たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

専門分野とは <専門医、新制度 各学会の認定基準統一>を読みながら

2018-04-25 | 医療・医薬・医師のあり方

180425 専門分野とは <専門医、新制度 各学会の認定基準統一>を読みながら

 

いろいろと国家資格がありますが、それぞれその分野の専門資格ということなんですが、その資格の持ち主も多くなると、というか技術や経験が深まると、専門分野が生まれ、それがさらに細分化されることになるというのは、どの分野でもありますね。

 

税理士だと、相続税、不動産税、法人税、消費税など税目によって専門性の高い人がいるでしょうね。行政書士だと、これまた農業、林業、漁業、風営法、廃棄物処理などなど、事業形態に応じた専門性があるでしょうね。弁護士もどんどん専門分化していますが、いずれもあまり確立した専門性の基準がないように思うのです。

 

この点、医師の世界はその技術・知見の進歩が急速ですから、トップランナーの一つかもしれません。

 

とはいえ、いろいろな専門医に分かれていることは承知していても、疾病をかかえた患者側の立場としては、そもそも自分の疾病がどの専門医に診てもらうのかわからないことも少なくないですし、専門医の力量もそれだけではなかなか判断できません。そのようなことも一つの理由になって、いろいろな医師、病院を渡り歩く人もいるでしょう。

 

ま、私もその一人だったかもしれません。いまようやく落ち着いて特定の医師に委ねることができました。

 

さて毎日朝刊記事では<読み解きワード専門医、新制度 各学会の認定基準統一>の見出しで、4月にスタートした新「専門医」制度を紹介しています。

 

専門医制度はかなり以前に(調べていませんが戦前からだと思います)普及していますが、

毎日紙面だと、これまでは各学会が研修や認定をしてきて、その種類は、100以上存在しているとのことで、すごいですね。そのうち半数程度が専門医の看板を掲げることができるとのこと。

 

そこで問題が生じたのです。

<学会ごとに認定基準が統一されておらず質にばらつきがあり、患者には分かりにくい面もあった。>ということです。

<そこで、厚労省の検討会の提言を受け、専門医認定や養成プログラムの評価・認定などを一手に担う一般社団法人「日本専門医機構」が2014年に設立された。>

 

この専門医というのは、患者側としても必要とされ、さらにその専門性の適正さも要求されることは確かでしょう。

 

この点、弁護士についても、利用者から専門性を求められることが多い分けですが、わが国ではなかなか専門性の客観的な評価基準が確立しないためか、○○専門弁護士と名乗ることが難しいですね。刑事弁護とか労働弁護とか、企業法務とか、離婚とか、専門性を標榜している場合がありますが、弁護士会などが認定する制度がないので、裏付けに乏しいでしょうね。それこそ相談して信頼できるかを判別するしかないでしょう。自分の経験をホームページに掲載しているような場合は、医師の症例には及ばないとしても、それなりに信頼できるのではと思います。

 

弁護士会でもさまざまな専門分野の研修を行って、その分野の担い手を育成していますが、まだ制度的に確立したとはいえないでしょうね。

 

その点、医師の場合、新制度は、次に引用のとおり、弁護士に比べていっそう整備されてきたかと思います。

 

<専門医になれるのは、大学の医学部卒業者で医師国家試験に合格後、実地訓練として必修化されている臨床研修(2年以上)を終えた医師。内科や小児科、産婦人科など19の基本領域から一つを選び、専門医を目指す「専攻医」として各地の病院・診療所で3~5年の研修を受ける。認定試験をパスすると晴れて「専門医」になれる。機構は「患者から信頼される標準的な医療を提供できるとともに、先端的な医療を理解し情報を提供できる医師」と定義する。>

 

さらに医学的知見や技術の進歩を身につけないといけませんから、期間限定にしています。医療過誤裁判では最新の医学知見が判断基準になるわけですので、当然と言えば当然かもしれません。これまでもたいていの医師は日々研修なり新しい知見を学んできたと思います。

<専門医の資格更新は原則5年おきで、診療や学会発表などの実績を基に認定を受けなければならない。これまでの学会ごとの専門医は、資格の更新時期に新制度での認定に切り替わる。>

 

ところで、今回の新制度は、新設された<「総合診療」>が注目されています。ある意味、専門性に逆行する制度のようにも見えますが、私は適正に運用されれば、かえって本来の専門医に的確に導かれたり、重畳的に専門医が機能するように、有機的な連携が縦横に進むのではと期待したいと思います。

 

<総合診療医は、患者を診察して初期対応をするとともに、より専門的な検査や治療を受けるべきだと思った場合は、他の専門医に相談・紹介する。また、高齢者を介護サービスにつなぐこともある。医療の「入り口」としての役目があることから、「プライマリーケア」と呼ばれる。定義や概念は違うが、日本医師会などが普及を進める、総合的な能力を持つ身近な「かかりつけ医」も、そうした能力のある医師とも言える。>というのです。

 

ただ、新専門医制度にも課題があり、専攻医を研修する施設が都市部の大学病医に集中する懸念があり、そのための対策として、<東京、神奈川、愛知、大阪、福岡の5都府県で、基幹施設で受け入れ登録する専攻医数が、過去5年間の各診療科の採用実績の平均人数を超えないようにする上限を設けた>のですが、専攻医が都市部に集中する流れはこれだけでは抑えられないでしょうね。

 

どうやら専攻医は都道府県ごとに登録されるようですが、登録された管内でのみ働くのではないということです。<専門医制度は専攻医が地域の複数の病院や診療所を回って経験を積むよう義務づけている>ので、順次地方にも勤務することで、地方に専攻医がいないといった偏在を防ごうとしているようです。

 

これで地方に専攻医がいないとか、少ないということにならない不安は解消しないと思いますが、それには地方の魅力や専攻医の見識に期待するのでしょうか。

 

今日はこれにておしまい。また明日。


高齢者の医療のあり方 <高齢者の多剤服用、防ぐには>などを読みながら

2018-01-24 | 医療・医薬・医師のあり方

180124 高齢者の医療のあり方 <高齢者の多剤服用、防ぐには>などを読みながら

 

