマンショックはなぜ起こったのでしょうか。ゴミクズのような債権が証券化され、どんどん投資の対象となり、飛躍的に証券市場も債券市場も沸騰したのはなぜでしょうか。ウォール街を代表する投資銀行のほとんどがこのような不良債権で巨額の利益を計上し、高い評価を得て株価も右肩上がりになったのはなぜでしょうか。
そのときムーディーズをはじめとする格付け会社はどうだったのでしょうか。トリプルAといった評価を下したのは外でもないこれら格付け会社です。資産評価はどうだったのでしょう。その後訴訟でゴールドマン・サックスなどはその問題を認め巨額の損害賠償に応じていますが、それは氷山の一角に過ぎないでしょう。
私はまだリーマンショックを生み出したアメリカの金融・投資・会計のいずれも信頼の基礎を欠いたままの状況にあるように思うのです。私の知見は、以前も指摘した『強欲の帝国 ウォール街に乗っ取られたアメリカ』 (チャールズ・ファーガソン 著/藤井清美 訳)によっていますので、反証を含め検討する必要があるものの、やはり返済できない人に住宅ローンを貸付けて、不動産バブル、そして株価バブルを生み出した構造は、異常と思っていますし、それを作りだしたアメリカの制度自体を額面通りに評価することはできないと思っています。上記の書籍でも指摘されていますが、制度が立派でも、動かすのはやはり人です。その人、ロス氏もその一員ではないかと思いますが、ほんとうに信頼に値する誠実さは説明責任を含め新たなルールが必要ではないかと思うのです。
ちょっと触れるつもりがつい長引いてしまいました。
もう6時になってしまいましたので、本日のテーマは簡単に述べたいと思います。
昨日のNHKガッテンは面白かったです。高速道路での追突事故がとても多いのだそうです。最近ドライブレコーダーの普及で、その事故状況の再現ができるケースが増えているのです。放映された画像では、事故で止まっている車に、まるで何もないかのように後続車が猛スピードでぶつかるのです。そういった事故がたくさんあるのです。
それは運転者が眠っているからと誰もが思うでしょう。ところがそうではないのです。しっかり運転者は目を開けて前を見ているのに、するすると惹きつけられるように被害車両にぶつけてしまうのです。それはシミュレーションで運転した多くの人も経験しています。
では眠っていないのに、なぜぶつかるのかと驚きますね。この問題を研究している名前等をすべて失念してしまいましたが、大学の名誉教授でしたか、この方によると、人間の目がもっている本質的な性質によるようです。網膜は中心部分は明確な対象を捉えるのですが、その外の周辺部はぼんやりとしかとらえないそうです。そして高速道路などでは次々と猛スピードで見える対象が変わっていくため、それらにすべて集中していると神経が疲れてしまうので、どうやら関係ないと思われる周辺は見えない状態にして緊張を和らげる、ま、神経の安定作用でしょうか、それが働くようです。すると、前方車両の一点に集中するというところまではわかったのですが、疲れてくると前方を見ているのですが、どうやら距離感とかもつかめなくなるようで、衝突回避の危険信号が視神経なり脳なりで判断できなくなるみたいです(このあたりになると私の推測)。
この問題の事故回避策は、当然ながら車間距離をとるというセオリーが働くようです。それを具体的に、前方車両が通り過ぎた目標点から3秒でしたか、4秒でしたか数えるだけ距離をとるといったことでしょうか。
次に、逆走の事故です。これも多いようです。ただ、高齢者が特別多いとはいえないようです。一番多いのは30歳未満の世代ですね。なぜ逆走するのかというと、どうやら標識に要因があるようです。たしかにドライバーが見えるように前方に標識を立てていますね。でもこれは有効ではないようです。高速道路に入る、から出るといった状況は、結構緊張しますね。そのときたくさんの標識があって、咄嗟に識別できるかというと簡単ではないように思うのです。解決策は、道路上に出口という表示をすることで、逆走が激減したそうです。
私は日本の道路標識があまりに多すぎることを問題と思っています。それは景観的にも望ましくないですし、ドライバーにとっても過度な緊張の機会を増やすことになるように思うのです。たとえばスピード制限の標識もそうです。北米などでは、ほとんど道路上に表示されていた記憶です。それは景観的にも優れていると思うのです。
わが国では道路景観アセスメントということがあまり取り上げられないように思いますが、北米では必須のポイントではないかと思っています。それは風景景観に悪影響のある標識・広告などを避けるというだけにとどまらず、道路のルートづくりをするときも、眺望景観のいいところを選ぶとか、あるいは直線道路が長くなるのを避けカーブを設けて、先の高速道路睡眠減少を回避するなどの効果も考えています。この道路景観アセスメントは多様な技法があり、わが国の土地問題もあり、直ちに取り入れられるものばかりではありませんが、検討してもらいたいものです。
最後に、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故です。これは歩行者などの死傷事故に繋がり、悲惨な結果を招く、ショッキングな画像がたくさん放映されていました。これは中には、認知症が原因とか、高齢化が原因とか、指摘されることがありますが、データでは明らかにそのような要因を重視すべきではないことが示されていました。私もそう思うのです。安易に認知症のある人、あるいはその疑いがある人に、運転免許証の返還とか、運転するべきでないといった意見が出されていますが、疑問です。
この踏み間違いは、実験結果やデータでは、たとえば突然、電話音が車の中で鳴り出すとかの予想外の出来事によって、運転者がショック状態に陥り、アクセルとブレーキを踏み間違うことが証明されています。それは普通にドライブしていた人が起こすのです。
その意味では、話しかけも場合によってはよくないでしょうね。たしかバスなどでは、運転手に話しかけないようにと注意書きがあったような記憶です。とはいえ、のんびりしていると、話しながら運転することは睡眠防止にもなり、いい場合もあるかと勝手に思っています。というのはカナダで経験しましたが、ある長距離バスに乗ったところ、ほとんど乗客がいなく、ちょっと運転手に行き先について話したところ、ずっと長時間話し続けたことがありますが、カナダらしいのんびりした運転環境だったかもしれません。
今日はこれでおしまいです。