たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

異常交通事故の原因 <NHKガッテン・交通事故から家族を守りたいSP>を見て

2017-04-27 | リスクと対応の多様性

170427 異常交通事故の原因 <NHKガッテン・交通事故から家族を守りたいSP>を見て

 

今朝も目覚めは軽やかな野帳の囀り。すごく身近に感じたので起きてみると、わが家の庭木ではなく、30mくらい離れたヒノキの穂先でした。囀りを聞いて野帳を識別できるほどバードウォッチャーになれてないため、望遠のビデオカメラを取り出してのぞこうとしたのですが、三脚を取り出すのとカメラの据え付けに時間がかかり、狙おうとした途端、飛び去ってしまいました。高齢化の影響でしょうか、ま、仕方がありません。敏速にというのはもう死語?になりつつあります。

 

だいたい山野断崖絶壁を駆け巡った頑強な空海が入滅した年齢をとっくに超えてしまっているわけですし、長く体調不調が続いていた身ですから、少し体調が回復したからといって油断大敵です。

 

昨日のブログでというかいつも何かを書こうと思っているのですが、メモ書きもせず、思いのまま書き連ねるわけですから、しょっちゅう忘れてしまいます。昨日のブログも肝心なことを忘れていたので、少し付け足したいと思います。

 

日本郵政は、海外企業の買収で巨額の損失を今年度会計で計上したわけですが、当然、損失処理するか悩みつつも、東芝が粉飾会計と非難されている原発企業・WHの巨額損失を先の不正会計処理のときも、その後同社が訴訟相手の建設業者を買収したときも、隠し続けてきたことが多少影響したのか、また、政府出資企業として東芝の二の舞にならないようにと判断したためか、早期に計上したことは評価できると思うのです。

 

で、ここから言い忘れた重要なポイントがあると思っています。いま毎日記事は連載で「変革」を掲載し、現在は大和証券の危機について連載しています。そこで、あの山一証券を含む証券・金融機関などの大型倒産が続いた90年代後半の危機状態の中、大和証券も崖っぷちに立っていた状況を取り上げています。大和証券も隠れた不良債権がバブル期から積み残されてきていました。格付け会社からの質問に対しても適当に答えていたところ、厳しい通告がきました。

 

大和への不信が高まり、企業の信用度を示す「格付け」は、98年6月に銀行から融資を受けられなくなる目安である「投資不適格」の一歩手前「Baa3」まで下がった。米格付け会社ムーディーズは「数カ月後にはさらに引き下げる」と通告してきた。>

 

これに対し、大和証券は、住友銀行との戦略的提携を発表しましたが、結果は変わりませんでした。そこで頼ったのが米国の現・商務長官で投資家のウィルバー・ロス(79)でした。ロス氏はムーディーズ本社に乗り込み、担当者に<「きちんと精査して出している結論なのか。根拠のない不十分な格付けなら訴訟を起こすぞ」。>と脅し上げたのです。他方で、ロス氏は、大和証券には<不動産関連会社など子会社を含めた全ての資産をもう一度、厳しく再評価するよう要求した。>上、すべての情報を格付け会社に出さしたのです。その結果、格付けが維持され、大和証券が立ち直ることが出来たというのです。

 

ま、こういった毎日記事の展開は、企業に情報を隠すな、すべてを開示して格付け会社の適正な評価を得ることが世界市場で生き残る道だとでも行っているような節があります。その中に、倒産王の異名があるロス氏がいたり、絶対の権限者的な格付け会社ムーディーズがいるように見えるのです。そういった背景と今回の日本郵政の対応の評価とが一見、重なるようにも見えます。

 

しかし、私が言いたいのはこの文脈の危うさです。リーマンショックはなぜ起こったのでしょうか。ゴミクズのような債権が証券化され、どんどん投資の対象となり、飛躍的に証券市場も債券市場も沸騰したのはなぜでしょうか。ウォール街を代表する投資銀行のほとんどがこのような不良債権で巨額の利益を計上し、高い評価を得て株価も右肩上がりになったのはなぜでしょうか。

 

そのときムーディーズをはじめとする格付け会社はどうだったのでしょうか。トリプルAといった評価を下したのは外でもないこれら格付け会社です。資産評価はどうだったのでしょう。その後訴訟でゴールドマン・サックスなどはその問題を認め巨額の損害賠償に応じていますが、それは氷山の一角に過ぎないでしょう。

 

私はまだリーマンショックを生み出したアメリカの金融・投資・会計のいずれも信頼の基礎を欠いたままの状況にあるように思うのです。私の知見は、以前も指摘した『強欲の帝国 ウォール街に乗っ取られたアメリカ』 (チャールズ・ファーガソン 著/藤井清美 訳)によっていますので、反証を含め検討する必要があるものの、やはり返済できない人に住宅ローンを貸付けて、不動産バブル、そして株価バブルを生み出した構造は、異常と思っていますし、それを作りだしたアメリカの制度自体を額面通りに評価することはできないと思っています。上記の書籍でも指摘されていますが、制度が立派でも、動かすのはやはり人です。その人、ロス氏もその一員ではないかと思いますが、ほんとうに信頼に値する誠実さは説明責任を含め新たなルールが必要ではないかと思うのです。

 

ちょっと触れるつもりがつい長引いてしまいました。

 

もう6時になってしまいましたので、本日のテーマは簡単に述べたいと思います。

 