さきほど、私が成年後見人となっている被後見人が入所している施設を訪問して帰ってきました。残念ながら昨日被後見人が入所している階の方でインフルエンザが発生し、今日から面会禁止措置をとったということで、お会いできませんでした。一ヶ月分の施設利用料を支払うという最低限の責任を果たしたものの、被後見人の様子を直接うかがえないのは残念でした。

 

ただ、私自身、関東にいるときも、あまり女性の被後見人の後見人となったことがないため、どうも苦手意識が抜けません。多少会話ができるので、なにかを話そうとしても話題が見つかりません。視覚障害のある方について成年後見人の申立人になったことがありますが、眼は不自由でしたが割合きさくに話すことができました。それでも判断能力なしとの診断でしたから、不思議に思いました。

 

今回の方は、脳血管障害(脳梗塞)で麻痺や言語中枢の機能障害があるなど、かなり重症であるかのような診断内容でしたので、ほとんど意思疎通が無理かなと思いながら、面接したら、意外とこちらの言うこともよく理解されていて、わずかながら話しもでき、意思もしっかりしている様子です。まだ後期高齢者でもないですし、一時的に悪化していたのかなという印象を受けています。

 

このことと直接関係しないとは思いますが、今朝の毎日記事は気になっています。<くらしナビ・ライフスタイル高齢者の多剤服用、防ぐには>は今後の医療のあり方として、真剣に取り組んで欲しいと思うのです。

 

問題はたくさんの薬剤服用が常態化して、副作用でより症状が悪化して、認知症など脳機能にも悪い影響を与えているような場合です。

 

記事は次のように問題点の概要を指摘します。

<1度に5~6種類以上の薬を服用する高齢者は多い。どれも必要な薬剤ならよいが、中には不要な薬を漫然と飲み続け、副作用が生じるケースもある。高齢者の多剤服用の解消にどう取り組めばよいのか。>

 

この問題は昔から指摘されてきましたが、すでに取り組み強化を図っている病院が紹介されています。

<高齢者の多剤服用問題に取り組む病院がある。国立病院機構栃木医療センター(宇都宮市)のポリファーマシー外来だ。簡単に言えば、高齢者が服用している薬剤をチェックして、必要性を再検討する外来だ。ポリファーマシー(ポリは「多い」の意味)は一般に多剤服用または多剤併用と訳されている。何剤から多剤と言うかの定義はないが、一般には5~6剤以上を指す。>

 

そのきっかけとなった患者の例が紹介されていますが、とんでもない状況です。

<きっかけは4年前に入院した80代の女性患者だった。心臓や腎臓に疾患をもち、すでに10種類近い薬を飲んでいたが、病院でさらに薬が処方され、最終的には14種類の薬を服用し、意識障害や不整脈など重い副作用が生じてしまった。よく調べてみると、同じような種類の薬が重複し、不適切な組み合わせの薬を服用していた。>

 

私が担当している被後見人がそういう状態だったかはわかりませんが、上記に上げた高齢者の例は少なくないように思うのです。

 

その取り組みの方法・成果が紹介されていますが、やればできますし、ある意味医療側と患者家族側のコミュニケーションの問題、あるいは意識の問題ではないかと思うのです。そして病院側が制度化すればよりスムーズに進むと思うのです。

 

<これを受けて2015年1月、医師、薬剤師、看護師らの多職種連携チームをつくり、患者の服用歴を聞いて、薬の必要性をチェックし始めた。対象者は、5剤以上の薬を服用し、1週間以上入院する65歳以上の患者。希望を募り、本人と家族の同意を得た患者で行う。

 17年6月までの集計結果では、104人がチェックを受け、1人あたりの平均服薬数は当初の8・9種類から4・3種類へと半減した。患者全体が服用していた薬剤の種類総数は、延べ936種類から約6割も減って、延べ387種類になった。全員の平均的な薬の服用量も減った。>

 

問題が多い薬剤は絞り込みができています。

<日本老年医学会は「高齢者の安全な薬物療法ガイドライン」(15年)をまとめ、その中で抗精神病薬や睡眠薬、抗血栓薬、糖尿病薬など19分類の「特に慎重な投与を要する薬物のリスト」を作った。>

 

<このリストの中に睡眠薬のベンゾジアゼピン系薬物(抗不安薬にも使用)がある。長期にわたってベンゾジアゼピン系薬物を服用すると認知機能の低下、転倒や骨折の増加、昼間の倦怠(けんたい)感などを起こすリスクがあるからだ。厚生労働省の薬事・食品衛生審議会薬事分科会も17年3月、ベンゾジアゼピン系薬物を「長期の服用で依存を生じやすい」と使用に注意を促した。>

 

このことは最近のブログでも触れた記憶がありますが?、継続的に取り組む必要があるように思います。

 

< 医薬品のリスクコミュニケーション問題に詳しい山本美智子・昭和薬科大医薬品情報部門教授>の話しと提案する10箇条は多くの関係者が常に意識しておいて良いのではないかと思うのです。

 

<「医師と患者はパートナーシップに基づいて治療するという共通認識をもち、正直に気持ちを伝えることが大事だ」>

 

<多剤服用を防ぐ10カ条

 (1)患者と医師は治療の協働パートナーだという意識をもつ

 (2)使っている薬は必ず医師に伝える

 (3)いつでも気軽に相談できるかかりつけ薬剤師をもつ

 (4)薬が多いと思ったら、正直に医師に伝える勇気をもつ

 (5)ある薬をやめるか変更した場合、どんな不都合が生じるかを医師や薬剤師に聞く

 (6)自己判断で薬の使用を中断しない(勝手にやめると効き目が悪いと判断され、処方薬が増える場合がある)

