たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

外来種と差別化 <外来種 アライグマ、分布域10年で3倍 生息なし3県のみ>などを読みながら

2018-09-04 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180904 外来種と差別化 <外来種 アライグマ、分布域10年で3倍 生息なし3県のみ>などを読みながら

 

今朝の雲行きは不思議な光景でした。高野をはじめ紀ノ川南岸の連峰上には、刻々と雲の様子が変わっていくのです。一時は全体が薄い雲に覆われているかと思いきや、その後は天変地異がいつ起きるかもしれないような変化に富んだものでした。山稜付近には小さな入道雲のような力強い白色をした雲、その上には次々と変わる様々な形と色の雲の群れが自由闊達に踊っているようにも見えました。

 

強力な台風21号の予兆でしょうか。雲の大いなる変化と異なり、地上付近では風もなく平穏な朝が過ぎていきました。

 

しかし、案の定、昼前頃から久しぶりに聞くような轟音で周囲を蹴散らすような暴風雨が事務所の玄関ドアや窓を揺るがすかのようにたたきつけはじめました。やはり猛烈台風でした。思うに、戦前の建物でしたら、吹き飛ばされるか、そうでなくても屋根が飛ばされてしまうのではないかと思うほどでした。昔の人たちはこういう艱難辛苦をもたらす自然の脅威に耐えてきたのですね。現代の私たちは、事前に予想し、急に暴雨風雨がやってきても驚くこともなく、吹き飛ばされる心配もほとんどしなくてもよく、ま、安穏といってもよいのでしょう。むろん全国には災害脆弱箇所がいくつもありますから、そこは不安でしょうけど、昔に比べれば、安全性が高まったことは確かでしょう(土地利用制度の不備や自然の脅威などで災害危険は残っていますが)。

 

ところで、いまは夕方で、台風一過といったところでしょうか。ふと毎日記事を見ると<外来種アライグマ、分布域10年で3倍 生息なし3県のみ>とあり、アライグマの写真が大きく写っていました。

 

わたしが最初にアライグマを見たのは、20年あまり前、鎌倉に住んでいた頃でした。夜遅く自宅に帰る途中、人通りの絶えた道の先の方に、なにか動く姿が見えました。靄がかかっていて、はっきりしませんでしたが、タヌキかなと思って、近づくとアライグマでした。かわいい表情でしたが、逃げていってしまいました。それからなんどか見かけるようになりましたが、その頃は台湾リスの方がたくさんいて、家の周りというか、屋根に上がったり、自由奔放に動き回っていました。

 

隣家がリスにエサをやっていたこともあるのでしょう。ほんとにリスは多かったですね。アライグマも餌付けをしていたと思います。当時まだ、有害性とかそれほど話題になっていなかったと思います。鎌倉の住民の中では・・・の限定付きですが。

 

その後横浜弁護士会の公害環境委員会で、外来種による農業被害と駆除の問題について調査することになり、三浦半島一帯の市町村を担当を決めて調査することになりました。私は他のメンバーとたしか逗子市だったと思いますが、市役所を訪れました。すると駆除担当(農林振興課?)で罠用の網を見せてくれ、実情を説明してくれました。

 

農家の人は、アライグマの侵入で農作物の被害が深刻な状態になっているとのことでした。データも提供いただきましたが、内容はもう失念しました。それで対応策の罠ですが、これらがすごく頑丈なのです。まるでイノシシ対応みたいな頑丈な鉄製網の大きな箱でした。

 

あのかわいい感じのアライグマにこんな物騒なものが必要なのか不思議に思いましたが、担当者いわく、とてもどう猛で、普通の網だと壊してしまうとのことでした。そしてアライグマが怒ったときの顔写真を見せてもらいましたが、これは凶暴な面相になっていました。かわいい様子は微塵もありません。

 

20年ほど前野話ですが、台湾リスも、アライグマも、当時はまだ一部地域にとどまっていた記憶です。

 

ところが、記事によると、<環境省は全国を5キロ四方の区画に分けて、全ての市区町村に2010~17年にアライグマが確認されたかどうか尋ねて分布を調べた。その結果、20%の場所で生息情報があった。同様の方法で調べた05~06年の前回調査では7%ほどだった。