昨日のNHKガッテンは面白かったです。高速道路での追突事故がとても多いのだそうです。最近ドライブレコーダーの普及で、その事故状況の再現ができるケースが増えているのです。放映された画像では、事故で止まっている車に、まるで何もないかのように後続車が猛スピードでぶつかるのです。そういった事故がたくさんあるのです。

 

それは運転者が眠っているからと誰もが思うでしょう。ところがそうではないのです。しっかり運転者は目を開けて前を見ているのに、するすると惹きつけられるように被害車両にぶつけてしまうのです。それはシミュレーションで運転した多くの人も経験しています。

 

では眠っていないのに、なぜぶつかるのかと驚きますね。この問題を研究している名前等をすべて失念してしまいましたが、大学の名誉教授でしたか、この方によると、人間の目がもっている本質的な性質によるようです。網膜は中心部分は明確な対象を捉えるのですが、その外の周辺部はぼんやりとしかとらえないそうです。そして高速道路などでは次々と猛スピードで見える対象が変わっていくため、それらにすべて集中していると神経が疲れてしまうので、どうやら関係ないと思われる周辺は見えない状態にして緊張を和らげる、ま、神経の安定作用でしょうか、それが働くようです。すると、前方車両の一点に集中するというところまではわかったのですが、疲れてくると前方を見ているのですが、どうやら距離感とかもつかめなくなるようで、衝突回避の危険信号が視神経なり脳なりで判断できなくなるみたいです(このあたりになると私の推測)。

 

この問題の事故回避策は、当然ながら車間距離をとるというセオリーが働くようです。それを具体的に、前方車両が通り過ぎた目標点から3秒でしたか、4秒でしたか数えるだけ距離をとるといったことでしょうか。

 

次に、逆走の事故です。これも多いようです。ただ、高齢者が特別多いとはいえないようです。一番多いのは30歳未満の世代ですね。なぜ逆走するのかというと、どうやら標識に要因があるようです。たしかにドライバーが見えるように前方に標識を立てていますね。でもこれは有効ではないようです。高速道路に入る、から出るといった状況は、結構緊張しますね。そのときたくさんの標識があって、咄嗟に識別できるかというと簡単ではないように思うのです。解決策は、道路上に出口という表示をすることで、逆走が激減したそうです。

 

私は日本の道路標識があまりに多すぎることを問題と思っています。それは景観的にも望ましくないですし、ドライバーにとっても過度な緊張の機会を増やすことになるように思うのです。たとえばスピード制限の標識もそうです。北米などでは、ほとんど道路上に表示されていた記憶です。それは景観的にも優れていると思うのです。

 

わが国では道路景観アセスメントということがあまり取り上げられないように思いますが、北米では必須のポイントではないかと思っています。それは風景景観に悪影響のある標識・広告などを避けるというだけにとどまらず、道路のルートづくりをするときも、眺望景観のいいところを選ぶとか、あるいは直線道路が長くなるのを避けカーブを設けて、先の高速道路睡眠減少を回避するなどの効果も考えています。この道路景観アセスメントは多様な技法があり、わが国の土地問題もあり、直ちに取り入れられるものばかりではありませんが、検討してもらいたいものです。

 

最後に、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故です。これは歩行者などの死傷事故に繋がり、悲惨な結果を招く、ショッキングな画像がたくさん放映されていました。これは中には、認知症が原因とか、高齢化が原因とか、指摘されることがありますが、データでは明らかにそのような要因を重視すべきではないことが示されていました。私もそう思うのです。安易に認知症のある人、あるいはその疑いがある人に、運転免許証の返還とか、運転するべきでないといった意見が出されていますが、疑問です。

 

この踏み間違いは、実験結果やデータでは、たとえば突然、電話音が車の中で鳴り出すとかの予想外の出来事によって、運転者がショック状態に陥り、アクセルとブレーキを踏み間違うことが証明されています。それは普通にドライブしていた人が起こすのです。

 

その意味では、話しかけも場合によってはよくないでしょうね。たしかバスなどでは、運転手に話しかけないようにと注意書きがあったような記憶です。とはいえ、のんびりしていると、話しながら運転することは睡眠防止にもなり、いい場合もあるかと勝手に思っています。というのはカナダで経験しましたが、ある長距離バスに乗ったところ、ほとんど乗客がいなく、ちょっと運転手に行き先について話したところ、ずっと長時間話し続けたことがありますが、カナダらしいのんびりした運転環境だったかもしれません。

 

今日はこれでおしまいです。


柔道の技の魅力とリスク <柔道事故 手足に障害、県敗訴 1.2億円支払い命じる>を読んで

2017-04-25 | リスクと対応の多様性

170425 柔道の技の魅力とリスク <柔道事故 手足に障害、県敗訴 1.2億円支払い命じる>を読んで

 

今朝も清々しい空気に包まれ、ウグイスが気持ちよさそうにまだ未熟な歌声を奏でています。相変わらずホオジロも一筆啓上を繰り返しています。静寂な中に生き物の活気を感じさせてくれます。

 

その雰囲気をベランダに出て、一杯の野菜ジュースを飲みながら、しばらく堪能しました。でもそうのんびりできません。出かける前に、サンルーフ用のポリカーボネートの波板が長すぎて、雨水が樋に落ちないで、そのまま落下する状態なので、これを短く切断しないといけません。それで波板ばさみというそれ専用のハサミを買ってきていたので、今朝は切断作業です。やはり素人、うまく切れません。力任せに切ると、斜めになったり、凸凹になってしまいます。これでは切れないなとあきらめかけたのですが、ハサミの形状が波打っていることから、これを波板の形状に合わせて切ればどうだろうと、試してみると、意外と簡単に切れました。これが分かったのがジグザグでめちゃくちゃに切った32を終えた後でした。説明書きでも読んでいれば、もう少しちゃんと切れたのにとは後の祭りです。