 (7)「薬の使用は最小限に」との意識をもち、どうしても必要な薬なのか、お薬手帳を活用しチェックする

 (8)患者自身も安易に薬を欲しがらない

 (9)高齢者は若いころと同じだと思わず、薬の数が増えると副作用が出やすいことを自覚する

(10)医薬品医療機器総合機構(PMDA)のホームページにある「患者向医薬品ガイド」や「くすりのしおり」を活用する

 (日本老年医学会のパンフレットも参考に作成)>

 

ところで、上記の話しとは少し脱線しますが、興味深い記事が毎日和歌山版に掲載されていました。残念ながらウェブ上にはまだアップされていません。

 

内容は和歌山県立医大教授の金桶吉起氏の研究発表したもので、脳内神経回路網に性差があるというものです。MRI撮影装置を使って脳の動きを調査したところ、刺激を受けて活発な動きが見られたのは男性が前頭葉、女性が後頭葉ということだったというのです。

 

金桶教授は「睡眠剤や抗不安薬など薬の処方時にも考慮するケースもでてくるかもしれないとのこと。」多剤服用の副作用に加えて、性差がどのような影響が加わるのか、今後の研究の深まりに期待したいところです。

 

ここまで書いている中で、突然、電話で依頼者から相談があり、一時間近く感情的になっているのを納めながら、話しをして、いま終わりました。なにを書こうとしていたか、すこしあいまいになりましたが、この程度でこの話題はおしまいとします。


医療の賢い選択 <不適切なCT検査><薬の過剰投与><PET-CTによる検診>を読んで

2018-01-13 | 医療・医薬・医師のあり方

180113 医療の賢い選択 <不適切なCT検査><薬の過剰投与><PET-CTによる検診>を読んで

 

最近とみに医療関係の情報が増えたような印象を受けるのは私だけではないように思います。おそらく実際にウェブ情報を含め情報媒体の数量とも格段に増加しています。またNHKは地上、BSともに最先端情報も含め多様な医療情報を提供してきていますし、民放も増えているように思います。

 

毎日記事も負けていないように思います。とりあえず今朝までの3回に分けて連載された<賢い選択 確かな医療とは>はすでに情報としては知られている内容かもしりませんが、わかりやすく整理されているかと思い、取りあげたいと思います。

 

3回は次の内容に別れています。

第1回 <不適切なCT検査 撮影増、病院の利益に 被ばくリスク、考慮が必要> 

第2回 <薬の過剰投与 医師・患者ともリスク軽視

第3回 <PET-CTによる検診 がん検出 有効性不明

 

医療について賢い選択というと、もっと広範囲、あるいは深いところでの問題提起もあり得るとは思いますが、いずれも割と体験している人もいるでしょうし、やはり改めて考えておく事柄かなと思うのです。

 

最初の<不適切なCT検査>は思い当たる人も少なくないのではと思います。すでにCT検査結果があっても、それを画像ファイルを病院でもらって別の医師に診てもらうといったことは、セカンドオピニオンをもらうときとかでないとあまり考えないかもしれませんね。

 

私自身の体験したのでは病院事務局でちょっと対応に手間取り、主治医の同意がないとわたせないとか、その医師が当日担当でいないので、提供できないとか言われたことがあり、とんでもないといって、少し時間がかかりましたが、その日に受け取ることができました。

 

いまCDにソフトごとダウンロードするのが簡単ですので、費用もかかりませんし、一旦CT検査すれば特別新たな事情がなければそれを使えば済みますね。

 

ところが実際はどうでしょう。

<海外では、医学的根拠を基に価値が低いとみられる検査や治療をリストに挙げて、過剰な医療行為を見直す動きがある。「不適切な検査や薬は何か」。日本の過剰医療を振り返りながら、確かな医療を賢く選択できるよう3回にわたって報告する。>と一回目は<コンピューター断層撮影(CT)装置を使った検査>を河内敏康、藤野基文両記者が担当。

 

まず検査の量が異常ですね。<日本は「CT大国」と呼ばれる。経済協力開発機構(OECD)のヘルス統計2017によると、人口100万人当たりのCT装置の数は日本が107台で、加盟35カ国の中で最も多い。1000人当たりの撮影回数も231回と2番目に多い。>

 

なぜ多いのかについて<日本でCT検査が多い理由の一つに医療システムの問題を指摘する声がある。日本の外来は、診察や検査をすればするだけ病院やクリニックの収入になる出来高払い。だが、検査料は1回約1万円と海外に比べ安く、「病院やクリニックはCTの検査の数を増やそうとしがちだ」(大学病院放射線科教授)という。>

 

CTのメリット・デメリットはどうかといえば、<CTは、適切に使えば病気の発見や治療に役立つが、放射線による被ばくの問題もあり、なるべく控えたい。>となるのが当然ですね。

 

ここで<米国で始まった過剰な医療行為を見直す「Choosing Wisely」(賢い選択)キャンペーン>を取りあげて、この観点からこのシリーズはアプローチをしています。湿地利用におけるワイズ・ユースは世界的な広がりを得てコンセンサスを確立しましたが、はたして医療分野ではどうかというところでしょうか。

 

<参加する米国小児科学会は「小児が頭を打っても頭蓋(ずがい)内損傷リスクが低ければ必要ない」と提言する。リスクを判断する基準に従って調べ、該当しなければCTは実施しない。放射線被ばくと発がんとの因果関係こそ明確でないが、小児は放射線の影響を成人より受けやすく、余命も長いため、放射線防護は特に重要とされている。日本医学放射線学会もガイドライン(指針)で推奨していない。>

 

基本的にCT検査を抑制するのがガイドラインということでしょう。

訴訟リスクを心配する超えもありますが、どちらかというと根拠のない検査優先意識が働いているのではと推測したくなりますね。

 

CT検査を実施する医師と、それを指示する医師との関係の問題も指摘されていますね。<専門家である放射線科医が、不適切な検査を止められない事情もある。患者の情報を一番多く持っているのは主治医で、不安感なども考慮した上での判断に反論するのは現実的には厳しい。ある大学病院の放射線科医は「『検査が必要かどうか決めるのは主治医だ』と罵倒されたこともある」と力なく語った。>

 

