たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

ある株主総会 <東芝 厳しい再成長 半導体、原発 大幅縮小>を読みながら

2017-06-22 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170622 ある株主総会 <東芝 厳しい再成長 半導体、原発 大幅縮小>を読みながら

 

今日は珍しくある上場企業の株主総会に出席しました。株主になって25年くらいになりますが、初めて出席しました。昔は株主総会の運営指導の一端を担っていたので、いろいろな株主総会に株を買って参考に出席していたことがあります。当時は30分、いやもっと短い時間で終わらせるのが総務部の腕の見せ所、それを補佐する弁護士の腕と思われていた節があった時代です。基本的に総会屋対策が一年かけて準備して対応してきたように思います。

 

で、今日一度もいったことがない企業の株主総会に出席したのは、この間会社制度は大きく変わり、私自身はほとんどフォローできていませんが、総会屋といった問題もいつの間にか議論のまな板にのらなくなったので、だいぶ欧米型の総会運営が行われているのではないかと、半分期待して会場に入りました。

 

昔は議長を含め役員席のある演台の前は、何列かは総務部を中心に固めていたように思いますが、普通の株主が座っている感じです。というのは総務部関係だと、スーツ姿でびっしとしているのですが、普段着がほとんどでした。その点はいい感じかなと思ってしまいました。

 

ただ、議事運営は、総会の招集通知に記載された議事内容を、定款で定まっている議長の社長がたんたんと読み上げるもので、その点はあまり変わっていない印象です。私はソニーの株主総会をTVなんかで垣間見たことがありますが、さすがに当時の社長は自分で企業を引っ張っていくという姿勢で、中身のある説明をしていたように思います。

 

今日私が参加した企業は、私が買った株価から10分の1,いや20分の1くらいには値下がりしていると思いますが、あまり株価に関心がないので、それはどうでもいいことで、事業運営に関心があったのですが、それもあまりぱっとしない表面的な説明だけでした。私が以前株式を買った多くは環境関連事業を熱心にやっているところでした。この会社も世界一のシェアをもつ事業がありながら、どうもぱっとしない感じを受けます。それは環境関係の事業を展開している企業には少なくない印象を受けるのです。廃棄物処理や下水道処理など、どちらかというとインフラでもマイナーなイメージが世間的な評価としてあるのでしょうかね。それは企業の広報スタイル、また企業トップの姿勢に問題があるのかなと思っています。

 

で、株主の質問に入ったら、しばらく誰も手を上げず、最初に手を上げた人は自分のパワハラ被害などを蕩々としゃべってコンプライアンスとの関連で質問するのですが、議案と関連性なしと最終的には処置したのですが、総会議事運営のあり方としても議長として手早く対応してもらいたい気がしました。最初の質問から制限するとまずいといった意識があったのかもしれませんが。その後は株価を心配した質問など、あまり議案の内容に食い込むようなものもなく、株主の力量にも問題があるかなと思ってしまいます。

 

さて、序論が長くなり、すでにブログ書きが1時間半となってしまいましたので、簡単に切り上げます。

 

上記の企業も選択と集中で、本来の事業を切り捨て、新たな環境事業を中心に資本の集中と分離を展開していますが、いまはやりのIoTやビッグデータの活用をうたってはいるものの、独自の差別化・企業戦略といったものを感じにくい印象です。

 

そして毎日朝刊記事<東芝厳しい再成長 半導体、原発 大幅縮小>ですね。東芝は元々の白物家電から撤退し、将来の有望事業として、原子力事業と半導体事業に投資を集中してきたと思いますが、前者はすでに撤退し、後者も売却を進めています。赤字体質を改善するためには、半導体事業を売却しないといけないという財務状態の中、ほぼ出資額の半分を保有しているWDを無視して売却を進める手法は、企業のあり方として、また日本企業の礼儀として、疑問を感じます。

 

WDの訴訟提起は当然ではないかと思います。しかも<クローズアップ2017半導体売却、優先交渉決定 東芝窮余の日米韓連合 国が関与、選択肢狭まり>では、東芝は経営者側の意思で売却先を決定できず、首相官邸の意向で売却先を決定してしまったとのこと。このような経営判断は、半導体の技術輸出によって国益が害されるおそれを心配するのは政府としてわからなくもないのですが、漠然としているようにも思えるのです。WHを買収することはアメリカの原子力事業という国益を脅かすおそれはなかったのでしょうか。むろん日米と、いま問題になっている日中とは異なりますが、相手は台湾企業です。シャープが持つ技術とは異なるというかもしれませんが、それもどうかなと思うのです。

 