 

後の祭りはまだありました。そうやって樋に雨水が入るように短くしたのはいいのですが、こんどはピンで押さえつけていた部分が簡単にとれてしまうようになりました。波板が長すぎた分、無理矢理押さえ込んでいたのが、短くなり、ピンで押さえつけていた箇所のクッションが圧縮されすぎていたので、ピンが緩んでしまったのです。これではもう一度、穴家とピン押さえの作業が必要です。なんとも情けない話しで、まだこの波板張りは続きそうです。

 

と素人作業は進まないのですが、仕事の方は、今日は順調に和解成立し、今度は即決和解の申立をして、ある土地引渡請求事件が短期間で解決できそうになりました。大変な量の土砂・重機、産廃などがあり、訴訟になると時間がかかるなと心配していましたが、案ずるより産むが易しということもあります。といってもこれから計画通り進行するよう報告・現場立入など履行確保手段を実施して、監視体制をしっかりしていかないといけないと思っています。

 

さて、そろそろ本日のテーマに入りたいと思います。柔道の技の魅力とリスクというと、それは柔道という言葉を他の格闘技やスポーツに変えても通用する内容です。

 

そういえば、一昨日は井岡選手の14戦連勝記録達成のボクシング試合がありましたね。彼の鋭いパンチと安定した防御センスは見事です。力道山を直接見て感激した後、具志堅用高など活躍するボクシングファンになっていきましたが、今なおその技の魅力に時間を忘れてしまいます。

 

元に戻って、柔道も私の好きなスポーツ?格闘技?です。一応、耳に痕跡が残る程度には練習しました。嘉納治五郎のようにほんとに柔よく剛を制するという魅力はいまなかなか見ることができませんが、それでもやはり力に頼らず、体勢をいかに崩し、あるいは相手の腕の勢いを制しながら、縦横無尽に技をかけるような試合を見ることが出来ると、柔道の魅力が理解されると思うのです。

 

しかし、他方で、そのリスクは他のスポーツ以上にあるように思います。上段者がそうとうレベルの低い人を相手にするような場合だと、どのように投げても相手への衝撃がないように配慮するのが普通です。むろん上段者同志では切磋琢磨するので怪我をすることも少なくないでしょうが、その程度は深刻なものになることは少ないように思います。しかし、まだ経験の浅い人同士が柔道をすると、大きなリスクを孕むことになるでしょう。それは地からの入り具合や技の威力を知らない、無理な体勢で投げてしまう、相手への配慮まで働かないなど、いろいろな要因があるように思うのです。練習中でも必死にやっていれば、事故は起こります。ましてや試合中だと双方必死ですので、審判がいても危ない状態のまま倒れてしまうこともあります。

 

さて、<柔道事故手足に障害、県敗訴 1.2億円支払い命じる 福岡地裁判決>の事件は、詳細が報道されていないものの、記事によると<福岡県の県立高校の武道大会で柔道の試合中にけがをして手足に障害が残ったのは、教諭らが必要な指導を怠ったためとして、同校の生徒だった男性(22)と両親が県を相手取って計2億6800万円の損害賠償を求めた訴訟で、福岡地裁(平田直人裁判長)は24日、県に約1億2000万円の支払いを命じた。>とのこと。

 

そのけがの経緯については<相手に払い腰を掛けようとしてバランスを崩し、左側頭部から転倒。頸髄(けいずい)損傷などによって両手足に障害が残り、車椅子生活となった。>ということです。払い腰をかけようとした場合バランスを崩すというのはよくあることですし、ちょっとしたことで転倒しますし、相手がバランスを崩した状態を利用して技をかけることもあるでしょう。この技の掛け合い、あるいはバランスを崩して転倒したといったことで、指導教諭に責任を問うということはどういうことでしょう。

 

<平田裁判長は「大会はクラス対抗形式で競争心や顕示欲を必要以上にあおりかねないが、大会固有の危険性を十分に説明したとは認められない。安全指導の基本を欠いていた」と指摘。>とか、<前年度の大会で2件の事故が起きたのに予防策を協議した形跡もない>とか取り上げて、注意義務を認めていますが、これではよくわかりません。

 

大会固有の危険性とはなんでしょう。安全指導の基本を欠いていたというのですが、これだけでは予防的な意味も、結果回避策も具体性を欠き、有効とは思えません。と、簡単な記事だけで判決批判はしてはいけません。私もこれまで多くの事件が報道で取り上げられ、短い記事の場合などはとても的確な判決批評ができないと思っていました。

 

むろん判決文自体も事実認定などは、判決理由に結びつくのみを取り上げて多くの事実関係を省いてしまうのが普通で、そのような判決文の内容だけで判決批評をする論者もいますが、私自身はあまり評価していません。

 

話を戻します。練習中の事故の場合だと、その練習方法やその生徒の体調・能力などからリスクの程度もより明確になるかと思います。そのような事情を勘案して指導すべき注意義務も明確化しやすいように思いますが、試合となると、簡単ではないように思えるのです。

 