このような医療機関内でのシステムというか人間関係というか、専門家としての放射線科医の判断を尊重する制度的な裏付けも必要かもしれません。とはいえ主治医もエビデンスを安易に検査に求める傾向があるのではと思ってしまいます。この場合のエビデンスは検査自体に一定の医療制かが得られる見通しや必要性が医学的根拠としてあるということではないかと思うのです。

 

基本は<「医師と患者、相互理解を」>でしょう。患者側も安易に検査を求め検査してもらえないと十分な医療を受けられないといった意識があるとすれば、それは考慮されるべき患者の意識とはいえないでしょう。むろん患者への説得が大切ですが。

 

すでにCT検査抑制に取り組み病院もあり紹介されています。<過剰な検査を抑制しようとする動きもある。神奈川県鎌倉市の大船中央病院では、原則として過去30日以内にCTなどの検査をした患者に対し、主治医が同じ部位に同種の検査を依頼した場合、電子カルテに理由を入力しないと検査に進めないシステムを昨年5月に導入した。10月までの半年間で「重複」を通知された検査のうち、約7%を主治医が取り消したという。>

 

2回はよく話題になる薬の過剰投与ですね、今回も前回同様両記者が担当しています。

<抗菌薬や、睡眠薬など日常的に使用される薬の処方が問題になっている。薬剤耐性菌や副作用などデメリットが大きいのに、医療機関で過剰に出されているからだ。>

 

<抗菌薬は、細菌の増殖を抑えたり破壊したりするが、ウイルスには効き目がない。そのため、ウイルスが原因の大半を占める風邪には効かない。>にもかかわらず、<三重大の研究報告によると、国内では1日200万人に抗菌薬が処方され、うち9割は内服薬で外来患者に出され、1割は注射薬だった。>

 

必要のない抗菌薬の過剰投与は当然リスクが高まります。<抗菌薬の過剰使用の最大の問題は、薬の作用に抵抗する能力を得た「薬剤耐性菌」が生まれることだ。1980年代以降、人への不適切な使用によって病院を中心に耐性菌が増加。耐性菌による感染症で、世界では1年間に約70万人が死亡。>と危険な兆候です。

 

日本にも使用制限のガイドラインがあるにもかかわらず、守られていない実態があるようです。

<日本では、日本外来小児科学会の作業部会が05年にガイドライン(指針)を作成し「風邪に抗菌薬は不要。2次感染の予防にも効果はない」と訴えてきた。しかし、適正ではない処方は完全にはなくならない。>

 

患者側の意識にも問題がありそうで、そのため国が乗り出しています。<日本でも、厚生労働省が、20年までに人口1000人当たりの抗菌薬の使用量を13年より33%減らす計画を16年に発表。昨年、外来での抗菌薬の適正使用をまとめた手引を発行している。>

 

もう一つ取りあげられた薬剤は、<睡眠薬>

 

<東京都内の80代の無職女性は、20年ほど前に寝付きにくくなり、睡眠薬を使い始めた。しばらくしてベンゾジアゼピン(BZ)系薬を含め睡眠薬を2剤にまで増やしたが、夜中に起きてトイレに行くたび転倒するようになった。>

 

<同居の娘から相談を受けたクリニックの主治医は「睡眠薬が影響しているのではないか」と考え、女性に減薬を勧めた。女性は医師の指導の下、徐々に薬を減らしていったが、副作用もなく、食事や睡眠も取れていた。現在は夜眠れなくてつらい時だけ、BZ系薬でない睡眠薬を半錠使っている。心配されたトイレでの転倒もあまりしなくなったという。>

 

このケースでは主治医が患者の生活実態を観察できていないまま、睡眠薬投与を継続していたのでしょうか、そこにまず問題があるかもしれませんね。通常、高齢者の場合家族も同席させて服用の効果を確認しながら、処方を行うのでしょうから、それまでがどうだったのか気になるところです。

 

薬はたいてい副作用があり、それも個人差が、また個人でも体調や家庭環境で異なることがあり、そのような状況を確認するのが意思としての基本的姿勢ではないかと思われます。

 

ましてこの<BZ系薬の長期使用について、患者はメリットばかりでなく、副作用などにも目を向けて、許容できるかを考える必要がある。>といった性格を持つのですから、要注意でしょう。

 

薬剤の選択においてこの薬について、<「Choosing Wisely」に参加する米国の老年医学会では、高齢者の不眠や興奮、せん妄に対し、BZ系薬などは最初に選ぶべきではないと提言。その上で「高齢者や医療従事者らはこうした危険の可能性を知っておくべきだ」と訴えている。>と厳しいですね。

 

この指摘は参考にされて良いかと思いますが、やはり患者の理解力、家庭環境を踏まえ、患者・家族と適切な協議をしながら薬剤投与の選択を行うことが医師として必要な心構えではないでしょうか。

 

3回は<PET-CTによる検診>で、五十嵐和大記者が担当して、<人間ドックのがん検診で利用の多い「PET-CT検査」。小さながんでも精度よく発見できるとされ、医療機関のホームページなどで盛んに紹介されている。利用者が受けるべきかどうか、判断の目安となる確かなエビデンス(医学的証拠)はあるのだろうか。>と問題提起しています。

 

たしか五木寛之氏は人間ドックなどガン検診は百害あって一利なしとかおっしゃってやっていないとか、聞いたことがあります。私はそこまでは言えませんが、やったことがありません。ガンになればそのときは手術するのが良いか死を受け止めるのがよいのか自分が試される選択だと思っています。

 

それに人間ドックを含めさまざまな検査の有効性とデメリットを比較したとき、積極的に受けようと思わないことも一つですから、五木氏がそう言われているのなら、似たような感覚でしょうか。養老孟司氏はどうなんでしょうね。ま、人は人ですから、気にせず。

 

本題に戻ります。

 

