たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

医療現場は変わってきた? <医師の働き方改革 命守る現場、苦渋 夜間・休日の診療体制縮小>などを読みながら

2018-08-05 | 医療・医薬・医師のあり方

180805 医療現場は変わってきた? <医師の働き方改革 命守る現場、苦渋 夜間・休日の診療体制縮小>などを読みながら

 

今日も市役所のアナウンスが聞こえてきました。熱中症の警報がでているようで、水分補給の注意喚起でした。実際は、あまり聞きとろうという気持ちにもならないのと、やはりいくら晴天でも広報アナウンスはやはり聞き取りにくいですね。だいたい暑いのにそのような音に集中する気にもなれません。大音量では騒音みたいでかえって体温が上がりそうです。

 

熱中症の対応策に広報アナウンスが適切か、と思うのです。熱中症で救急搬送されている人が増えているから、行政もなんとか対応しないといけないとこういった慣行的な手法を採用するのでしょうか。熱中症対策は、大音量アナウンスより、適切な知識の啓蒙の方がよほど大切ではないかと思うのです。室内でも室外でも、暑くてかなわないと、水分補給ばかりしていると、塩分不足になって、めまい・吐き気などかえって症状を悪化させる例が少なくないと聞きます。水分と塩分をバランス良く持続的・定期的に適量補給することが大切なのに、一度にがばっと水を飲んだりして意識喪失したり、救急搬送されたりといったこともあるそうですね。

 

今日のテーマは医療現場、とくに医師の働き方が適切な状態かなんですが、熱中症に触れたのは背景事情の一つかなと思ったからです。

 

ところで、いまだに長時間労働が常態化していたり、他方で、大病院の待ち時間が23時間は当たり前という、にもかかわらず病院経営が厳しいとか、医療費の負担が行政も住民も同じく重荷になりつつあるというのですから、一体全体どうなっているのでしょう。

 

623日の毎日記事では<焦点・働き方改革首都圏・総合病院の医師悲痛 当直明けも分刻み 「長時間労働、野放し状態」>と、働き方改革で取り残されてきた重要な分野、医師の問題を取り上げています

 

<働き方改革関連法案には、終業と始業の間に一定の休息時間を確保する「勤務間インターバル制度」が努力義務として盛り込まれた。>これ誰もが当たり前の事柄ですが、ところが「勤務間インターバル制度」を医療の世界で問題となっているようです。

 

<医療現場では、医師や看護師の過労は医療の質の低下やミスにつながるとして、制度の必要性が叫ばれている。首都圏にある総合病院で、医師の働き方を追った。【市川明代】>と医師・看護師には適切なインターバルが保証されていないようです。

 

医師の厳しい実態(看護師もだと思います)は、この記事でリアルに取り上げられています。

<午前7時15分に起床した当直勤務の男性医師(43)が、疲れ切った表情を見せた。この病院の当直は2人体制。夜間・休日の救急患者は多く、仮眠はほとんど取れない。>

 

私が取り扱ったことのあるブラック企業といわれる勤務形態でも、これほどひどくはないですね。給料が違う、命がかかっている仕事だから別だと言われるかもしれませんが、やはり人間の肉体にも限界がありますからね、是非とも検討してもらいたいです。

 

 仮眠がほとんどとれない事情は次の経過でよくわかります。

<前夜に男性医師は、3カ月の乳児の頭部打撲の診察、食物アレルギーの患者への対応が続いた。さらに救急搬送された高齢者の入院措置、血圧が低下しショック状態となった入院患者への処置……と追われ、休めたのは午前4時半。「患者さんの前で眠そうな顔はできないですよね」と言う。

 

仮眠がとれないうえに、当直明けもびっしり仕事が詰まっているんですね。驚きです。

< 当直明けも分刻みのスケジュールが待つ。午前9時15分、研修医の受け持ち患者の治療経過を確認。「この患者さん、こんなに薬必要?」「見逃すと、何年か後にがんで亡くなってしまうということもある。ここはしっかり調べたほうがいい」。医師の卵たちに、かみ砕いて説明する。