ここで、練習中の事故で頭部を受傷したのに、練習を継続させ、急性硬膜下血腫で死亡した事故について、学校側に安全配慮義務違反があったと認定した平成25514日の大津地判(判例時報219968頁)を取り上げてみたいと思います。

 

同地判では、まず、「学校の教育活動の一環として行われる課外のクラブ活動(部活動)において、生徒は担当教諭の指導監督に従って行動するのであるから、担当教諭は、できる限り生徒の安全にかかわる事故の危険性を具体的に予見し、その予見に基づいて当該事故の発生を未然に防止する措置を執り、クラブ活動中の生徒を保護すべき注意義務を負うものというべきである。」とクラブ活動一般について注意義務を担当教諭に課しています。

 

次に、柔道の場合について「技能を競い合う格闘技である柔道には、本来的に一定の危険が内在しているから、課外のクラブ活動としての柔道の指導、特に、心身共に未発達な中学校の生徒に対する柔道の指導にあっては、その指導に当たる者は、柔道の試合又は練習によって生ずるおそれのある危険から生徒を保護するために、常に安全面に十分な配慮をし、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負うものというべきである。」とよりリスクへの予防という一般的な注意義務を認めています。

 

さらに具体的な注意義務として、

「①生徒の実態(発育・発達段階、体力・運動能力、運動経験、既往症、意欲等)に応じた合理的で無理のない活動計画を作成する義務、

②練習中に怪我や事故が生じないように、練習メニューに頸部の強化トレーニングを盛り込むなどして、生徒が確実に受け身を習得することができるように指導する義務及び

③部員の健康状態を常に監視し、部員の健康状態に異常が生じないように配慮し、部員に何らかの異常を発見した場合には、その状態を確認し、必要に応じて医療機関への受診を指示し又は搬送を手配すべき義務」

を負っていたとして、前記の頭部への受傷があったことから、③の義務違反を認めています。

 

そして「柔道部顧問が同生徒の異変を認識した時点において直ちに練習を中止し、専門の脳外科を受診するなどしていれば、救命可能性はあった」としています。この点はどのように因果関係を認定したか、気になるところです。

 

いずれにしても、練習中の事故ということ、また、負傷後も練習を中止せず、継続させている点など問題にされてよいかと思います。とはいえ、柔道はもちろん他のスポーツでも、ある程度の負傷があっても本人が大丈夫だというと医療機関の判断を仰がず、自分の経験だけで判断して練習を継続させていることが少なくないのではと懸念しています。

 

さて、この大津地裁の判断基準は一応、目安にはなりますが、福岡地判の事案にどうあてはまるかと考えると、事実関係も明確でなく、相当異なるようにも思えますので、前記の①、②だけで判断できるか疑問です。③は試合中、負傷するまで、事故を予見できたと考えにくいので、これも当てはまりにくいかなと思うのです。

 

いずれにしても、福岡地裁の判決文を見ないとなんともいえません。控訴されるような事案かもしれません。

 

柔道はすばらしいスポーツです。嘉納治五郎の柔道にかけた情熱、その技の記録は卓越したものです。しかし、一般の人が柔道に取り組むとき、その安全配慮の適切なマニュアルが必要な時代かもしれません。嘉納治五郎の書籍を読めば理解できるのかもしれませんが。

 

今日はこれで終わりとします。

 


建築の耐震性 <日弁連シンポ「木造戸建住宅の耐震性は十分か?」・・>を読んで

2017-04-14 | リスクと対応の多様性

170414 建築の耐震性 <日弁連シンポ「木造戸建住宅の耐震性は十分か?」・・>を読んで

 

今朝は気分よく5時前に目覚めました。しばらくするといろんな野鳥のコーラスで賑わってきます。昨日も寝床の横に置いたまま寝入ってしまった『強欲の帝国 ウォール街に乗っ取られたアメリカ』を少し読みました。

 

わかりやすくリーマンショックの背景というか、アメリカ金融資本の実態を追求していて、たとえば企業の存続よりも、CEOをはじめ現場のトレーダーたちまで、個人としていかに多くの報酬をストックオプションや現金で獲得できるかに関心がいっていて、そのことにより多くの人が莫大な損害を受けても関知しない、まことに個人主義の徹底、個人的な「マネー追求主義」でしょうか、見事に表現されています。とても面白いのですが、なかなか読み切れないでいます。

 

6時になると庭の手入れやいろいろ作業があり、あっという間に出かける時間になります。そして今日は電気工事などの立会があり、自宅に立ち戻りました。さて出かけようと思ったら、思いがけない珍客です。野鳥の紳士、ツバメです。玄関ドアを開けっ放しにしていたためか、入ってきて出られないで家の中を飛び回っています。間近でツバメを見るのはあまり経験がないので、写真を撮ろうとするのですが、さすがツバメ返しの必殺技と名付けられるだけあり、素早い動きです。これまで部屋の中に、メジロ、セグロセキレイなどの経験があり、いずれも素早さでは負けていない印象です。

 

残念ながら、高所に立てこもり、うまく外に出すことが出来ず、とりあえずそのままにして仕事場にやってきました。これまで窓ガラスに当たって一旦気絶するというのは割合多く、大きいのではトビ、ヒヨドリなどがいましたが、いずれも残念ながら暖かく柔らかい体を掌に乗せてあげたものの息を吹き返すこともなく、土の中に埋めてやりました。中には暖かいタオルなどに包んで置いていると、目覚めて元気よく飛び回ることもあります。