とくに鴻海が買収したシャープは、見事にV字回復の様相を示し、黒字を達成しています。わずかの間にそのような事業改変が可能なのか、それだけシャープの事業展開が急激な経営環境の変化に追いつかず、赤字事業を温存し、収益性のある事業に集中できていなかったのかと思ってしまいます。むろん一期だけの黒字化では簡単に評価できませんが、東芝の現経営陣では経営の立て直しは容易ではないように感じるのは普通の受け止め方ではないでしょうか。

 

東芝に立ち直ってもらいたいですが、決算報告もできない体質も含め、とても現経営陣に任せられない状況にあるように思えますが、いかがでしょうか。

 

いろいろ書きましたが、東芝という企業自体、ほとんど統括できないできたWHという海外の原子力事業に進出する暴挙に出て、今度は共同事業を行っていたWDの意思を無視して半導体事業を売却する、このような経営判断の合理性はどのように説明されているのでしょうか。

 

東芝の株主総会は628日と、総会集中日に行われますが、株主の多くの疑問・質問に、適当な回答では逃れられないように思うのです。

 

中途半端な議論になりましたがこの辺で終わりとします。


強者の奢りと品格ある面白さ <アマゾン問題と面白い町構想>2つの記事を読んで

2017-06-02 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170602 強者の奢りと品格ある面白さ <アマゾン問題と面白い町構想>2つの記事を読んで

 

昨夜は久しぶりの雷鳴を楽しむことができました。高台から強い雨足の音に雷鳴が鳴り響くのを聞きながら見ながら、贅沢の雰囲気を味わいました。良寛さんの五合庵やソローのウォールデンの小屋だと、雷雨に打ちのめされそうになるかもしれませんが、いくら強い豪雨が来ても大丈夫という安心感で、自然の猛威(とまではいきませんが)も心地よく感じます。

 

早暁のうちはまだ小降りでしたが、花たちは元気に開花しています。あまり水分が多くなるといけないとは思うのですが、ずいぶん乾燥した土だったので、根が張り、土壌菌が育つには役立つのではと思ったりします。

 

たいして仕事がないようでも、あれこれ用事をしているともう6時過ぎてしまいました。夕方前にそろそろブログのことでも考えようかと思っていたら、境界紛争の相談があり、メール等で送ってもらった図面や写真で説明したり、ネットの登記情報サービスで登記事項を入手したりしていたら、あっという間に時間がたってしまいました。

 

さてこれから本日のテーマを書くわけですが、お題が二つになっています。アマゾンをよく利用しているのですが、そのガリバー型寡占状況を利用した不公正なやり方は無視できません。他方で、人口減少問題は日々議論されていますが、平田オリザさんの意見は咀嚼できていませんが、取り上げてみたいと思い、全く異なる2つの記事、どう切子細工のようにうまく組み合わせることができるか、わかりませんが、書き始めます。

 

アマゾンの事業展開は向かうところ敵なしの状態でしょうか。しかし、本日の毎日記事<アマゾン契約見直し 出品業者に最安値要求 独禁法違反審査、公取打ち切り>は、その強力な市場支配力を利用して好き勝手なことをやっている印象すら感じてしまいます。それはヤマトをはじめとする宅急便業者に対する姿勢でもそうではなかったのかと思うのです。積み替えや配達などしている現場の人たちに、最終的に過重労働を押しつけ、その瀕死に近い状態を見てみないふりをして、成長を続けてきたのではないかと危惧します。

 

さて記事では、<公取委によると、

    アマゾンは自社サイトの電子商店街「アマゾンマーケットプレイス」に出品する業者と契約を結ぶ際、「楽天」や「ヤフー」などのライバル社に同じ商品を出品する場合は同価格とするか、より安く設定するように求める内容を盛り込んでいた。

    また、一部の出品業者との契約では、品ぞろえをライバル社に出品する際よりも同じか、最も多くするように求めていた。

 アマゾンは、出品業者が実際に最安値で、かつ品ぞろえを豊富にしているかどうかも調べていた。取引先に最も有利な価格などで取引するように求める契約手法は「最恵国待遇(MFN)条項」などと呼ばれる。

 公取委はこうした契約が(1)出品者がアマゾン以外に出品することを阻害する(2)競争をゆがめ、新規参入を阻害する--などの恐れがあるとして、昨年8月に独禁法違反(不公正な取引方法)の疑いで立ち入り検査に入り、審査を進めていた。>

 

アマゾンのネット通販事業における市場占有率は飛ぶ抜けていると思います。

記事では<富士経済の調査によると「Amazon.co.jp」のほか、「楽天市場」(楽天)、「Yahoo!ショッピング」(ヤフー)など、国内の主要な五つの電子商店街の15年の流通金額は計3兆5700億円でネット通販市場の半数以上を占める。5社は品ぞろえや集客力を競い、価格競争も激しくなっている。>とアマゾンの具体的な比率は明らかにされていませんが、ダントツではないのでしょうか。世界市場という意味では日本の競合企業は太刀打ちできませんね。

 