 都道府県別で見ると、生息が確認されなかったのは前回調査時に12県あったが、今回は秋田、高知、沖縄の3県だけになり、急速に分布を広げていることを示した。>

 

それが<約10年前と比べ全国で3倍近くに広がったとの調査結果>の具体的な内容ですね。

 

<以前はほとんど見られなかった福島県の沿岸部でも広い範囲で確認された。>

これはNHKの帰宅困難地区での野生動物の生息状況を放映した番組でも、アライグマの家族がしっかり映っていたのを見ました。

 

<アライグマは北米原産で、ニホンザリガニなど絶滅危惧種を捕食するほか、農作物被害や感染症を引き起こす恐れがあるとして、環境省は飼育規制が必要な「特定外来生物」に指定。>

 

そのため、ウィキペディア<アライグマ>では、<2005年に 外来生物法が施行されると同時に、特定外来生物に一次指定され、防除に向けた活動が本格化した。>

 

<外来生物法に基づいた箱わなによる有害駆除の捕獲が主となっている[2][5]。近年は、錯誤捕獲を防ぐためにエッグトラップという新しい罠も開発されている[37]。>

<外来生物法による防除や有害駆除を含めたアライグマの捕獲数は2008年には14000頭を超えた(捕獲数が特に多いのは北海道と兵庫県で合わせて6000頭)[5]。>

 

90年代まではかわいいなんてことで、ペットとしても飼われた時代があったわけですし、動物愛護団体から駆除に対しては抗議活動が続いているようです。

 

外来種だからすべて差別化して、駆除処理するということではないですが、農業被害や生態系への深刻な影響があるような場合は特定外来種として駆除されていますね。昔この法律も調べたことがありますが、いまは記憶で書いていますので曖昧です。

 

さて人間についても、日本人と外国人、とくに移民や在日外国人など、異なる取扱が行われています。それが場合によっては差別的取扱いとして合理性を疑わざるを得ない場合もあるでしょう。ましてやヘイトスピーチを容認するような国や地方自治体であってよいはずがないでしょう。

 

この問題と同列に扱えませんが、生物についても、外来種ということで、また、農林業被害を与えるということで、駆除を容認することがどこまで合理性があるのか、検討されて良いと思うのです。

 

アライグマの増大は、ある種人間がもたらしたともいえるわけでしょうから、また、どう猛になるのも生命の危機にさらされれば当然でしょうから、それだけで対応を強化するのがどこまで許されるのか、考えておきたい問題です。

 

と考えたのが20年くらい前ですが、一歩も進歩していない自分を省みています。

 

そうそう動物愛護と言えば、犬公方と蔑称された?綱吉ですが、彼は基本的には生命の尊さを、虐げられた子供や女性から、あらゆる動物・生物に考えを徹底させただけで、その思想や政策の合理性についてはある程度見直されているようですね。だいたい、綱吉から「𠮷」をいただいた吉宗将軍は、かなりの部分で綱吉がやろうとした政策を実施したとも言われていますので(これもだいぶ以前に読んで中身が曖昧です)、綱吉と吉宗、まったく異なるようで、共通する部分を考えても面白いかなと思うのです。

 

脱線が続いたところで、今日はこれにておしまい。外は静かになりました。台風が過ぎ去った後の静寂さの中、のんびり帰れそうです。また明日。

 

 


障害者雇用における不正と不誠実さ <クローズアップ2018 障害者雇用水増し 通知、都合よく解釈>などを読みながら

2018-08-29 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180829 障害者雇用における不正と不誠実さ <クローズアップ2018 障害者雇用水増し 通知、都合よく解釈>などを読みながら

 

<障害者雇用水増し>という言葉を見聞きしていて、違和感をぬぐえません。そう「水増し」という言葉を安易に使っていないかと思うのです。そこには本質が隠蔽されてしまうおそれがあるようにも思えるのです。

 

「水増し」を大辞林 第三版の解説に当たると、

     水を加えて量を増やすこと。

実質はないのに見かけだけを増やすこと。 「経費を-して請求する」

 