 

さてこういった田舎生活の出来事は時折あり、意外と暇でもてあますということはないのです。

 

この話題はこれまでとして、今日の本題に入りたいと思います。たまたま日経アーキテクチャの今朝のメール便に見出しのテーマがあったのと、毎日記事でとくに興味を抱くものがなかったので、これを今日のテーマに取り上げることにしました。というか、シンポの司会者の吉岡氏、一度も会ったことがないのですが、地盤リスク工学会の研究会のメンバーで、積極的に活動しているようでして、現在は名前だけのメンバーになっている私としては、吉岡氏がどのようなシンポを開催しているのか興味を抱いたこともあります。

 

で、熊本地震については、先日、NHK番組について、住宅を支える・地盤リスクの問題としてこのブログでも取り上げましたが、日弁連シンポでは、建築リスクという住宅そのものの問題として議論しています。

 

熊本地震は、被災建築物の調査の結果、建築基準法の耐震基準の3段階に応じて、その有効性に明確な差が出ていることが判明しています。

 

日経ビルダー記事によると<日弁連消費者問題対策委員会土地・住宅部会委員の安田周平弁護士が弁護士会で入手した熊本地震の被害分析を報告。>

 

宮澤健二・工学院大学名誉教授が益城町内の被害集中地域で行った調査報告によると、以下の3期に分類しています。

815月までの旧耐震基準(第1期)

816月以降005月までを新耐震基準(第2期)

006月以降の新耐震基準(第3期)

 

安田氏の報告では、<“国交省は接合部不良が主たる原因としているが、それ以外にもたすき掛け筋かいやホールダウン金物の偏心配置などの不良施工がある”、さらに“このような被害は少なくとも審査・検査を省略する4号特例がなければ発生しなかったと言える”などの宮沢氏の指摘も紹介した。>と「このシンポのメインテーマ「4号特例」が問題の一因と結論づけ、その見直しを求める方向に議論を向けています。

 

これに対し、<国交省住宅局の石崎和志・建築指導課長は、「倒壊防止という意味で現行耐震規定の有効性を確認した」として、接合部の適切な設計・施工がなされるよう注意喚起することで足りるという姿勢を示した>と、安田氏による指摘に反論しています。

 

そして石崎氏によれば、

旧耐震(第1期)28.2%(214棟)、

新耐震(第2期)8.7%(76棟)、

32.2%(7棟)

<という倒壊率の調査結果を挙げ、「顕著な差があり、倒壊防止という意味で現行耐震規定の有効性を確認した」と述べ、「この差は新耐震の壁量は旧耐震の約1.4倍あるためと考えられる」と指摘した。 >ということで、新耐震基準、第2期、さらに第3期でより強化されているとの立場に立っています。建築行政の責任者としては当然でしょう。

 

 <また、「住宅性能表示の耐震等級3の住宅は新耐震基準の約1.5倍の壁量が確保されており、軽微・小破16棟で大部分が無被害であり、効果があることが当たり前の事実として確認された」とも述べた。

 さらに、「新耐震は倒壊した83棟中77棟で状況を把握・分析したが、原因は地盤、隣接棟、蟻害、それと接合部不良でこれが最も多い。壁や金物の偏心は調査時には分からなかった」と述べ、「耐震基準をさらに強化するのではなく、既存ストックを含め、現行基準が求める耐震性の確保を目指す」として、現行の仕様規定や「4号特例」を見直す必要性があるという認識は示さなかった。>

 

基本的には現行耐震基準の有効性は相当程度証明されているといえるのではないかと思います。しかし、これに対して<日弁連消費者問題対策委員会土地・住宅部会幹事の神崎哲弁護士は、00年以降に建てられた木造住宅にも問題があったと反論した。>

 

神崎氏は、施工瑕疵に加えて設計瑕疵を指摘しています。前者の問題はどのような耐震基準を設けても施工監理が適切に行われていなければ起こりうるわけですので、後者の問題がここでは主要争点となります。神崎氏は自らの設計瑕疵をめぐる訴訟事例を3つ取り上げて指摘しています。

 

1つ目は、2階建てで設計者が途中で交替した案件(A)。引き継いだデザイナー系建築士が大幅な設計変更を行って柱・梁を撤去したことで種々の構造欠陥が発生し、争いになった。吹き抜けが建物のあちこちに設けられ、水平剛性を期待できないという。>

 

マンションのような共同住宅であれば、設計変更はもちろん構造計算のやり直しが求められるでしょうけど、戸建て住宅だと、そもそも構造計算が想定されていないので、このような設計変更も新耐震基準の厳格性を張り子の虎状態にしてしまう危険はあるでしょう。

 

これは設計する建築士にも問題があると同様に、施主においても安易に設計変更を求める姿勢、その場合の耐震性の確保をあまり考えていない、その分の費用増加を想定していないことにも問題の背景があるようにも思うのです。

 

2つ目は、建築士資格のないリフォーム業者が中古売買を仲介したうえロフトの増築まで行った案件(B)。1階・2階とも平面上の同じ位置で狭窄しているが、ゾーニングをせず、全体を一体として壁量を検討しており、大幅な偏心が疑われる。現在係争中だ。>

 

マンションなどの場合、偏心構造は当たり前?かもしれませんし、構造計算もそれに応じてしっかりやっているのが本来でしょう。ところがマンションでも、地盤の地質状態に応じた偏心基礎構造にできているかというと、実際に掘ってみて初めて分かる場合も少なくないんので、その後に構造計算のやり直しで変更確認をとることも少なくないのではと思うのです。