ですから、上記のようなアマゾンの取引手法は強者の横暴であり、弱者に無理を強いる取引方というべきでしょう。ネット通販事業は寡占市場になっていると思いますが、公取委が果敢に調査して指導・勧告するのでないと、不公正取引がまかり通り、競争の公正さを保てなくなります。その意味では公取委の調査は的確だったのでしょう。

 

とはいえアマゾンもすばやく対応して法的措置を回避したずるさなのか、賢明なのかは、これからの取引実態を注視していないとなんともいえません。

 

< アマゾンは4月、(1)出品契約で価格と品ぞろえに関するMFN条項を削除し、今後も設けない(2)実施状況を今後3年間、公取委に報告する--などの措置を示した。公取委は「違反の疑いを解消するのに十分」として、審査を打ち切った。アマゾンは「審査に協力する姿勢の一環として契約を見直した」としている。>

 

<多くの出品者と利用者がいる電子商店街で、アマゾンのような巨大企業が常に一番安く、品ぞろえも良好な状態を作り出す仕組みは、商取引を活発にする一方、将来的に競争が阻害される恐れがある。消費者が「他社」を選ぶ動機が乏しくなるためだ。ドイツとイギリスの競争当局も13年に日本と同様の調査を終えており、アマゾンは欧州連合(EU)内の出品者の契約を見直した。>とありますが、将来的にだけでなく、その強権的な取引条件自体が現在の取引業者に無理を強いることになり、ひいては従業員にしわ寄せが来る危険が高いともいえます。

 

むろん低価格を求めたり、品質を一定レベルに確保したりといった条件は一般には競争条件として許容されるでしょうが、市場支配力が強い場合、逆に競争が減退する恐れが高く、やってはいけない取引条件・方法でした。

 

この詳細は公正取引委員会のウェブ上で、<アマゾンジャパン合同会社に対する独占禁止法違反被疑事件の処理について>として、発表されています。

 

さて、もう一時間近くたってしまいました。人口減少問題に対する平田オリザさんの意見は、アマゾンが採用した強者の画一的で強権的な条件の強要という、過去の歴史で繰り返された強者の奢りを感じさせます。ただ、その成果を得て安い値段と素早い配達ということで、その恩恵だけを感じている購入者にとっては、その背後に多くの劣悪な条件をのまされている人の苦境は見えてこないかもしれません。そういう一面だけの幸福を享受していると、栄枯盛衰ではないですが、平家の贅沢の恩恵を受けた貴族たちのようにいずれは大変な思いをすることになるのではと思ってしまいます。ちょっと大げさでしたが、みんなが喜び楽しめる、面白みがある場の提供こそ、いま必要とされているのではないでしょうか。

 

<論点 人口減少>で、<どう備える若者呼べる「面白い」町を 平田オリザ・劇作家>の記事は、そのヒントを与えてくれているように思いました。平田オリザさんの話は時折、TVやラジオで聞く機会がありますが、その真剣さと人間味豊かさにインパクトを感じます。

 

彼は<まず人口が減ることは、ある程度は仕方ないと受け止めるしかない。>といいます。そのとおりではないでしょうか。増えることがいいこと、さきほどの取引量もそうですが、人口については当たり前のようにいわれ続けています。そして人口が減り続けると、町が、村が、あるいは私たちも、まるでなくなってしまうのではないかといった不安感をあおる傾向さえ感じてしまいます。

 

平田さんは、いくつかの人口増に転じた町を紹介しています。それはそれぞれ工夫や努力をすれば、住みたくなる場になるということでしょう。人が少なくなっていることはかえっていろんな新たなやり方を生み出せるのではないかと思うのです。

 

彼が取り上げた例<岡山県北東部にある奈義町は2年前、合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数)2・81という全国有数の高さを記録した。地道な子育て支援に加えて、地域の伝統芸能「こども歌舞伎」など文化、教育活動を充実させることで、若い子育て世代の転入が増えているためだ。>

 

また<「コウノトリの郷」で知られる兵庫県豊岡市のスローガンは「小さな世界都市」だ。世界中の劇団に施設を無償で貸して世界と直結する街づくりを進めるなど先端的な施策を打ち出しており、人口減のスピードが鈍りつつある。香川県・小豆島では、瀬戸内国際芸術祭などを通じて島外との交流が深まり、年200人以上が移住している。>

 

そして<「仕事がないためだ」>とか、<東京から地方に戻らない理由は「田舎はつまらないから」だと言う。>ことについて疑問を呈しています。

 

<IターンやUターンで成功している自治体は、住民が地域の文化や伝統に「オンリーワン」という誇りを持ち、それが地域で育つ子どもたちにも伝わって、「面白い」町になっている。>

 