 午前11時過ぎ、入院患者の家族との面会。高齢で衰弱が激しいため、最善を尽くしつつ無理な延命措置はしないことを確認する。

 同20分、透析導入に向けた手術を翌日に控えた男性と面談。術後合併症の可能性などについて伝え、同意書にサインを求める。

 20分後、自身が主治医を務める患者を巡回。午後0時半、担当科の医師を集め、患者の治療方針を協議する。

 一息ついたのは午後2時前。その後も午後8時近くまで、カンファレンス(会議)などに追われた。>というのですから、緊張しているのと、まだ40代前半ですから体がもっているのでしょうけど、こんな状態で長年仕事を継続していると、いつ倒れてもおかしくないかもしれません。

 

医師の正直な気持ちもちゃんと取り上げています。

<「さすがに疲れました。36時間、同じパフォーマンスを維持するのは不可能です」。当直明けに外来診療が入っている日は精神的な負荷も増す。当直は月5回程度。疲労を引きずったまま次の番が回ってくる。>

 

医師の当直に対す報酬ないし給与の支払いについて、厚労省の基本スタンスには驚かされます。

<厚生労働省は「医師の宿直」について「ほとんど労働する必要がない」場合に限り、労働時間に含まないものと認めている。>だいたい、そんな当直だったら、病院側から求められることもあまりないでしょう。私の狭い聞き取りでは、多くは上記のようなケースではないかと思います。入院患者はもちろん、救急患者もいますので、それでたいていの患者さんはとくに夜間対応に感謝の気持ちを抱くのではないかと思うのです。

 

ところが、その賃金がきちんと支払われていないと言うのですから驚きですね。

<当直の医師がほとんど寝ずに働いていても、残業代や夜間の割増賃金が支払われず、労働基準監督署から未払いを指摘されるケースが相次いでいる。医師の働き方改革を進めるには、医師の確保や診療報酬引き上げの議論が避けて通れないため、後回しになってきた。>

 

83日付け毎日記事<クローズアップ2018医師の働き方改革 命守る現場、苦渋 夜間・休日の診療体制縮小 「医療の質」維持に不安も>では、病院側にショック療法的な対応が出ていることが取り上げられています。

 

<「患者さんの受け入れを中止します」。5月、杏林大病院(東京都三鷹市)の救急外来窓口に、こんな「お知らせ」が張り出された。泌尿器科や神経内科、眼科など12診療科について、午後10時以降の深夜帯での軽症患者の受け入れをやめるという内容だ。>

 

<労働基準監督署に昨秋、医師の長時間労働の是正を求められたことがきっかけだった。>いままで問題にされなかったことがおかしいのですから、病院の経営者はもっと前に、適切な対応を構築すべく検討しておくべきだったと思います。

 

患者ファーストとか、患者様とか言って、患者側の申し出ならなんでも聞くなんてことはどこの病院でもないはずです。患者側、医師側、それぞれが節度をもって対応するのが本筋でしょう。形だけ患者サイドに立つような雰囲気をだしても、患者側の立場をそんちょうしないような対応は望ましくないのは当然です。

 

他方で、患者側が自分本位の対応を一方的に求めるとすれば、それは制約があってもしかるべきではないかと思うのです。

<今年から患者と家族への病状説明も日中に限っているが、家族が仕事帰りに来院すれば夜間でも対応せざるを得ないのが実情だ。病院の担当者は「患者にも協力を求めたい」と訴える。>当然でしょうし、相互に協議をしてもらいたいですね。

 

医師が長時間労働を強いられ、過労状態だったりすれば、一人ひとりの患者に適切な対応を求めるのが無理な相談でしょう。医師の権利、働きやすさをしっかりサポートする仕組みをみんなで作り上げていく必要があるでしょう。

 

<さまざまな医療問題に患者の立場で提言しているNPO法人「ささえあい医療人権センターCOML(コムル)」の山口育子理事長は「患者も睡眠不足や疲れ切った医師に診てもらいたくない。夜間や土日の病状説明で医師の長時間労働を助長させないよう『家族が病気で医師から説明を受けるため、昼間少し仕事を抜けさせてください』と誰もが職場で気兼ねなく言える社会に変えることが必要だ」と、医療を受ける側の意識改革も訴える。【熊谷豪】>

 

大病院で長時間待つのが当たり前というのはそろそろ過去の話にしてもらいたいものです。私は今、予約制で、待ってもせいぜい30分程度、短いとその半分くらいでしょうか。大学病院でも、やろうと思えばできるはずです。それには身近なかかりつけ医をもち、たいていの病気はそこで診てもらい、大病院には紹介がある場合にのみお願いするのを徹底してみてはどうでしょう。

 

さらにいえば、医者いらずという健康状態を長く続ける努力を市民、患者予備軍も心がけたいものですね。

 