ある男性の人間ドック体験が取りあげられています。

<東京都内の50代の男性会社員は毎年、人間ドックで「PET-CT検査」を受けている。PETは「Positron Emission Tomography」(陽電子放射断層撮影)の略。がんに取り込まれる放射性薬剤を利用者に投与し、体内から出てくる放射線を特殊カメラでとらえて画像化することで、がん発見に活用する。最近では、これに臓器の形状を撮影するコンピューター断層撮影(CT)を組み合わせて、診断の精度を向上させているという。全身を一度に調べられるのが特徴。1回の検査で約10万円かかるが、「年齢的にがんが心配」と、今後も続けるつもりだ。>

 

責任感からやっているのでしょうか、それはそれでよろしいのではと思いますが、PETの有用性についてどの程度ご存じなのか気になります。だいたい人間ドックなんて名称自体、イメージ戦略で作られた言葉のように思えてならないのですが・・・

 

先の団体の評価は明快です。

<「Choosing Wisely」(賢い選択)キャンペーンで、画像検査の専門家集団である米国の核医学・分子イメージング学会が、「がん検診にPETを使ってはならない」と表明している。検診データをまとめた日本の論文などをもとに「健常者にPETを使っても、がん発見率が約1%と非常に小さい」という。>日本版でも同様に推奨しないとなっています。

 

これに対し、わが国の専門団体は<国内の画像検査の専門家集団である日本核医学会はガイドラインの中で、「有効性に関するエビデンスが不十分」>とある種客観的な評価のみにとどめています。使うべきではないとか、使うのは避けましょうとかまで、積極性に欠けていますね。

 

<同学会の井上登美夫元理事長は「個人レベルでがんを見つけているのは確か。有効性に関するエビデンスが現時点でなくても、安心などを求めてPETのがん検診を受けたいと思う人は拒めない」と語る。>となんとも患者の「安心」に依拠して検査を拒めないといっていますが、エビデンスが不十分な検査を有害性の危険のあるにもかかわらず、拒めないとは情けないように思うのですが、間違いでしょうか。

 

この後富裕層向けの「山中湖方式」がPET検査普及の引き金になったような話しがありますが、専門医学会として、もっとエビデンスのある治療・検査を自信をもってガン治療・検査を先導して欲しいと思うのは私だけではないと思うのです。

 

最後に医学者としてしっかりした見解を評されている方が紹介されていますので、これを引用しておきます。

<PET-CTによるがん検診は、医学的には根拠を積み重ねるための「研究段階」にあると言える。勝俣教授は「エビデンスがないのに利用者から料金を取って実施していいはずがない。こうした現状を利用者に説明すべきだ。利用者も自身に本当にメリットがあるのか、医療者との対話を通じて自ら考え、選択してほしい」と話している。>

 

ちょうど一時間となりました。このへんでおしまいです。また明日。


認知症と身体拘束 <クロ現+認知症でしばられる!? ~急増・病院での身体拘束~>を見て思うこと

2018-01-12 | 医療・医薬・医師のあり方

180111 認知症と身体拘束 <クロ現+認知症でしばられる!? ~急増・病院での身体拘束~>を見て思うこと

 

今日もある会計処理の謎解きをしていてあっという間に夕方です。会計不正とはいえないのですが、その処理方法が少し杜撰なため未収金処理が何年度にもわたって解明されないままであったのを第三者として見ているのですが、簡単ではないですね。

 

ともかく本日のお題をと考えているうち、いろいろあるもののぴんとこず、結局、昨夜見て少し衝撃を受けたことから上記の見出しをテーマにすることにしました。

 

私が精神病院を弁護士会の仲間と一緒に視察したのはもう15年以上前のことですの、そのときの記憶もあいまいですが、もっぱら措置入院の際の手順や身体拘束を含む措置内容について医師からの聞き取りや実際の拘束用具などを見せてもらったりしたことくらいの記憶は残っています。

 

当時の印象では、身体拘束に制限をする方向にあったような印象です。というのは私が成年後見人で担当していた知的障がいのある方が施設に入所していたのですが、そのときの経験が少し重なるのです。

 

施設側が時折、施錠するなど一定の拘束措置をとっていたことに関し、家族の方から強い異議が出て、職員がいろいろ拘束理由について説明して理解を求める努力をする場になんどか立ち会い、その家族の方から、身体拘束は先進国では回避する方向にあり、わが国でも先進医療機関ではその方向にあるといったことの指摘があったり、施設の医師が処方する投薬についても疑義がでて、私が代わって医師と質疑を交わすなど、いろいろ勉強になりました。

 

そのほか、精神病院に入所している患者の成年後見人としてなんどか患者と面接して、厳重な扉による施解錠が行われていましたが、身体拘束までしている状況は本人から発言は聞いておらず、あったとしても一時的に行われるのだろうなんて思っていました。

 

その感覚があまりにいい加減であったことを<NHK クローズアップ現代+ 認知症でしばられる!? ~急増・病院での身体拘束~>はリアルに伝えていました。

 

<手足や体をベットなどに縛る「身体拘束」が、10年あまりでほぼ倍増している―厚労省が全国の精神科病院を対象に行った調査で、驚きの事実が明らかになっている。>

2025年には、認知症の人の数が700万人に達するといわれる。もはや「身体拘束」は誰もが直面しうる問題だ。現状の問題点と改善への道筋を探る。>

 

背景の一つは、認知症患者の急増、そのうち精神病院に入院する数も驚くほど増えていることではないかということです。多くは介護老人保健施設に入所したり自宅でデイケアとかショートステイを利用することで退所しているのではないかと思いますが、精神病院に入所する場合も相当あるのですね。

 

NHKで取り上げていた精神病院では、夜間が一番大変で、2人の看護師が50人とか60人とかに対応することになっているとのことだったと思います。当然、徘徊する方も少なくないわけですから、いくら熟練した看護師でも一人で数人見るのも大変でしょうが、20人ないし30人もみないといけないとなると、とても間に合いませんね。それは容易に想像できます。その結果として、対応できない患者の場合栄養チューブを外したり、転倒したりする危険が高まることは確かですね。

 