どう面白くするかについては、

<若い世代が子どものために求める英語、バレエ、ピアノなどのレッスンを自治体が無償提供するといった従来にない施策が必要だ。実際、若い世代はそうした自治体を選び始めている。さらに、若い母親たちが気兼ねなくおしゃべりできるおしゃれなカフェがあれば文句ない。>といいます。

 

 <もちろん、文化だけでは食べてはいけない。増大する社会保障費をどうするのかという問いもある。>という問題についても、<芸術文化が街づくりの「必要条件」になっているのは事実だ。文化がない街は若者にとって「つまらない」からだ。住民が自己決定能力を高め、税金の使いみちを自ら決めることが一つの解決策になるだろう。奈義町では高齢者が自ら相互扶助に取り組み、町内で役割を担い、社会保障費削減を進め始めている。>というのです。

 

文化というのは、言葉遊びではなく、まさに具体的な実践でしょうし、新たな活動を呼び起こし、発見し、いままでにない「文化」という生活様式であったり、賑わい場であったり、するのでしょう。それは究極には、面白い場づくりではないでしょうか。そして誰かだけが楽しみを満喫し、他の誰かが苦痛のどん底にあるのを見捨てたり、無視することとでは生まれない面白さです。なにが面白いか、固定的に考える必要がなく、作り出すものだから、面白くなるのではないでしょうか。私もなにか面白いものをやってみたいとは思います。

 

さてほぼ一時間を過ぎたところです。いつものようにとりとめもない話になりました。いつかこれが実になるような具体の話になるといいのですが。今日はこの辺でおしまいです。


東芝への疑問 <「破産前に報酬21億円」米WH元会長のモラルは?>などを読みながら

2017-06-01 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170601 東芝への疑問 <「破産前に報酬21億円」米WH元会長のモラルは?>などを読みながら

 

昨夜は早々と寝たのはいいのですが、漆黒の闇の中(といっても三日月でしょうかさほど暗くはなかったですね)目覚めて、あとはうつらうつらしながら、野鳥の楽しそうな鳴き声を子守歌のように思いながら、明るくなるまで目覚めたり眠ったりしました。

 

ユリ科の花はつぼみから見事に開花してくれると、見事というか、ほれぼれします。花も100種以上あると、それぞれ個性があって、すぐにしおれてしまうのもあれば、いつまでも元気に花を咲かし続けるもの、いったんは枯れてしまっても繰り返し咲いてくれるものなど、多様性があっていいです。ただ、土が悪いと、いっぺんでしおれてしまいかわいそうです。分譲地の土は、よほど配慮した業者でないと、いろんな土が混ざっていますし、土壌菌が生育するような土はわずかではないかと思います。わが家の土も、最初はミミズも見かけることがないほどでした。最近小さなのが出てきて、おう頑張って生きているかと思ったくらいです。やはり小指くらいの太さのミミズがうようよしていないと、土壌は元気もないですし、花の方もうまく育ちませんね。すこし時間をかけて土を育てていこうかと思っています。

 

さて、今日は財務諸表のチェックや総会運営などを議論していて、いつのまにか6時を過ぎ、書き始めたらもう630分です。これから1時間で、本日のテーマをどのくらい書けるかわかりませんが、東芝事件はこれまでも何回か取り上げてきましたし、最近も話題満載で、いつ取り上げようかと思いつつ、今日の見出し記事を見て、なにか割り切れない思いが募り、ともかくテーマにしました。さて、どこまでなにを書けるかはこれから書きながら考えます。

 

毎日記事<「破産前に報酬21億円」米WH元会長のモラルは?>は、NHKのニュースでも取り上げられていたと思いますが、この内容には釈然としない思いを抱く人は少なくないと思います。

 

<東芝の苦境の原因となった米ウェスチングハウス(WH)をめぐり、米国から驚きのニュースが飛び込んできた。同社の破綻直前まで会長を務めたダニー・ロデリック氏に、1年間で1900万ドル(約21億円)の報酬が支払われたというものだ。>

 

それもロデリック氏は<2012年にウェスチングハウス社長兼最高経営責任者(CEO)に就任した。そして、16年6月に会長に昇格し、東芝の社内カンパニー社長を兼任していた。>のであり、その<経営のもと、ウェスチングハウスは米国内で4基の原発建設を進めたが、大幅なコスト増で経営が行き詰まった。巨額損失をめぐり、ロデリック氏が損失額を圧縮しようと部下に不当な圧力をかけたことも明らかになっている。>

 

その彼が会長就任の<同年12月にウェスチングハウスの米原発建設で巨額損失が明らかになり、2月14日付で東芝社内カンパニー社長を解職された。そして、ウェスチングハウスの破産申請の2日前の今年3月27日に同社会長を退任していた。>ということで、破産直前に巨額の報酬金を手にして、おさらばしているのです。

 