今日はこれにておしまい。また明日。

 

 


医師と教育への信頼が揺らぐ <文科省汚職 前局長起訴 賄賂性の認識争点 地検、音声データに着目>などを読みながら

2018-07-25 | 医療・医薬・医師のあり方

180725 医師と教育への信頼が揺らぐ <文科省汚職 前局長起訴 賄賂性の認識争点 地検、音声データに着目>などを読みながら

 

定期的に診察を受けている主治医の先生からは、症状自体が改善傾向にある中、熱中症を心配されました。あまり外で活動しないので、日中はほとんど暑さを感じず、クーラーをつけない自宅での暑さは少し大変ですが、熱帯調査をしばらく経験したので、それに比べるとなんでもないですと答えました。ま、いろいろと気遣ってくれていますので、きちんとした回答になっていないことを自覚しつつも、主治医の心遣いには感謝する次第です。

 

こういう医師と患者の関係性は長く治療を受けていく中で生まれてくるものでしょうけど、それでも最初に対面したときからこの先生ならお願いしようと考えるのではないかと思うのです。そういう医師に出会うのは容易でないですが、一旦信頼関係が生まれると、後はあっちこっちの医療機関に頼ることがなくなり、気持ちも楽です。長い旅路でした。

 

さて、そういう医師が生まれるような教育体制にいまなっているのか、懸念される事件が起こりましたね。ま、こういった事件は氷山の一角かもしれませんが、ここまでリアルだと、他の医学部も大丈夫かと心配になります。

 

今朝の毎日は文科省汚職の起訴事実を報じる中で、否認している収賄側の争点と癒着の背景をとりあげた<クローズアップ2018文科省汚職 前局長起訴 賄賂性の認識争点 地検、音声データに着目>と、その贈賄側の事情をより詳細に伝える<文科省汚職東京医大贈収賄 前局長を起訴 前理事長ら在宅で 東京地検>と、2つの切り口で取り上げていました。

 

大学補助金について政府が競争的資金の割合を増やした結果、癒着の温床の可能性が広がったかのような指摘でした。競争的資金が増えること自体が必ずしも問題ではないかもしれません。その割り当ての基準や選択が必ずしも明確でなかったり可視化されていないところに、文科省前局長が選定に関与するような可能性が生まれているのかもしれません。

 

それは加計学園問題となにか似たような構造にも見えます。ただ、今回は補助金の問題よりも、贈賄側が認めている不正合格という問題を中心に書いてみたいと思います。

 

その前に、クローズアップで取り上げている収賄側の争点について一言触れておこうかと思います。

 

記事では争点について、<受託収賄罪は「公務員が職務に関し、請託(要請)を受けて賄賂を受け取った」場合に成立する。今回の事件でのポイントは、(1)佐野前局長に「職務」上の権限があったか(2)前局長が「息子の不正合格」を賄賂と認識していたか--の二つだった。>とまとめています。

 

(1)について、東京地検特捜部は、前局長が<「私立大学研究ブランディング事業」の対象校選定を巡って臼井前理事長から便宜要請を受けた当時、佐野前局長は同事業を直接担当しない官房長の地位にあった。そのため、前局長は「助言はしたが、職務権限はなかった」>との反論に対し、<各省庁において官房長は幅広い権限を持つとされており、前局長の過去の経歴なども踏まえると同大側に有利な助言ができる立場だった--。>と判断しているようです。

 

この特捜部の見解で職務権限性がクリアするのか疑問ですが、法的権限だけでなく、実際の影響力を過去の実績からいえるような材料でも掴んでいるのでしょうかね。結構ハードルが高そうです。でも国民の立場からすると、そんなに要件を厳しくしたら、収賄罪が成立するような自体は、よほど厚顔無恥な人間でないとありえないことになりそうです。その意味では特捜の努力に期待したいのが心情かもしれません。

 

(2)については、<前局長は「不正合格を依頼していないし、息子が不正合格だったかも知らない」と否定しているという。>と弁解しているようです。これに対し特捜部は<昨年5月10日に佐野前局長と臼井前理事長が会食した際の音声データを入手。会食の場で前局長は息子が同大進学を志望していると明かし、前理事長に対して「よろしく」と発言したという。別の機会でも、前理事長が前局長に「正規合格がいいか、補欠がいいか」などと確認したとされ、賄賂性の認識を補強する証拠とみている模様だ。>とのこと。