厚労省が定めた精神保健福祉法の運用マニュアルでは、次の3つの場合でないと身体拘束してはいけないことになっています。正確には後で触れます。

(1) 自殺企図又は自傷行為が著しく切迫している場合

(2) 多動又は不穏が顕著である場合

(3) (1)又は(2)のほか精神障害のために、そのまま放置すれば患者の生命にまで危険が及ぶおそれがある場合

 

で、上記の病院の場合、看護師が患者数に対して足りていないことが上記のいずれかに当たるということなんでしょうけど、それはおかしいですね。患者のための病院の体制になっていないことが問題で、スタッフを増やすか、入院受け入れを制限するのが本筋ではないでしょうか。

 

こういった初歩的な意見は、却下されるのが精神医療の世界ではまかり通っているのでしょう。いやそれを支持する患者家族もいるのかもしれません。ほんとうに身体拘束の実態を知った上でという家族は少ないと思うのですが、家庭で対応できず他に方法がなく病院に頼るしかないという方がほとんどではないかと思うのです。そのため病院の対応に、実態を知らないこともあり、文句を言うこともできないでいるということかもしれません。

 

しかし、NHKで取材された患者家族の方の場合、うつ病の50代の女性を一週間入院させたところ、退院直後に心肺停止になり、肺動脈血栓症だったかと思いますが、死亡したという事件とも言うべき事案が紹介されていました。

 

そのその精神病院では「24時間身体拘束」というのですから、驚きです。その女性は入院前の様子がビデオで紹介されていますが、身体は普通に元気な方だったように思われます。でも24時間身体拘束を一週間も続けられると、というか12日だけでも身体拘束されると頭もおかしくなるし、身体はエコノミー症候群になることは必至ではないかと思うのです。そんなことが許されているとしたら、マニュアル自体に問題があるように思うのです。

 

ところで、身体拘束はどうなっているのか、ウィキペディアで調べてみました。

<日本では、精神保健福祉法第36条第3項の規定にて、自殺企図または自傷行為が著しく切迫している場合、多動または不穏が顕著な場合、そのほか精神障害のために放置すれば患者の生命にまで危険がおよぶ恐れがある場合に限定して、精神保健指定医の診察を経て、行うことが認められている。>

 

上記記載のうち、法律の条項は363項には「指定医が必要と認める場合」といった定めがあるものの、具体的な根拠規定としては371項で妥当ではないかと思います。そこには具体的な定めがなく、「厚生労働大臣は、前条に定めるもののほか、精神科病院に入院中の者の処遇について必要な基準を定めることができる。>と厚労大臣に基準の内容を委任しています。

 

そして厚労省は<精神保健福祉法第37条第1項の規定に基づき「厚生大臣が定める処遇の基準」>を定め、これに基づいて、身体拘束を含め具体的な処遇の内容、要件、手続きなどが記載されています。詳細は上記をクリックすればわかります。

 

この処遇基準は、運用マニュアルとして各病院でこれに基づいて運用されていると思うのですが、まず国際ルールに適合しているかが問題となります。

 

ウィキペディアでは<国際原則[編集]

世界保健機関は「精神保健法:10の原則」において、身体的抑制(隔離室や拘束衣など)や、化学的抑制を行う際は、仮に必要と判断された場合でも以下を条件としなければならない(should)としている[4]

1.           患者と代替手法について、話し合いを継続していくこと

2.           資格を持った医療従事者によって、検査と処方を行うこと

3.           自傷または他害を緊急に回避する必要性があること

4.           定期的な状態観察

5.           抑制の必要性の定期的な再評価。たとえば身体抑制であれば30分ごとに再評価

6.           厳格に制限された継続時間。たとえば身体抑制では4時間

7.           診療録への記載

 

とありますが、上記の下線部分が適合していないおそれがあるように思うのです。とりわけ6の時間制限が定められていない点が大きな欠陥ともいうべきでしょう。下線部のない事項も具体的運用の面で実効性が確保される制度的担保を欠いていると言わざるを得ません。

 

上記マニュアルでは、身体拘束について、第4で記載しています。まず、基本的な考え方を取りあげます。

<(1)身体的拘束は、制限の程度が強く、また、二次的な身体的障害を生ぜしめる可能性もあるため、代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置として行われる行動の制限であり、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならないものとする。

2)身体的拘束は、当該患者の生命を保護すること及び重大な身体損傷を防ぐことに重点を置いた行動の制限であり、制裁や懲罰あるいは見せしめのために行われるようなことは厳にあってはならないものとする。

3)身体的拘束を行う場合は、身体的拘束を行う目的のために特別に配慮して作られた衣類又は綿入り帯等を使用するものとし、手錠等の刑具類や他の目的に使用される紐、縄その他の物は使用してはならないものとする。>

 

上記(1)では、制限が二次的障害のリスクがあること、下線部の他に方法がない一時的なもので、早期に取りやめることが求められています。しかし、24時間身体拘束は明らかにこの基準に反しているといえるでしょう。国際ルールの4時間はともかく、ありえない無制限拘束ですね。

 

次に対象となる患者に関する事項として、身体拘束できる場合を前述した3つをあげていますが、基本的条件を次のように定めています。

<身体的拘束の対象となる患者は、主として次のような場合に該当すると認められる患

者であり、身体的拘束以外によい代替方法がない場合において行われるものとする。>

 

上記下線部は先の基本的な考え方を具体化したもので、必須要件ですね。それは病院の都合ではなく、あくまで患者にとって代替手段がないことを基本的要件としているとみるべきではないでしょうか。

 

最後に遵守事項として、次の3つをあげて、医師に適正手続きの履行を求めています。

<(1)身体的拘束に当たっては、当該患者に対して身体的拘束を行う理由を知らせるよう努めるとともに、身体的拘束を行った旨及びその理由並びに身体的拘束を開始した日時及び解除した日時を診療録に記載するものとする。

2)身体的拘束を行っている間においては、原則として常時の臨床的観察を行い、適切

な医療及び保護を確保しなければならないものとする。

3)身体的拘束が漫然と行われることがないように、医師は頻回に診察を行うものとす

る。>

 