たしかにアメリカ企業の世界では、リーマン・ショック時、ウォール街の金融・証券会社は倒産ないしは生き残っても政府から多額の支援を得ていました。でも企業トップはもちろんトレーダーら金融事業の前線で活躍した人たちはロデリック氏のように多額の報酬を得て平気で受け取り、巨額のローン債務の返済で苦しむか職を失った多くの中間層の嘆きの声を全然気にしません。これがアメリカなんだと思うこともありますが、東芝のとWHとの関係では、ちょっと事情が異なると思っています。

 

WHを買収し、海外での原子力事業を展開しようと甘い皮算用をしていた東芝は、WHの底なしの空虚の事業計画を鵜呑みに、そして最終的には訴訟で争っていた、これまた杜撰きわまりない施工会社を買収するというWHの決定をロデリック氏が行うのを野放しにしていたのです。

 

その東芝が<株主総会決算見送り><東芝決算報告断念 上場維持へ正念場 月末期限の有報焦点>という最悪の事態を招いたのは、先の記事にあるように、<巨額損失をめぐり、ロデリック氏が損失額を圧縮しようと部下に不当な圧力をかけたことも明らかになっている。>ことが主要因ではないのでしょうか。WHが破産申請の選択を避けられなかったのは、事業採算性をまったく無視したロデリック氏の事業展開と施工会社買収が主たる要因であり、それに輪をかけ、その損失を隠蔽しようと不正処理を指示したという、意図的な犯罪性の疑いのある行為をしたロデリック氏に主な原因があるのではないのでしょうか。

 

そのロデリック氏がどのような委任報酬契約をしていたか知りませんが、委任事務を適切に遂行していないばかりか、背任の疑いすらありうるにもかかわらず、経営責任を問われず、巨額の報酬を手にするというのはいくらなんでも、アメリカの資本主義というか、企業経営のあり方に疑問を感じざるを得ません。

 

ここまではアメリカの企業の話ですが、それを買収し、統括すべきであったのは東芝本体ではないのでしょうか。いまなお、監査法人から適正意見がでないのは、このWHに対する東芝の認識・対応がリスク管理・ガバナンス・コンプライアンスのすべてにおいて、無視できないものだからではないでしょうか。ロデリック氏に対する巨額報酬金の支払いがまかり通ること自体、わが国の経営マインドとかけ離れすぎていませんか。

 

上記記事の後者では、<有報は監査法人の意見を得て財務局に提出する必要があるが、米原子力子会社の巨額損失を認識した時期の調査について、監査法人と対立しており、監査法人の意見を得られる見通しが立っていない。>という状態がずっと続いてますね。

 

WHの巨額損失を認識した時期について、もしかしたら志賀重範前会長以下一部の人しか知らなかったのかもしれません。いや志賀氏も知らなかったといっているのかもしれません。でもそれで通る話でしょうか。

 

3年前になりますか、不正会計処理が露呈したとき、すでにWHの巨額損失は少し調査すれば把握できたはずです。第三者委員会に調査対象から外させたこと自体、その認識の可能性が分にあったと思えるのです。わたしが監査法人の担当者の立場であれば、仮に東芝が昨年暮れに巨額損失を初めて知ったと弁解しているのだとしても、とうてい受け入れられないものです。

 

さて東芝の<株主通信>では、<1. 原子力事業の抜本的見直し><2. メモリ事業の分社化と外部資本の導入>などをうたい、<4. 今後の東芝の姿>を目指しているということで、稼ぎ頭の半導体事業の分社化・売却が厳しい暗礁に乗り上げていることも、上場廃止の危機的状況も、まったく感じさせない姿を見せています。

 

それはたしかに企業として、将来を前向きにとらえる必要があり、一面では理解できないこともないです。しかし、ロデリック氏がこれまでとってきたWHの事業運営に加えて巨額の報酬の取得について、頬被りして、淡々と進めていっていいか、土光氏ならとても見ておられないと思うのですが、どうでしょう。

 

そろそろ一時間に近づいてきました。今日はこの辺で終わりにします。


商いの未来 <米国 対面小売り窮地 ネット通販隆盛で大量閉店>を読んで

2017-05-19 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170519 商いの未来 <米国 対面小売り窮地 ネット通販隆盛で大量閉店>を読んで

 

薄闇の中に目覚めるのには慣れたものの、早く目覚めるせいか、いや、体調が悪いせいか、最低血圧が高いので少しは気になります。どうも終日ボッとしている状態が多いことも気になるのかもしれません。今のところ認知症らしき明確な症状は現れていないのでいいのですが。

 

最高血圧(収縮期血圧)は時折140を超えるものの、一時期のように継続性がなく、正常値にとどまるようになりました。ところが拡張期血圧は高止まりです。運動不足も影響しているのか、食べ物のせいか、いろいろ考えています。心配するときりがないので、ほどほどにして、日々の作業を繰り返すばかりです。耳を澄まさなくても、野鳥の楽しそうな語らいが新鮮な空気とともに部屋に入ってきます。朝早くから刈払機の音などけたたましい機械音がないのもうれしいことです。