 

音声データは贈賄側がとっていたのでしょうね。この会食はおそらく贈賄側が払ったのではないかと思うのですが、これも賄賂性がありますが、この程度だと対象校選定といったことに対する賄賂性が弱いと考えたのでしょう。

 

ここで前局長は<息子が同大進学を志望していると明かし、前理事長に対して「よろしく」と発言>といったことは間違いないのだと思います。これは一線を越えていると、公務員であればだれもが思うのではないでしょうか。合格したのでよろしくということでも怪しいですが、進学志望でその大学の実力者によそしくはないでしょう。教育行政のトップにある人間が、息子の進学先を告げ、その大学トップによろしくと告げること自体、とても李下に冠を正さずの域を超えている発言としか思えません。恥ずかしい限りです。なぜこのような官僚を生み出しか、安倍政権や与党は深刻に考えて欲しいと思うのです。

 

両者を仲介したとされる谷口元役員が<前局長の息子が今年2月の受験前、フィリピン・セブ島に旅行した際の費用の一部を谷口元役員の関連会社が負担していること>は、前局長も知らないでは済ませられないでしょう。それは受験前に息子が旅行すること自体、合格を確信しているかのように見えますし、その費用を支払わせているわけですから、少なくともそのような出費をさせてもよいとの認識があったと思われます。まったくもって信じられない前局長および一家の姿勢です。

 

ちょっと前置きが長くなりすぎました。今日のポイントは不正合格です。

音声データにあるのでしょうかね、<別の機会でも、前理事長が前局長に「正規合格がいいか、補欠がいいか」などと確認した>という部分。これはそのとおりだとすると、前理事長は、前局長の息子が合格点をとっていないことをすでに確認しているとしか思えません。この質問に対する前局長の回答はオフレコなのか、記事になっていませんが、たしか最終的には点数を嵩上げして合格させているのではなかったでしょうか。

 

これこそ時代錯誤的な大胆不敵というか、医師を育てる大学のトップのやることか、それは大学スタッフのそれなりの人間が関与してやることでしょうから、お粗末というより、大学教育自体を疑わざるをえなくなります。

 

少し前の記事で<文科省汚職受験者をランク付け 東京医大裏口リスト>というのがありました。

 

裏口入学リストがあるのですね。<贈賄側とされる東京医科大(東京都新宿区)の内部で作成された「裏口入学リスト」とみられる複数の資料を毎日新聞が入手した。一部には、受験生名の横に「◎」「○」といった印が付けられ、同大関係者は「合格優先度を示したもの」と証言。>

 

その手口も紹介されています。

<毎日新聞が入手したリストは5~10年ほど前の入試で使われていたとみられ、手書きのほか、パソコンで作成されたものがある。大学関係者は取材に対し、「入試の点数を加点する受験生のリスト」と証言した。>これはこの大学だけの問題なのでしょうか、医学部への入学が狭い門であることは有名ですが、他方で、裏口入学といううわさは昔からあったかと思います。それが現代でも行われていることが赤裸々になったわけですね。

 

医師は患者との間で、人と人との関係をづくりをして初めて適切な医療行為を行えるのではないかと思うのです。画像診断だけを頼りにしたり、検査結果だけに注目して、人の心やバックグラウンド、体全体を見ない医師が増えたとも言われています。医学部入学のために成績だけよくすることにしゃかりきになり、人と人の交流をおろそかにしてきたような人が医師になることは避けてもらいたいと思いますし、ましてや不正合格してまで医師になろうなんて人は、まともに患者を診察できるでしょうか。

 

その画像診断はすでに検査結果を見落としたり、他の専門分野についてはまったく無関心であったりといった医師が目立つようになっているようです。TVで登場するような医師や研修医はほんとに一生懸命にやっているように見えます。そういう心ある医師を育てて欲しいと思うのです。ついでにわが子もそういう心ある医師になってもらいたいと勝手な親の希望です。

 

今日はそろそろ時間となりました。また明日。

 


画像診断の信頼性 <画像診断、がん見落としなぜ?>を読みながら

2018-06-22 | 医療・医薬・医師のあり方

180622 画像診断の信頼性 <画像診断、がん見落としなぜ?>を読みながら

 

今朝はなぜか4時過ぎに目覚め、しばらくうとうとしながら、野鳥の声が賑やかになったので、起き出しました。

 