という意味づけです。数字が増えているけど、実際はその数字の裏付けがないという、ある種客観的な記述ですね。でもその数字を算出するとき、その数字操作には関わった人間の行為があり、その責任内容が問われないといけないのですが、水増しといって済ますと、それが明らかになりません。

 

こういった数字のごまかし、表現のごまかしは、最近、とくに中央官庁で増えているような印象があり、もう慣れっこになってしまった感さえあります。それが安倍政権が生み出した官僚統制のための内閣府制度に問題があるのかどうかも検証されて良いかと思います。

 

なぜ水増しとしているか、厚労省が言い出したのでしょうかね。

 

今朝の毎日記事<クローズアップ2018障害者雇用水増し 通知、都合よく解釈 あしき慣行「40年以上」>では、<中央省庁の障害者雇用を巡る水増しは、国の27の行政機関で3460人に上ることが28日、明らかになった。>として、その経緯・背景を解説しています。

 

毎日の社会面では<障害者雇用中央省庁水増し 企業「信じられぬ不正」 NPO「国になめられた」>は、障害者雇用促進のための制度について、<障害者雇用促進法は、企業や国・自治体など事業主に対し、一定割合(法定雇用率)以上の障害者を雇うよう義務付ける。厚生労働省は各省庁や民間企業に毎年6月1日時点の雇用数の報告を求める。過去1年のうち雇用率が達成できない月があった企業からは、1人分につき原則月5万円の納付金を徴収する一方、達成企業には補助金を支給する。>として、法定雇用率を定めて、企業に対しては、飴とムチでコントロールしていることを指摘しています。

 

この法定雇用率を達成するために雇用数を算定するのに、厚労省はガイドラインを定め、毎日の上記クローズアップ2018記事では、その内容は<雇用率に算入できるのは障害者手帳を持っている人か、指定医の診断書で障害が認められた人に限られる。>とされています。

 

ところが、<同省が毎年、雇用率の報告を求める際に出す通知には、算入できる職員について「原則として身体障害者手帳の等級が1~6級に該当する者」と記載されており>、霞ヶ関ルールを別に用意していたようです。そのため?<国税庁、防衛省、文部科学省、法務省、農水省などはいずれも「通知に『原則』とあり、必ずしも手帳の確認は必要ないと誤解していた」と釈明した。>

 

ま、端的に言えばダブルスタンダードでしょうか。しかし、ガイドラインこそ基本であり、それに基づく雇用数の達成を民間企業に義務づけ、違反すれば1人につき月5万円の納付義務まで課しているのですから、その基準を緩和するような解釈は許されていいはずがないと考えるべきではないでしょうか。

 

手帳を確認しなかった場合それは不正を行ったとみるのが自然でしょう。単なる水増しではないと思うのです。だいたい原則だから手帳確認は絶対出ないというのであれば、例外的にどのような合理的な基準で判断したのか、それを説明しないと、それこそうその上塗りになりかねないように思うのです。

 

政府が障害者雇用促進法に基づき率先して障害者雇用を進めて、障害者の社会進出を容易にすることが求められている中、このような多くの省庁の対応は不誠実を通り越して、不正であり、官僚として一線を越えているように思うのです。なぜこのようなことが平気で行われてきたのでしょう。

 

麻生財務大臣の発言が本音を一部露呈させているのかもしれません。今回の「不正」発覚により<今後数千人規模の新規雇用が必要とみられる。>ことを受け、<麻生太郎財務相は28日の記者会見で、「障害者の数は限られているので、(各省庁で)取り合いみたいになると別の弊害が出る」と指摘。>

 

そもそも障害者で雇用できる対象をはじめから限定していることが見て取れますね。

 

他方で、<厚労省によると、省庁で働く障害者は大半が身体障害者。採用拡大には知的障害者や、4月から雇用率算定の対象となった精神障害者の雇用を増やすことも必要になりそうだ。>ということです。つまりこれまで知的障害者や精神障害者は雇用されてこなかった、数のうちに入っていなかったことが上記の麻生氏の発言からも分かります。

 

しかも障害者雇用は、省庁では非正規雇用が中心だったようですから、決して安定的とは言えないですし、誠実に対応してきたかも疑問を感じます。

 