この下線部の履行が死亡事故の例ではなされていなかったのではないかと推察してもおかしくないように思われます。むろん診療録などの検証が必要ですが。

 

といったところで一時間が過ぎました。本日はこれにておしまいです。また明日。


へき地暮らしと医療 <へき地勤務医 厚労省が「お墨付き」>などを読みながら

2018-01-04 | 医療・医薬・医師のあり方

180104 へき地暮らしと医療 <へき地勤務医 厚労省が「お墨付き」>などを読みながら

 

今日は四国の実家から徳島道を走り、南海フェリーで紀伊水道を渡り、地道を通って帰宅の途に就きました。

 

いつものようにフェリーの中では横になって読書を楽しみました。今日は往路と比べ少し混んでいて足を延ばすほど余裕がありませんでしたが、それでも読書は十分楽しめました。幼子の喧騒も気にならず、夢中で本を読んでいました。その本は渡辺尚志著『百姓の力~江戸時代から見える日本』です。渡辺氏の本はこれまでこのブログかfbで何度か紹介してきたように思いますが、私のような素人でも楽しく読めるだけでなく、古文書を読み解いているためそのリアルさが伝わってきて面白いのです。

 

今日は2時間くらいの航路時間のうち、30分余りは睡眠休憩でしたので、1時間強は読書に充てられたように思います。波も外洋でないので凪のようなものです(初めてだと気になるかもしれませんが)。たとえば黒潮の流れに乗る高知から東京とか、東京から大島、あるいは石垣島から西表島などは割合波がきついですね。そういえば私もいろいろ船に乗りましたがほとんど本格的な外洋航路に乗ったことがないので、咸臨丸の勝海舟のようなきつい船旅の経験はないのですが。ただ、カヤックで津軽海峡を渡ったときは三角波というか荒波に木の葉のように舞ってしまい、のんびり波乗り気分でなかったことは確かですね。

 

また脱線してしまいました。私のブログに慣れている人は脱線は当たり前と思って慣れてしまったか、寛容な方なのでしょうね。ま、ブログというのは右に行ったり左に行ったり、上下さかさまになるくらいがちょうどいいのかと勝手に思っていますが。

 

もう少し脱線すると、漱石の講演録などを読んでいると、航路の行き先がさっぱり見えてこないというか漂流することが当たり前という感じで、大文学者というのはそういう中でちゃんとさまになる内容にまとめる?のでしょうね。そういえば大江健三郎氏の講演、日弁連50周年記念でやっていただき、私が幸いにも?舞台のそで、彼の後ろ側で、その話を伺くチャンスを偶然得たのですが、なんともこのノーベル文学賞受賞者の話も格調高いというよりは妻の話からどう本論に入るかと不安がよぎる中でさわやかにまとめ、2000人以上の聴衆を魅了させるのはさすがでした。

 

ま、私の場合は出発点から腱鞘炎からのリハビリ練習のタイピングではじめたので、内容は次にして、適当に書き連ね、落ちは色即是空と、中身のないものという弁解で、いろいろな情報をつまみ食いしながらおぼろげな記憶をもとに字数を稼いで、毎日の日課を続けているわけですから、その程度のものとして読んでいただければと思うのです。

 

で、元に戻って、渡辺氏の論説は、「百姓のちから」をいろいろな角度で説明していますが、一時間余りで読んだ部分は「土地はだれのものか」、「・・山野の重要性」そして「江戸時代の村落共同体」です。

 

いずれも私がこれまでなんどかブログなどで書いてきた内容にかかわるものですが、渡辺氏がわかりやすくある程度多角的にとらえていることから、ここでも少し引用しつつ、見出しのテーマとの関係でとくに医師との関係も触れてみようかと思います。

 

江戸時代の土地所有形態についてはこれまでもいろいろな見解が指摘されてきたと思います。その内容は別にして、年貢を徴収する、武士層の徳川幕府から藩主、家来、家来団などと、徴収される側は検地で名請人となった農民が一種の占有権的(所持権的)な権利を有していたともいえるとかもしれません。

 

この点について、渡辺氏は村落共同体の役割を重視します。これを大ざっぱに総有的なとらえ方をするわけではありません。個々の農民の所持権が排他的独立したものでない点を指摘するのです。たとえば割地(わりち)と無年季的質地請戻し(しっちうけもどし)慣行です。

 

前者の割地は、一般にはあまり知られていないかもしれません。私が日本(とくに西日本)の農地保有の特徴としてよくとりあげる零細錯圃制(さくほ)と関係があると思います。農家で5町歩(5ha)保有していると、それはわが国では大地主と言ってよいと思いますが、それでも個々の田畑は一区画が1,2反程度が普通ではないでしょうか、いや数畝程度も少なくないと思います。それが繋がっているのではなく、村のあちこちに散らばっていて、一か所に固まっているというのはあまりないのです。

 

なぜかと普通に聞いてもたいていの農家はよく説明できないように思います。それは渡辺氏が指摘するように、割地制の影響も大きな要因だと思います。その前提として、年貢の村請制によるものと思われます。

 

年貢は村全体で引き受け、一人の農家が年貢を納めることができないと、親族ないし五人組が連帯責任で代わって負担し、あるいは、最終的には名主なりが責任を負うということで、村として責任を果たす体制になっていたわけですね。このような仕組みでは、ある農家の田んぼが川沿いにあると、洪水で水没するとか、乾いた土地だと日照りの被害を受けやすいとか不公平になりますので、受け持つ田畑を村内で割り当てを買えるのが割地制です。

 

その他この所有形態のことを書いていると、一向に見出しの議論に入れないので、所有の議論はここまでとします。

 

で、この個々の農家に一応の所有と責任を認める制度の確立とともに、農民の独立経営体として成長していったと思うのです。それが水田耕作という用水・道路などの共同作業を必要とする村構成員の共同体の力が強化されていったのだと思うのです。

 

それは生産場面だけでなく、司法・警察・消防・行政といった公的な場面ばかりでなく、祭りや若者の組織化の中でも村の力が強くなっていったのだと思われます。

 