最近は繁殖の時期ではないのでしょう、以前ほど騒がしくないのです。ところが急にばたばたと大きな音。驚いて窓の外を見ると、ベランダの手すりの上で、イソヒヨドリ2羽が戦っているのです。きっと一羽がここを縄張り?にしているのでしょう。よくやってくる一羽といいたいところですが、それほど個々を識別する能力はありません。たぶんという感じです。

 

野鳥はそれぞれ縄張りをもっていますね。自分のテリトリーは大事にして、よほど叶わない相手でない限り、そこにやってきた鳥は追っ払いますね。とはいえ、その縄張りといったものも、さほど厳格ではなさそうで、やはりお互い遠慮というか、大きな地域環境の中で強制しているようにも見えます。だいたい、木の梢なんかは、たいていの野鳥が留まりたがりますが、いずれも一時的なもので、ずっとそこを占領して唯我独尊を貫くようなのはいませんね。モズなんかも結構、強気な感じですが、それでも威勢がいいのは声くらいで、簡単に譲ってしまうこともありますね。

 

ところで、医療の世界はどうでしょう。技術の進歩が日進月歩で、飛躍的な治療改善も見られたり、専門化が急速に進んでいるようにも見えます。それで総合医なんて制度もできましたが、なかなか現実は自分の専門領域の枠を超えられないようにもみえます。

 

そのテリトリーの範囲では素晴らしい実績をあげるかもしれませんが、自分の専門分野以外は、あるいは担当する臓器以外は、見ていない、見えない、あるいは意見を述べないこともあるのではと懸念することがあります。

 

そういった懸念が実際に現実化すると、医療事故として重大な結果になりかねませんね。

今日の「なるほドリ」欄は<画像診断、がん見落としなぜ? 病院チェック態勢不備 医師連携不足も=回答・熊谷豪>と、その問題の一端を指摘しています。

 

まず<千葉大病院(ちばだいびょういん)でCTの検査(けんさ)をしたのに、がんの見落としが9件もあった>件から問題をクローズアップしています。

 

画像診断はさまざまありますが、ここではCTが問題となっています。

その解説を<CTは放射線(ほうしゃせん)を使って体を輪切りにしたような画像(がぞう)を撮影(さつえい)する装置(そうち)で、「コンピューター断層(だんそう)撮影」(Computed Tomography)の略称です。胃や肺など内臓の様子がよく分かるため、病気の早期発見(そうきはっけん)にも役立ちます。日本は人口100万人当たりのCT台数が世界トップで、技術も向上して鮮明(せんめい)な画像を大量に撮影でき、利用が増えています。>と書いています。

 

画像診断は精細で、それもどんどん進化していますから、これを見て鑑別診断すれば、がんなどの早期発見に役立つわけですね。でも意外と?落とし穴があるものです。

 

<千葉大で実際にあったケースによると、放射線診断(しんだん)の専門医(せんもんい)がCTの画像を見て肺がんを疑い、報告書(ほうこくしょ)で指摘しました。しかし、患者を診察した医師は、自分の専門の頭や首のがんしか注目せず、見落としたのです。>

 

放射線科の医師でしょうか、肺がんの疑いを報告書であげているのに、主治医は頭や首のがんを専門としているようで、肺を見落としたというのです。そんなのあり?ですね。

 

報告書にきちんと肺がんの疑いと記載されているのに、自分のテリトリーと違うから、書かれているものも見落としたなんてことは許されないですね。少なくとも自分が専門でないとしても、肺がんの専門医に見てもらうよう患者に指示なり指導するのが医師のつとめでしょう。

 

あるいは実際は肺の画像を見たのだけど、自分が専門でないこともあり、画像診断で判別できなかったのかもしれません。その場合報告書そのものは見落とさなかったけれど、画像診断で見落としたということでしょうね。

 

そんなことがあるのかしらと思われがちですが、私は十分ありうると思っています。

 

私がいま担当しているケースは、その画像診断を問題にしています。それでCDに入っている画像を私が見てもどこに問題があるのかは見つけることはむろん無理な相談です。それは実際、診断した医師がPC上で問題の画像を摘出するのでも、何度もその画像を見ているのに、簡単に特定することができるわけではないのです。断層写真は膨大な量があって、その中で、特定の断層写真を摘出するのに、問題部位を極めて詳細にするPC上の表示がないようです。アドレスのようなものはないのですね。

 