むろん知的障害者や精神障害者の場合、その能力に応じた職場環境を準備することも必要かと思いますが、それによって多様な職場環境が生まれるわけですから、その場合、民間企業の促進モデルとなりうると思うのです。

 

<障害者就労支援を手がける民間企業LITALICO(りたりこ、東京)の担当者は「障害の種類によって業務の適性や求められる配慮が異なる。専門家の支援を受けながら就業環境を調整することが望ましい」と指摘する。>このような当然の環境整備も、自ら率先して身体障害以外の障害のある方にも雇用の機会を提供しないと、どのような配慮が必要か、制度設計も、指導も適切にできないでしょう。

 

<埼玉県立大の朝日雅也教授(障害者福祉)は「障害をもった当事者が政策立案に関わることで国民サービスを向上させる可能性がある。民間企業に模範を示すためにも正規雇用の可能性を研究してほしい」と話す。【原田啓之】>もごもっともです。

 

「水増し」といった低レベルの対応は、なにか最近の数字あわせを官民とも邁進する空疎な社会構造に背景があるのかもしれません。

 

一時間がすぎました。このへんでおしまいとします。また明日。


人格形成の道と差別意識 <ジャカルタ・アジア大会 ・・ バスケ4選手、買春謝罪>を読みながら

2018-08-21 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180821 人格形成の道と差別意識 <ジャカルタ・アジア大会 ・・ バスケ4選手、買春謝罪>を読みながら

 

最近のスポーツ界、しかも最高峰のレベルで次々と噴出する不祥事ないし違法行為には驚かされます。「健全な精神は健全な肉体に宿る」といったのは誰でしたか。この言葉が空疎に聞こえてきます。

 

スポーツ基本法の前文でもなかなかいい表現が並んでいます。

<スポーツは、心身の健全な発達、健康及び体力の保持増進、精神的な充足感の獲得、自律心その他の精神の涵(かん)養等のために個人又は集団で行われる運動競技その他の身体活動であり、今日、国民が生涯にわたり心身ともに健康で文化的な生活を営む上で不可欠のものとなっている。スポーツを通じて幸福で豊かな生活を営むことは、全ての人々の権利で>あるというのです。

 

しかし、スポーツをやっていれば、当然に健全な精神が宿るなんてことは少し安直な考えでしょう。健全な精神は、スポーツに限らず、一人ひとりが自分で日々精進することで生涯をかけて取り組む課題ではないでしょうか。

 

私はさまざまなスポーツに取り組んできましたが、そうすることにより特別心の健全性が高まったなんてことはあまり考えたことがありません。クラブ活動で厳しいしごきや練習に耐えることで、鍛えられた、少し耐える力が生まれたとか、規律を大事にするとかは多少はありますが、それはスポーツだけが特権をもっているわけでもないと思います。

 

むろん私のような凡庸な人間と異なり、優れたアスリートは才能も豊かな上、自分を持続的に鍛えあげ、さらに能力をアップすることに秀でているトップクラスの人たちでしょう。

 

でも社会規範や世の中の基本的なルール、価値判断といったものについて、あるスポーツの社会の中で過ごす限りは問題にされなくても、一歩社会の中で一人の人間として向かい合ったとき、適切に判断し行動する健全な精神を培うような仕組みがあるわけではないでしょう。むろん、たいていのスポーツ組織はそれなりの指導をしていると思いますが、それによって実際に自らの精神を形成するのは、体力強化とは異なる別の意味で、一人ひとりが日々心を鍛えることが必要ではないでしょうか。

 

今朝の毎日記事<ジャカルタ・アジア大会「代表の自覚なかった」 バスケ4選手、買春謝罪 裁定委設置、処分へ>は、日本のスポーツ界がこれまで重要な何かを欠いたまま、アスリートとしての能力強化に、またメダル獲得数を増大する方向だけに、進んできた氷山の一角がまた噴出したにすぎないのではないでしょうか。

 

記事によると事実の概要は次の通りです。

<ジャカルタ・アジア大会のバスケットボール男子日本代表の・・・・4人は試合直後の16日夜、日の丸の入った公式ウエアのTシャツを着用し、ジャカルタの歓楽街へ食事に出掛けた。食事後、2軒目の店を探す途中、偶然出会った在留邦人の仲介で女性とホテルに同行。1人当たり120万ルピア(約9000円)で買春し、17日未明に選手村に戻った。>