 

しかし、中古住宅での増改築の場合、当然、偏心状態になり得るのですが、その点を踏まえて構造計算をするといった建築士はあまりいないのかもしれません。信頼できる建築士であれば、当然のこととして、施主に費用負担をお願いして改めて構造計算するでしょう。しかし、4号特例があると、建築士としてもそこまで施主にお願いするのは躊躇するのが風つかもしれません。

 

3つ目は、建築士の提案で小屋裏物置を設置した2階建ての案件(C)。実質3階建てで下屋もあり、その天井高さが主屋の床とずれてスキップフロア状態になっている物件。水平剛性と壁量の不足などを現在争っている。>

 

最近は規制緩和で、木造3階建てが増えてきているように思います。しかも上記のような変形というか、多様な3階建が生まれているように思うのです。すると構造計算も複雑になるのではないかと思います。そのような設計におけるデザインの自由性はこれらからも拡大すると思うのですが、そのことにより耐震性が脆弱になるリスクも増大するように思うのです。それを従来の4号特例ですましておいてよいか、今後もより具体的な検討・議論を深めてもらいたいと思います。

 

神崎氏は以下の提言を行っていますが、これを議論の俎上に乗せるに当たっては、施工上の瑕疵との峻別、地盤リスクの問題との峻別は事例の中でわかりやすくしておく必要があると思います。

 

<(14号建築物にも建築基準法で構造計算を義務付ける。

24号建築物について構造計算以外の構造安全性確認方法(建築基準法2014号のイの仕様規定)を残すならば、壁量の見直しなど規定の水準を改正し、水平剛性の見直しなど規定の方式を改正し、さらに梁断面寸法、柱・壁直下率、狭窄部がある場合の平面分割検討など項目を追加することで充実化・厳密化を図り、構造計算をしてもNGが出ない水準に改める。

34号建築物について、建築確認手続きにおける構造審査の特例(4号特例)を撤廃する。合わせて4号建築物を設計・監理できる建築士を限定する方向へ建築士制度を改革する。>

 

なお、上記の議論とは関係ないですが、参考までに国交省の耐震対策についてURLを援用しておきます。

 

国交省 住宅・建築物の耐震化について

http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/house/jutakukentiku_house_fr_000043.html 

建築物の耐震改修の促進に関する法律等の改正概要(平成2511月施行)

http://www.mlit.go.jp/jutakukentiku/build/jutakukentiku_house_fr_000054.html 

 

今日は割合、時間に余裕があったので、業務終了時間前にブログを書き終えました。ま、終わらせたという、いつもの調子ですが。


用排水路と安全など NHK報道の死亡事故増加を見て

2017-02-08 | リスクと対応の多様性

170208 用排水路と安全など NHK報道の死亡事故増加を見て

 

今日もトラブル続きで、なかなかブログを書く時間がとれず、機械の故障もあり、とてもなにかを書く余裕がなさそうです。はじめは別のテーマ、毎日の<日本の研究者に米軍資金 「軍事研究拒否」形骸化>とNHKBS放送された「原爆投下 知られざる作戦を追う」を考えてみようかと思っていましたが、頭の中の整理もままならず、表題のテーマで駆け足して終わろうと思っています。これはまた別の機会にとっておくことにします。こういうのが多いので、いつになるやら。

 

さて、今朝のNHKニュースで、ほんの一瞬、用水路での死亡事故が増えていること、その管理主体がはっきりしないこと、安全策として金網などを設置しているが予算が不足して自治体が補助することを検討しているといったような内容だったと思います。

 

私自身、昔、この種の問題を書いた書籍を読んだきりで、あまり勉強していないので、正確なことはいえませんが、水利組合の役員をほんの少しやった経験と、河川というか水際の利用と安全性について、これまた30年位昔、横浜市立大で話をさせてもらったとき少し勉強した程度の知見で、少し考えてみたいと思います。以下は書籍や裁判例を踏まえたものではなく、頭に残っているわずかな知識で、書いています。

 

水路といえば、通常は潅漑用水路でしょうか。潅漑用に流す水路は用水路として、そして利用した水を排水する水路は排水路として、一応、区別して利用されています。こういった用排水路について、直接的な法規制はないように思います。管理についても、明確になっているところは少ないのではないかと思います。

 

とりわけ慣行水利権として長年利用されてきたような水路のうち、幹線的な水路は地元の水利組合が管理していて、それ以外の各農地間に流れる水路については、水路に接して利用する農地所有者がそれぞれ管理することが普通ではないかと思います。土地改良法に基づき圃場整備が行われて新たに整備された用排水路は土地改良区が担うことが多いでしょう。

 

とはいえ、その管理といっても、草取りや水漏れの補修、崩れた土手の小規模改修などは水利組合ないし土地改良区が行っているのではと思います。費用も構成員の負担で一定程度やっているようですが、少し規模が大きくなると自治体が行うように思います。

 

農村地域は、とくに西日本では、ため池と用排水路がたくさんあります。和歌山もそうですね。で実際に当地で死亡事故が起こったというのは聞いていませんが、現在の用排水路の構造・形態を見ると、決して安全だと言い切ることはできないと思います。

 

当地の用排水路は、おそらく数十年前にくらいに、ある箇所以降を掘り下げて、コンクリート三面張りにして、高低差が2mを優に超える深さ、幅が3mくらいでしょうか、大きな構造になっています。さらに紀ノ川に近づくにつれて規模が大きくなっています。