そうなると、専門医でも当該箇所を特定していないと、そこを大量の画像から見つけ出すのは容易ではないと思うのです。地球の経度緯度といったものとかに似たものですね、たとえば、写真にしても動画にしても、電磁気的記録では特定する数値など容易にその画像を割り出すことができますね。そういったものがCT画像上できるといいのですが。

 

記事では<手軽に鮮明な画像を撮影できるようになったのに、チェックする病院の態勢(たいせい)が追いついていないと、専門家はみます。また、大病院は医師の専門領域(りょういき)が細かく分かれ、連携(れんけい)が難しいという背景(はいけい)も指摘されています。>といった専門領域間の連携の欠如を問題にしています。それはそうだと思いますが、その前提として、上記述べた画像の特定の問題とそれを容易に抽出するソフトの問題もあるのかと思っています。

 

それでも記事によると対策は少しずつ講じられているようです。<主治医(しゅじい)が画像診断の報告書を読まないと、電子(でんし)カルテに警告(けいこく)が表示される仕組みを導入した病院があります。医師だけでは防ぐのに限界(げんかい)があると、検査結果を手渡すなど患者に協力を求める病院も出ています。(医療福祉部)>

 

これもまだ、私が懸念している問題の解消とはならないように思っています。私のCT画像診断に対する認識不足ならいいのですが。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


どう死ぬか <『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』>書評を読んで

2018-06-17 | 医療・医薬・医師のあり方

180617 どう死ぬか <『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』>書評を読んで

 

私のテーマの一つは、生きることと死ぬことです。あるいは逆の表現が適切かもしれません。自発呼吸をしている限り、しっかり生きているのだと日々時折思うのです。人工呼吸器の世話になってまで生きたいという思いはありません。自分で食べれなくなったら、というか食べる元気がなくなったら、自然に死を迎えたいと思うのです。まだそこまでの状態ではないですし、重病をかかえているわけでもありませんが、なぜか30代半ばでそのような思いになり、その後は基本的には変わっていません。

 

いつの時代にも何がいつどこで起こるかわかりません。人間の体調もどのように急変するかは神のみぞ知るでしょう。こんな思いは時折起こりますが、たまたま昨夜、母親の体調が少し弱ってきたと聞いて、つい自分のことをも思うようになったのでしょうか。

 

そんなとき毎日朝刊の<今週の本棚池内紀・評 『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』=小堀鴎一郎・著>の記事は、10数年前の活動を思い出せてくれました。

 

横須賀でやすらぎの会に参加し、当初は尊厳死をテーマに議論していましたが、ある時期、自宅で終末を迎える活動に変わっていきました。実際に訪問看護を担っている医師や看護師、そして患者家族も参加して、幅広い活動になっていきました。議員以外では弁護士の私が経験不足でした。

 

重いテーマですので、皆さん真剣に議論していました。患者家族の中には、病院で妻や母親を亡くした経験から、病院医療のあり方に強い疑問、批判的な見方をされていました。医師・看護師・介護士など関係するメンバーからは在宅医療を行っている自負を感じさせてくれる力強い発言が聞かれました。

 

あるとき、わが家にメンバー有志をお呼びしてバーベキューパーティをかねて会談したように記憶しています。どんな話だったかは覚えていませんが、ひょいとピアノを見た普段まじめな医師がひょいとピアノの前の椅子に座り、なめらかに鍵盤を弾くのです。みんなわいわい談論していたのが、ついその音に誘われて静寂の中心安らかな気分にさせてもらいました。

 

23曲弾いたように思うのですが、それだけでそこにいるみんなが心地よい気分になったと思います。調律があまりできていないはずでしたが、そんなことも気にならないかのように、聞き惚れる感じで鍵盤をスムースに叩くのです。さすがだなと思ってしまいました。

 

こういう医師なら、訪問医療で患者さんの終末期をその気持ちを察しながら、医療の選択、患者との心の通い合いをしているのだろうなと思いました。

 

池内紀氏の書評で取り上げた、小堀医師もそういう体験を繰り返されてきたのでしょう。私が活動を一緒にした医師たちは、小堀医師よりも前から始めていましたから、その経験した数はもっと多いのかもしれません。

 

医師と患者の関係では、死に行く人の言葉はなかなか表にはでませんね。でも小堀医師はあえて文書にして残そうと思ったようです。

 

<話す口のない死者に代わり、そのメッセージを伝えるためである。「これらはさまざまな思いを遺(のこ)してこの世を去った人々への私の挽歌(ばんか)である」>と。

 