その結果として、村自体に寺子屋を用意して子供の教育を提供したり、医薬の重要性を知るようになると遠くから医師を雇って来てもらうこともできるようになってきたというのです。

 

江戸時代には村の規模は現在の大字くらいの範囲・人的規模ですので、小ぶりで全国に10万くらいはあったのでしょうか。当然格差もあったでしょうから、どこでも寺子屋や医師のサービスを提供できたわけではないでしょうが、重要なのは藩主や幕府の力を借りずに自立してやれるくらいに一定の自治組織が育っていたところが少なくなかったということでしょうか。

 

では現在はどうか。小規模の自治体では行政サービスを担えない、人口減少でそれまでの自治体を維持できなくなったとかの理由で、維新以降なんどか大規模合併を繰り返し、現在は全国で2000を大幅に下回っています(<市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴>参照)。

 

そうなると、当然、全般的な医師不足にとどまらず、高度・専門はもちろん基本的な医療サービスを得られないという地域が残されることは当然ですね。

 

毎日朝刊記事<へき地勤務医 でhが「お墨付き」 地域偏在解消図る>はその対策の一つだと思いますが、どのような意図か、記事から探ってみたいと思います。

 

記事ではその目的を次のように述べています。

<厚生労働省はへき地など医師不足が深刻な地域での勤務経験を評価した認定医制度を創設する。厚労省の「お墨付き」を与えることで地方での勤務を促し、医師の偏在の緩和を期待する。今月召集の通常国会に医療法改正案を提出する。>

 

これは、へき地での医師不足に対処する策として、へき地医療の経験を開業に際しての義務付けをするか、優遇するかの選択が検討され、調査では地方勤務を希望する割合が高かったことから、後者になったとのことですね。

 

医師不足問題について議論している厚労省の有識者検討会では前者の義務付けだったのが、省内で方針が変更したようです。いろいろな忖度があったのでしょうか。

 

厚労省のお墨付きはメリットがあるというのですが、自画自賛とならなければいいのですが。だいたい義務付け方針を決めた有識者の方は、一向にへき地での医師不足が改善しないことを真剣に考えたからではないでしょうか。この間の変更については、どうも合理的に説明するだけの資料が不足しているように思えます。

 

そもそもは自治体というか、へき地に住む人たちの力も弱まってきているのでしょうか。いや、自分はへき地で独立して孤独を楽しむというのもあってよいと思うのですが、むろん医療サービスを求めているところに支援できないようでは困りますが。

 

少し違った見方ができるのではと、少し古い記事ですが<やぶ医者大賞 へき地医療に貢献 美馬・藤原さん、兵庫・養父で表彰式 /徳島>を紹介します。今朝、徳島道を通ってきましたが、この記事にある美馬市を通過、吉野川から遠望する連峰の中に、木屋平(こやだいら)があったと思いますが、むろん見えませんね。木屋平の写真がウェブ上に掲載されていますが、まさに平家の落人でも住んでいたかのようなところですね。

 

弁護士過疎のまちといっても、立派な街並みがあり、都会とは違いますがある種文化的生活は満喫できますね。でも医師不足の地域というのは生活も大変です。

 

記事では<やぶ医者大賞>というユーモアたっぷりの名称の通り、そういった事情がわずかながら彷彿させてくれます。

<第3回大賞に選ばれた美馬市国民健康保険木屋平診療所長、藤原真治さん(46)と、滋賀県の東近江市永源寺診療所長、花戸貴司さん(46)が表彰状などを手渡され、それぞれ講演した。

 二人は自治医科大で一緒だったという。花戸さんは講演で、診療所の裏口に野菜が届けられていた逸話を披露。地域とのつながりに触れ「今後も永源寺のため頑張っていきたい」と話した。

 藤原さんは、薬剤師でつくるNPOや地域住民と連携して医療活動を行っている。写真などで活動を紹介し、「今後は地域づくりに一層力を注ぎたい」と結んだ。>

 

この<やぶ医者大賞>では、<赤ひげ大賞>と名付けないだけでも楽しさを感じさせます。それでついある映画の一場面を思い出しました。『噂のモーガン夫妻』(英: Did You Hear About the Morgans?)です。このモーガン夫妻、離別の危機の最中、殺人現場を目撃したことから、証人保護プログラムでワイオミング州のレイという辺鄙な町に隔離されます。そのとき夫が目や肩に負傷するのですが、妻が専門医はいないかと聞くと、若い医師は町では自分一人しかいない、体は子供も大人も同じとうそぶくのです。映画ですが、こういったのりの医師はありがたいかもしれません。

 

これらと異なり現代的なアプローチはどんどん進化していますので、少し古い記事ですが<どうすれば安全安心 遠隔診療、事実上の解禁 海外医療機関との連携に実績 北海道・旭川医大>を紹介しておきます。

 

<情報通信技術の医療分野への活用は、医師が遠隔地にいる患者を診察する方式だけではなく、医師が専門医に診療上の支援を受ける方式(ドクター・トゥ・ドクター)も行われている。国内では北海道旭川市の旭川医大がいち早く、医師間の遠隔医療に1994年から取り組んでいる。>

 

<旭川医大は94年、電話回線でカラー動画や音声をやり取りできるシステムを活用し、眼科の専門医が遠隔地の医師の治療方針に関する相談に乗ったり、手術の適応の判断をしたりする医療支援を開始した。99年には、付属病院内に、国内初の遠隔医療センターを設置している。>

 

画像診断が高度化し、ネットの高速化が進んでいますので、たしか和歌山県立医大でも最先端技術で南紀の診療所に医大の専門医が遠隔通信装置で直接診断・指導をすることが始まったようです。

 

そういえば画像診断は、いずれはAIに代替されるかもしれませんが、患者も一定の理解力が必要ではないかと思われます。その意味ではこの<画像診断cafe  >はよくできていると思うのですが、関心のある方はのぞいてみればいかがでしょう。

 

ということで今日は少し長時間かけてしまいました。また明日。