 

その排水路沿いは一部柵はありますが、通路を車が通れるようになっているものの、ほとんど柵がありません。いつだったか、軽四が排水路に落ちたそうです。その後、クレーン車に来てもらってあげてもらったのでしょう。幸い、運転者はたいした怪我もなかったそうです。

 

子どもは、昔は通学路だったそうですが、少なくとも大規模排水路になってからは通学路としては利用されていません。とはいえ、少なくない子どもたちにとっては、フナや亀などいろいろいて楽しいのでしょう、排水路に降りていって、水の中で遊んでいます。

 

そういえば紀ノ川も遊んではいけない場所のようです。たしかに川の地形や流れの状況を理解していないと、底が浅いと思っていても、いきなり深くなっているところがあり、川の流れも急なところもあるので、砂利に足を取られたりすると、転んで浅いところでも溺れる危険はないとはいえないでしょう。

 

また、ため池も多いですが、これも遊んではいけないことになっていますが、中には釣りにやってくる子どもがいます。

 

ため池も、私自身2度でしたか、空にして堆積した土砂、汚泥を取り除くため、カラスというため池の底を抜く樋を開けるため、入っていったことがありますが、ずぶずぶですね。で、ため池は通常、堤防で仕切られていますが、傾斜になっていて、仮に貯水状態で水の中に滑ってしまうと、底なし沼とまでいかないですが、ずぶずぶと埋まってしまうようで、当然足も取られるので、溺れる危険があるでしょう。

 

しかし、溺れる危険があるから、近づかないのが正しいあり方かは、それぞれの地域特性や地域住民の意識を踏まえて考える必要があるように思います。近づかないように、金網のフェンスをつけるとかしても、そこの一部を破って、あるいは乗り越えて、入っていく可能性は否定できません。それで安全対策を講じていたと言い切ることも難しい場合もあるでしょう。穴が空いているのを放置したなんて言われかねません。

 

子どもだけでなく大人、とくに高齢者についても配慮が必要で、それぞれ共通する視点と異なる視点が必要かと思うのです。

 

少なくとも、水と安全に付き合う方法、その危険性を理解させること、その場所を選んで子どもには経験させることが大事ではないかと思うのです。単に危険に近づかない、近づかせないという、看板や警告は、決して有効な手法とは思えません。

 

子どもにとって、水の中にいる生物と興じることは心の成長や生態系への理解にとって、とても大切なことだと思います。それはときには両親や近所の人が、ときには学校の先生が一緒になって遊んであげること、そしてその危険性を一緒に考えることが大事だと思うのです。

 

議論が全然違うかもしれませんが、知らないことによる恐怖感というのは、かえって危険になると思っています。アメリカ白人が、黒人を、ヒスパニックを、いまではイスラム教徒を、異常なほど危険視しているように見えます。それもイスラム教徒でも、サウジアラビアやエジプトのように内部で極端な差別的取扱がされているのを無視し、それ以外の7カ国を敵視するトランプ政権のあり方は、まさにそのような現れの一つに思えるのです。イスラム教徒を知ろうともせず、胆略的にテロと結びつける今回の入国禁止大統領令は、白人層を含むアメリカ人の大半が支持しているとも報じられています。彼らのこのような過激な敵視思想は、相手を知ろうとしないことも一つの要因ではないかと思うのです。

 

さて軌道に戻すと、危険に対して、その危険の実態をよく知ることが大事だと思うのです。

むろん、水路の安全管理の責任が、水利組合なり、自治体なりにあることは前提であり、その安全配慮の対応は不可欠と思いますが、それはハードで、壁をつくることがベストではないと思うのです。ソフト的手法、危険といい付き合いをする、意識を持たせることが大事だと思うのです。

 

その中で、これ以上の危険は避けるべきというのがある程度醸成されていくように思うのです。

 

それは危険箇所の把握です。ため池や用排水路、自然河川がすべて危険なわけではなく、いずれもラムサール条約の対象となりうる、生態系が豊かな場所であり、そのような恵まれた環境を知ること、その生態とともに生きることの重要性を知ることも大事でしょう。

 

また、高齢者に多い、大雨や台風などでの、状況把握のために、あるいは枯れ枝などで堰止められていないか監視活動をしたりするため、あるいは支障木の除去作業をしたりしていて、用排水路に落ちてしまう事故も少なくないと思います。

 

私も大雨の時など心配になり、見に行きます。しかし、その流れは荒れ狂っていて、普段の姿とはまったく異なります。足下も不安定になっています。溢水している場合もあります。枯れ木が流れてくることもあります。強風に飛ばされそうになることもしばしばです。

 

朝早かったり、夜であったりすることもあり、懐中電灯では視界が狭くとても周りがよく見える状況ではないことが少なくありません。

 

でも多くの高齢者は、不安になって出かけます。そのような活動を止めることが一番と言うことは誰もが承知しています。でも多くは自分がやらなければと思っている人なのだと思います。それが農村者会で生きている少なくない高齢者の生き方かもしれません。

 