 

今日は寒暖差が激しくなるところがあり、場所によっては日中30度を越えるとか、ラジオから聞こえてきましたが、事務所は冬は少し寒いですが、夏は涼しくて、今日もほとんど暑さを感じませんでした。外にでかけると、車はサウナのような状態で、大変ですが、事務所の中はクーラーも必要がない(夏でも普段かけたことがありません)のです。

 

さて今日もいつの間にか5時近くなりました。本日のテーマはと少し考えてみましたが、ボッとしていることもあり、いい考えが浮かびそうもありません。そんなわけで見出しの記事<米国対面小売り窮地 ネット通販隆盛で大量閉店>になにか感じるものがちょっとだけひらめき、内容がどうなるかは書きながら考えて、タイピングを始めています。

 

記事では<国の小売業界が業績悪化に苦しみ、大量閉店に追い込まれている。米ネット通販大手アマゾンといったオンラインショッピングに来店客を奪われたためで、スポーツ用品店など専門店の経営破綻も相次ぐ。大量閉店が不動産市場を変調させ、金融市場の波乱要因になる恐れもある。>と現状を総括しています。

 

ネット通販は、この前、宅配便の過重労働との関連でブログで書いた記憶があります。便利で安価であることはそれが画期的であればあるほど、従来の産業・市場を破壊することになることは、これまでも繰り返し見られた現象ですね。資本主義の世界では当然、大きな産業構造の変更を促すことになるでしょう。

 

ただ、北米のショッピングモールは、80年代から90年代にかけて郊外型店舗として、車社会のまちづくりに適合するというか、多くの市民に受け入れられ、各地でどんどん作られていったと思います。わが国も2000年代に入ってぐらいから次第に拡大したような印象です。二番煎じで、一周というか二周遅れの感じもありました。

 

で、私は90年代初頭から中葉の北米のそれを訪問したり、利用したりしていましたが、当時すでに閑古鳥が鳴いていたように感じていました。私は名前だけの研究員でしたので、自由に平日もなんでも研究対象と言うことで、そういった場所を訪問していましたが、ほんとに来客はわずか、店員もお客さんを相手にするようなこともなく、これで広大な敷地と集合店舗の経営が成り立つのか心配したぐらいです。ただ、北米の庶民は結構、土日に一度に大量に買い物をするので、それで賄っていたのかもしれません。

 

それとカナダの場合冬季はマイナス20度前後が当たり前ですので、巨大ショッピングモールに行けば一日遊んで買い物をして家族が楽しめる、それもTシャツ姿でというのは結構人気があったようにも思うのです。

 

ただ、一般に、店員のサービスは低いレベルというか、あまり期待できない印象でした。また、ある程度高品質に内装や室内装飾がされていましたが、わが国の名門百貨店と比較するのもなんですが、とても劣る印象でした。私が銀座三越や日本橋三越、日本橋高島屋、あるいは新宿伊勢丹などを訪れていたのは80年代から90年代初め頃ですので、その後の百貨店の衰退でどうなったかは知りませんが。

 

こういった名門百貨店の店員サービスというかおもてなしの作法は、わが国に導入されたショッピングモールの店舗ではなかなか期待することが出来ないですね。私も、90年代後半以降は、物の質やサービスの質に拘らなくなったのですが、それは社会情勢とも関係するかもしれません。

 

ところで、毎日記事は、百貨店の店舗数の減少にとどまらず、大手スポーツ用品店や家電量販店といった専門店も経営破綻になるなど、これまでの小売業界に地殻変動が起こっていることを指摘しています。

 

そして<大量閉店は金融市場にも混乱を起こしかねない。米国では商業用不動産ローン担保証券(CMBS)と呼ばれる証券化商品を発行し、ショッピングモールの建設費用を調達するのが一般的だが、モールの収益力低下がCMBSの下落につながる恐れがあるためだ。>とリーマンショックの再来の懸念も一応指摘しつつ、CMBSはその引き金となった低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)をまとめた証券化商品とは異なるので、そのような心配はないとも指摘されています。

 

一応私もそう思いつつも、ネット通販では対面販売が不要なのですから、あの広大なショッピングモールの大規模店舗群もいずれは閑古鳥がなくのではないかと懸念します。私が経験した90年代前半でも兆しがありましたが、現在は商いのあり方自体が本質的に変わっていく傾向にあります。すると広大な敷地が必要とされなくなったら、不動産市場も、そし証券化商品と連動した金融・株式市場も、当然に下落していくしかないのではと憂慮?します。

 

しかし、私は大規模店舗ないしショッピングモールは新たな戦略で生き残りをかける道を模索すると思いますし、そこに新たな商いの道が生まれるのではないかと期待します。

 