すでに高齢者の多く、いや日本人の多くがこれまでの医療のあり方に疑問をていするようになっているのではないか思います。それは最近のアンケート結果でも現れていたと思います。

 

そして池内氏も<医療先進国ニッポンが、ひたすら「生かす医療」一辺倒で進んできて、欧米ではとっくに実現している、やすらかに「死なせる医療」に目をくれなかった。>とみています。

 

それは患者の気持ちにそってその意思を尊重するという医師の新たな役割を体現しているように思えます。

 

<事例25 七六歳男性、胃がんの手術をしたが再発。自宅に帰ることを強く希望。「初めての訪問診療時は、ひどく痩せて腹水がたまり、食事もほとんど取れていなかった。本人の第一声は『好きな酒が自由に飲みたい』ということであったので、その場で好きなだけ飲んでよい、と許可した」>

 

しかも小堀医師は自らとっておきの?銘酒を持ち込むのです。<小堀医師はある日、昔、患者から贈られたジョニーウオーカーの青ラベルが自宅にあるのを思い出し、持参した。コルク栓が劣化しており、栓抜きもないので、スプーンの柄を使った。大量のコルク屑(くず)と一緒に、酒好きの患者と訪問診療医は乾杯した。>なんて気持ちの良い間柄ではないでしょうか。

 

池内氏はこの本について言葉を尽くせないかのように賛嘆の表現を次々と表しています。

 

<死にゆく人への深いやさしみと共感だ。勇気をもって死と向き合った人への敬意である。未知の世界で見つけた人間性の奥深さ。>

 

池内氏の深い洞察や文学的表現はドイツ文学の専門家としてさすがと思いつつ、小堀医師の祖父、森鴎外への敬愛の情もあふれているようにも思えるのです。

 

一時間が経ちました。頃合いの良い時になり、これにて本日は打ち止め。また明日。


医療通訳とAI <大阪大 インバウンド影響、医療通訳にも 養成講座を常設>などを読みながら

2018-05-08 | 医療・医薬・医師のあり方

180508 医療通訳とAI <大阪大 インバウンド影響、医療通訳にも 養成講座を常設>などを読みながら

 

首都圏で仕事をしているとき刑事裁判で、外国人の事件をしばらく継続的にやっていたことがあります。たままた英米人の被告人を担当したことがなく、東南アジアや南米が多かったように思います。ということは、南米だと、スペイン語かポルトガル語でおおむね通用するように思えるでしょう。他方、東南アジアはフィリピンにしても、タイやカンボジアなどにしても、その国の言語といっても多様で、なかなか対応できる通訳を見いだすことが容易でなかったと思います。いやスペイン語でも、国や地域によって異なるので、これまた大変でした。島根や鹿児島、青森などの地元のほんとの言語を聞いてもちんぷんかんぷんのときがありますが、ああいう感じでしょうか。

 

それだけでなく、刑事裁判の用語を法廷通訳といわれる人はある程度勉強していますが、なかなか簡単に理解できるわけでないですし、ましてや事実に争いがあるときは、詳細な動きを通訳することなど、ある意味不可能に近いことがありますね。そういったときは被告人と通訳とが原語を「話し合って」確認し合うのですが、なかなからちがあかなく、裁判長はじめ検事、弁護人3者は傍観するのみです。

 

そんなことを昨日の毎日夕刊記事<大阪大インバウンド影響、医療通訳にも 養成講座を常設 医学部が指導、3年で100人誕生>を読みながら、つい思い出してしまいました。

 

私自身、海外に滞在しているとき病院や診療所で診察を受けたことがありませんので、どの程度うまく話せることができるかは自信がありません。歯医者さんとか、電気治療を受けたことがありましたが、なんとか通じたようです。症状が複雑だと、そういった表現は日本語でも結構むずかしいですね。

 

それをインバウンドで急速に増大する多様な外国人の健康管理対応は喫緊の課題でしょうね。

 

記事では<医療現場で外国人患者と医師らとの橋渡し役を担う「医療通訳」の養成講座を大阪大が2015年度から常設し、3年間で100人を輩出した。病状や治療方針などのやり取りは専門用語が多く混じり、日本人同士でも意思疎通が難しい。言葉が通じない外国人とはさらに困難を極める。在日・訪日外国人(インバウンド)の増加で医療機関を受診する外国人が増えており、阪大の取り組みに注目が集まっている。【山口知】>と大阪大学医学部の取り組みを紹介しています。