とはいえ、高齢になると、以前ほどには対応できないことと、最近の異常な豪雨は、予想できない程度に到っていると思います。改めて地域の共同活動の必要を感じます。ハザードマップができ、配布されるようになりましたが、これは一応のもので、現実の危険に対応するものにまだなっていません。このようなハザードマップの広報を通じて、改めて自然の異変に対応できる地域における組織作り、その中で個々の高齢者の単独活動を最小化する努力が必要ではないかと思うのです。といっても農村でがんばっているひとはすでに60過ぎで若い、70代がまだ元気という調子ですから、若者が関与できるような組織作りを考えていかないといけないでしょう。

 

それには、子どもの遊び場として、その若い両親と高齢者層が共同して楽しめるような活動ができるようになるといいなと期待して、今日は終わります。


タクシー事故について 2つの事故を少し考える

2016-12-08 | リスクと対応の多様性

161208 タクシー事故について 2つの事故を少し考える

 

今日は仕事で結構疲れてしまって、ただぼっと疲れている状態です。それで疲れについて昔の高僧の人たちはどのように対処したのかなどと冥想というか、迷走の中で何も考えたくないと思いつつ、このブログをやはり今日も書いてみようかとタイピングを始めました。

 

人は誰でも疲れるでしょう。空海のように若いときから山河を渉猟し、唐の国に渡り筆づくり、お茶、土木など各方面に力を注ぎ、当時最先端の密教の伝授を受けて帰国し、さらに嵯峨天皇、淳和天皇などから頼られつつも、都で東寺をはじめいくつもの大寺を治め、その上都から遠く離れた高野山で開山するわけで、とても人の能力ではなせないことをやりとげた、そこには疲れというのはなかったのかと思うこともあります。それでも最後の2年くらいは静寂そのものだったのではないかと思ったりします。すべての疲れはここで安らぎをえたのかしらなんて。

 

西行もほんとに動いていますね。北面の武士だったから、体力には自信があったのかもしれませんが、東奔西走しています。高野山での30年はよくわかりませんが、高野山を下りて都を往復していたこともあり、紀ノ川を何度も渡ったと思われるのですが、一つも歌に残していません。私のような凡人には、紀ノ川の河畔から見上げた、高野の山々、反対の和泉山系、そして当時は荒れ狂ったこともある自然の河川景観、いずれも感慨深いものではないかと思うのですが、疲れを知らない西行はあまり休みもせずに、歩き続けたのでしょうか。

 

道元はとか、それを慕った良寛はとか、いろいろ書いてみたくなってきましたが、本題と離れてしまいそうで、ここまでとします。

 

ところで、最近の報道で、60代のタクシー運転手、しかも模範的なドライバーが、死傷事故を起こしたことが続けて取り上げられています。私も同じ年代の運転手で、しかも運転がとても上手とは言えない身ですので、気になります。

 

いま記事を見る余裕がないので、記憶だけで書いてみます。たしか一つは、病院の一階ロビーに突っ込んだ事故でした。事故前に用足しして、たしか200m近い直線の一方通行の道を走り、途中に交差する道路が2つ一時停止の標識があるのにいずれも停まらず、そのまま進んで、ロビーのガラスを割って、病院内の壁にぶつかってようやく停まったかと思います。運転手は、ブレーキを踏んだのに、きかなかったという弁解していたかと思います。

 

しかし、おかしいですね。一時停止を2回もそのまま進行し、さらに病院の建物の前では、直進しないで、庭石と建物の柱の間を少し右にハンドルを切って進行したようでした。その結果、建物の外にいた患者と見舞客がぶつかり亡くなったようでした。その位置関係は、はっきりした情報がなかった記憶です。プロの運転手であれば、ブレーキがきかないことがわかれば、進行途中で周辺に停まっている車や、壁にぶつけてでも、人に当たらないようにするぐらいはそれほど難しいことではないかと思います。だいたい、病院の建物の庭先ではちゃんとハンドルを切っているわけですから、ハンドル操作もおかしいですね。

 

模範運転手と言われている人ですが、用足しをした後、なにか異変があったのか、疲れがでたのか、やはり運転に問題があったように思えるのです。むろん事実関係がまだはっきりしないので、予断は禁物ですが、いままで分かっている情報からすると、そのように思えるのです。用足しした後、運転を開始した直後に起こっているところが気になります。高齢に也疲れがたまると、用足しによる体調変化もあり得るのではないかと思ったりします。

 

もう一つの事故は、たしか片側3車線の大通りを走っていて、一旦左端のレーンで停止して、お客を降ろし、再び運転して、右のレーンに入ろうとして、後方から来た車に追突され、ブレーキやハンドル操作が適切にできないまま、歩道に乗り上げ、そこにいた歩行者を死傷させた事故だった記憶です。

 

これは一応、無理な車線変更という最初のミスがきっかけですが、追突された後の制御不能の状態に近いことがうかがえる点が問題ではないかと思うのです。私も雪道でまったくハンドルが取られて制御不能となって、停まっている車に追突したことがあります。スピードがほとんどでていないときなのでスローモーションのような不気味な感じで、当たると思っても避けようがありませんでした。そのときは長いドライブでとても疲れていて、ハンドル操作も気持ちも鈍っていたかもしれません。

 

で、このタクシー運転手も結構疲れていたのではないかと勝手に推測してしまいました。あるいは油断があって無理な車線変更したが、ぶつけられ、当惑仰天して、的確な判断というか、ハンドル操作ができなかったのかもしれません。疲れと断定はできませんが、優秀なドライバーも、疲れを適宜適切にとらないと、悲惨な事故になるように思う次第です。

 

駄文を書き続けてしまいましたが、この辺で終わりにします。これは休めという警告かもしれません。