たしかにネット通販は便利で安価です。品物の豊富さは抜群です。わざわざ店舗に出かけなくて、PCやスマホでぽんとクリックすれば、希望の品物が届くわけですから、物自体を取得するには、縄文時代から始まった交易における、異なる民族間での信頼関係を築きながら長期間をかけた貴重な物の獲得の時代から長い歴史を経て、ようやくたどり着いた物自体の価値だけに着目した商い方法でしょう。

 

その品質についても、詳細な客観的なスペックが記載され、また、購入した利用者の評価(中にはサクラもいるでしょうけど)もその品質をより理解できる工夫があります。また、販売店の中にはメールで親切で礼儀正しい対応をすることが少しずつ増えているようにも思えます。これからさらにビジュアル的にも、商品理解の点でも、苦情処理についても、より進化してカスタマーへの利便性を増大することは間違いないでしょう。

 

しかし、物は、それこそ物によっては、個々人にとって、とても個性的な付き合いの対象でしょう。その感触、臭い、色合い、自分の手足との整合性など、極めて個性的な側面をぬぐいきれないところがあります。

 

それだけではありません。物を購入するときの雰囲気、場も大切な場合があるでしょう。そして物を扱う店員との会話も有効に働くことが少なくないでしょう。合羽橋などで食器等を選ぶ場合、その主人がどういう解説をするか自体が、まさに商品価値の一部になっているかもしれません。それは名門百貨店の店員の中にそういう資質の人が少なからずいたと思うのです。

 

物を売るというより、物がもつ歴史や秘めた利用価値を売るというか、作り手の意図、配慮を語るような売り手がいる場所になれば、物自体の取得を越えて、それは縄文時代にあった深い背後の文化も物を通じて伝わるそういう、商いも一つあっていいのではと思うのです。

 

と同時に、さまざまな店舗の複合や、エンターテインメント施設との一体的なサービス提供を越える、新たな生活スタイル、新たな文化の場、たとえばエコロジカルな生活全体を演出するとか)を提供できる場は、やはり広大な敷地を必要とするでしょう。そこには森があり川が流れていてもいいのではないかと思うのです。単に都市的環境、ビルディングを表面上作り替えても、飽きてきませんかね。

 

丸之内の商店街ビルは、三菱地所が中心になってある意味、日本有数の事務所ビルと商業店舗をうまく配合しているように思えます。その景観配慮は、長い歴史を通じて一貫して行われてきたため、その点ではわが国では貴重なまちづくりの例だと思います。

 

しかし、心の豊かさやゆとりを提供する空間が生み出されているかというと、残念ながらほど遠く感じるのは私の狭量さでしょうか。

 

丸之内ビル街をつい引っ張り出してしまったため、どうも本線から脱線してしまったようで、そろそろ1時間ですし、疲れも出てきましたので、内容がいつものように中途ですが、これで今日はおしまいとします。


事業家の心構え <緑のマチュピチュ 愛媛・別子>などを読みながら

2017-05-04 | 企業活動 コンプライアンス 公正取引

170504 事業家の心構え <緑のマチュピチュ 愛媛・別子>などを読みながら

 

今日も相変わらず漆黒の中に目覚めて長閑な早暁の明るみを感じつつ起き出しました。いつものように高野の山々の成り立ち具合を意識しながら眺めています。地質学などの知見があるともう少し理解できるだろうにと思いながら、ひたすら稜線を追っています。そういえば、カナディアン・ロッキーの岩肌を眺めていると、地球の造山運動を感じるようになり、英文の地質学の本を当時はよく眺めていたものでした。

 

どうやら錯覚があるように思っています。いつも3つのたんこぶのような山頂の形状にみえる箇所はどこかとグーグル・アースの3D画像で確認していたのですが、どうもそのような稜線をもつひとかたまりの山はなさそうなのです。ちょうど九度山の慈尊院から登っていく町石道のある稜線で、歩いて登る人にとっては馴染みのコースです。私は一度も歩いて登ったことがありませんが・・・

 

それを確かめるために、登ろうとまでは今のところ思っていませんで、事務所に行く道を少し遠回りすると、違う角度から眺めることが出来るので、今日は大回りして別の角度から見上げてみました。すると3つのたんこぶ形状ではなく、最も高い部分は後方の山でした。町石道はその部分では上り下りがなく割合平坦になっているのです。それを鉄塔の立つ位置との関係で確認したら、「二ツ鳥居」のそばで、その周辺には飛び出たような山頂はないので、間違いないと思ったのです。この二ツ鳥居は行ったことがあり、近くにそのような山頂がなかったように思います。

 

まどろっこしい話しですが、日々の高野周辺の山岳景観は、毎日見ても飽きません。対岸の和泉山系の景観については研究者の論文がありますが、高野については寡聞にして知りません。このブログで少しずつ書いてみたくなりつつあります。