 

私が弁護士なりたての頃は、カルテもドイツ語が多くて、医療事件ではカルテを読み込むだけで難渋しました。ドイツ語辞書を首っ引きで翻訳を試みたのを思い出しました。その後英語で綴られたカルテが増えて、最近は英語がほとんどかとおもっています。といっても文章としての英語と言うより、症状の一部とか、診断の一部で、電子カルテで、患者さんに対する問診をタイピングしている場合は基本、日本語だけですね。それは当然ですが、では外国人の場合どうなっているのでしょう。

 

子供の話だと、最近は医学部でも英語会話力が問われるようですので、医師も普通に英語くらいは問診できる能力が要求されるのでしょうか。それは当分先かもしれませんね。となると、やはり医療通訳は当分の間、必須でしょう。だいたい英語による問診ができる医師は増えるとしても、多言語を使いこなせる医師はというと望み薄でしょうね。医師に対して批判的なことを言うのはおかしいですね。弁護士も同じでしょう。

 

ともかく阪大医学部はこの分野で先進的な取り組みをしてきたようです。<阪大医学部付属病院(大阪府吹田市)は13年、受診する外国人患者の増加を受け、受け付けの専門窓口となる「国際医療センター」を開設した。14年度に医療通訳を必要とした患者は延べ46人だったが、16年度は160人まで急増した。>

 

ところが医療通訳の実情はというと、<医療通訳は専門的な説明が求められるが、国家資格はなく、派遣される通訳の知識が乏しかったり、言語によっては通訳の確保が難しかったりした。>これはまさに法廷通訳も似たような状況ではないでしょうか。

 

阪大は制度的な取り組みを始めたわけです。<阪大は15年4月、英語や中国語、スペイン語、ポルトガル語の4カ国語に対応する「医療通訳養成コース」を創設。医学部の准教授らが約1年間、人体の仕組みや病気の内容、医療倫理などについて、座学や実習で教える。一定の語学力のある原則20歳以上が受講でき、学費は29万円。昨年度までの修了生は計100人に上る。>これは4カ国語とはいえ、評価されて良いと思います。

 

しかし全国的な状況はというと、<医療通訳の担い手不足は各地で課題になっている。厚生労働省は昨年8月、全国3761の病院を対象にした実態調査の結果を公表。15年度は回答があった1710病院の約8割が、外来で外国人患者を受け入れた。同時に全国47の医療通訳サービス派遣業者にも課題を尋ねると、約55%の業者が「医療通訳の人員確保」と答えた。>

 

道は遠い状況ですが、こういった阪大の取り組みが広がれば、インバウンド増大に対応することが可能になってくるでしょうね。

 

なお、厚労省は<医療通訳に関する資料 一覧>を用意していますが、これだけでは国の取り組みとしては、とても全国的な問題に対応しているように見えないのですが、時間がないので調べられていませんから、今日は紹介のみとします。

 

さて、人間による医療通訳が容易でないとすると、AIの力を借りようかと思うのが、昨今の風潮のようにも思えますが、どうでしょうか。

 

<医療英語の森>の中で<AIは医療通訳に取ってかわるだろうか (後編)>という記事がありました。前編は基本的な話題で、後編で医療通訳に特化して検討しています。結論的に言えば、否です。

 

その取り上げ方はウェブ上の翻訳機能を引用しつつ、その機械的翻訳自体が文脈を理解していない上、患者の立場にたって気持ちに寄り添った通訳ができないことを問題にしていたかと思います(すみません、ざっと読んだだけですので、誤解があるかもしれません)。

 

たしかにこれまでの通訳機能は上記の指摘が当てはまると思います。ただAIは進化しており、最近ダウンロードした音声翻訳はだいぶ進化した印象を感じています。専門用語もある程度拾いますし、これはディープラーニングによりさらに適切な翻訳になる日はさほど遠くないのではと期待したりしています。

 

それは医療通訳という人間が行うことも有用であることを否定しませんが、他方で医師が音声翻訳を通じて多言語を活用して、直接、問診することができれば、より適切に診察、診断できる可能性を期待するのです。

 

それこそ、そういうプログラムを大学医学部とAI関係者が業務提携して開発することを期待したいですね。いや、すでにどこかが始めているかもしれませんね。競争により、AI囲碁のようにより、能力アップ、スピードアップ、廉価にできるようになること期待するものです。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。