 

さて前置きはそのくらいにして、本日のテーマに入りたいと思います。今日はみどりの日ですね。それで毎日朝刊は安倍首相の「自衛隊9条明記」という見出しでビデオメッセージを詳細に検討する一方、<緑のマチュピチュ 愛媛・別子>を取り上げています。前者は昨夜のプレミアムニュースで石破氏の痛烈なコメントがわかりやすく、また共産党の小池氏発言も興味深い取り上げ方でしたが、今後も続く議論でしょうから、この件はまた別の機会にします。

 

東洋のマチュピチュとも言われている別子銅山跡地は、私も子どもを連れて行ったことがあります。たしかに毎日掲載の写真であるように見事な緑豊かな山で、ここが鉱山開発されていたところとは到底思えないほど、感動しました。

 

というのは、四半世紀くらい前でしたか、足尾銅山にも林野庁の案内で、植林による再生事業を行っている最中の状況を見ましたが、禿げ山が全山に広がり、植林による再生が容易でないことを痛感したものでした。

 

少し足尾銅山に触れると、修習生のとき、何人かで田中正造の本を輪読して、鉱毒被害の酷さや谷中村民のために孤軍奮闘し、人権保護の先駆け的な活動に感銘を受けていました。また、東京弁護士会の広報を担当していた頃、弁護士会館の記録を残すため専門業者にビデオ作成を依頼しましたが、私が図らずも中学生だったか子役の子を相手に会館の中を紹介する役を演じたのですが、弁護士会の活動として取り上げたと言えば、会長室にあった額縁に入った感謝状でした。それは花井卓蔵、三好退蔵をはじめとする東京弁護士会の多くの弁護士が、足尾鉱毒事件の被害者のために活動したことに対するものでした。そのとき初めて、田中正造だけでなく、明治時代の弁護士も人権保護のために活動したことを知ったのです。

 

こういった余計な話しは次々に出てきそうなので、この程度にして、足尾銅山の場合、下流の農民などに死者も多数でるような鉱毒被害を発生させ、その解決が長期にわたり、しかも銅山閉鎖後も禿げ山状態の回復が容易でない状況にありますが、事業者が違うと異なる結果となり得たという事例が別子銅山です。

 

別子銅山も、吉野川の上流、銅山川と呼ばれる場所で、江戸時代から鉱山開発が続いていて、当然ながら鉱毒被害が出ていました。足尾鉱毒事件が起きた頃、精錬工場から排出される煙害による農作物の被害が出て、拠点の新居浜分店が操業停止を求める農民らに襲撃されるに到ったのです。時の鉱業所支配人、伊庭貞剛は「住友家の家名を汚すようなことがあ ってはならない」と足尾の二の舞を避けるべく、瀬戸内海の無人島への精錬所移転を計画し、実行します。前年ながら煙害は拡散して、被害は残りましたが、伊庭の誠実な対応により、排ガス浄化やSO2中和装置などにより、大幅に煙害を少なくし、被害補償も尽くしています。他方で、移転した後の別子銅山は、すぐに植林を開始し、現在の住友林業の基礎ともなっています。

 

この事業者としての心構えは、伊庭の叔父、広瀬宰平が住友家の初代総理事として、旧来の銅山開発を、20年かけて西欧技術を導入して近代化を果たしつつ企業と経営の分離および企業と地域の共生の文化を確立し、甥である伊庭貞剛は2代目総理事として、公害問題を被害補償といった安易な解決でなく、公害の回避・減少・最小化という根本的な解決策を導くとともに、鉱山開発が破壊された自然を再生する事業をも同時に行った、先駆的な事業を行ったといえるのでしょう。

 

以上は、NHK番組で、以前、「百年の計、我にあり(別子銅山) 広瀬宰平・伊庭貞剛物語」といった趣旨のタイトルで放映されたときの記憶も半分取り入れながら、書いています。むろん、そう簡単に足尾鉱毒事件と別子銅山の再生を比較することは問題もあるでしょう。しかし、現在の別子銅山跡地はまさに東洋のマチュピチュといってもいいほど見事な近代化遺産であり、また、自然再生の見本でもあると思うのです。それに対し、足尾銅山跡地はまだまだ復活にはほど遠い状況です。これはやはり事業者たる者の心構えにも大きな要因があったといえるのではないでしょうか。

 

なお、<足尾鉱毒事件と明治時代の鉱害-足尾、別子、日立鉱山の比較・・・>はたまたまウェブ上で見つけたものですが、うまく整理されていると思います。参考までに。

 

また、別子銅山の歴史、実態などは<日本の近代化遺産(5) ---- 日本の銅山史を訪ねる・・・>が画像付きで丁寧に書かれていますので、まるでそこにいるような感じにさせてくれます。

 

今日はこの辺で終わりとします。