 

この件について、<4選手は「良くないことをしている認識はあったが、浮ついた気持ちだった。日の丸を背負うという自覚がなかった」と謝罪した。>

 

たしかに日本を代表するという自覚を欠いていたことは確かでしょう。その意味では、日本の国際的信用を失墜させたとか、東京オリンピック・パラリンピック開催にまた暗雲をもたらしたともいえるかもしれません。

 

むろんほとんどすべての代表選手は、それぞれの競技での入賞やメダルを目指して一心不乱で頑張っているのですから、こういった一部のアスリートの恥ずべき行為をことさら問題視するのはおかしいと思う人が中にいるかもしれません。

 

それこそ問題の本質を見誤る危険を感じます。

 

彼ら代表選手を誘ったのは、偶然であった在留邦人で、その仲介によりホテルで売春行為に至っています。

 

東南アジア諸国における売春はまだ相当広がっているのではないかと思うのです。わたしが30年程前、調査で訪れたときも、現地通の人が面白いところがあるからと、同僚たちとともに、タクシーの運転手の案内で豪奢な建物に連れていかれました。そこはどうやら売春宿のようなところでしたので、同僚ともどもサービスを辞退して帰りました。

 

当時、まだ日本人による買春ツアーも盛んだったようにおもいます。こういうサービスが日本人に受けると思っていたのでしょうね。それが現在でもはびこっていて、代表選手が味わったのでしょうか。

 

私は当時、東南アジアの辺鄙な農村で、買われた若い女性が日本に連れてこられて、高額の借金のかたに全国各地で売春行為をさせている事件などを取り扱ったことがあったり、新宿周辺の路上で立ちんぼしている各国からやってきた女性が売春をしていて捕まった事件などを扱ったりしていました。

 

いかに多くの日本人男性が安易に女性をお金で買って性交している現実に直面して、恥ずかしく思いました。また東南アジアなどに出かけて同じことをやっている日本人男性の多さにも嫌気がさしました。

 

それが現在でもなお当たり前のように通用しているのかと思ったのです。それが「代表の自覚なかった」で済ましている意識に現れているように思うのです。

 

日本人として、というより人間として、いかに恥ずかしいことをしているかを自覚して欲しいと思うのです。

 

むろん現地の彼女たちも貧困の中で、また女性差別の社会で生きていくのが厳しいため、売春行為をしている人がほとんどだと思います。その現状を変えることこそ、私たち日本人が考え、行動することではないでしょうか。お金を出して助けているといった侮蔑的な見方は妥当しないと思います。

 

以前、『帝国の慰安婦』をとりあげたことがあります。ソウル高裁は、名誉毀損罪で著者のパク・ユハ教授に罰金1000万ウォン(約100万円)の有罪判決を言い渡し、パク氏は上訴中だと思います。強制かどうかの議論はあるとしても、戦時中の出来事として、売春が公に認めれていたことは日本政府も認めていると思います。

 

おそらく東南アジア諸国でも同様の行為が行われていたのではないでしょうか。

 

戦後すでに70年が過ぎた今なお、普通に、日本人に買春を勧誘する状態があることに、私たち日本人はもっと意識を改めても良いのではないでしょうか。

 

むろん「健全な精神」をリードするべきスポーツマン、アスリートは、模範を示して欲しいですね。男女平等社会への道を。

 

今日は久しぶりに6時前にブログを終えました。また明日。

 

 


障害者とともに? <グループホーム「マンション退去を」 管理組合提訴>を読みながら

2018-08-09 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180809 障害者とともに? <グループホーム「マンション退去を」 管理組合提訴>を読みながら

 

グループホームは割合軽い障害をもった方が自立して暮らすには有効な手法の一つではないかと思うのです。重度の障害のある方だと、家族みんなで一人を世話することも大変苦労されています。それでも家族の中でみんな寄り添って頑張っている家庭もあるでしょう。他方で、いつまでもそれが続けられない場合もあり施設で職員の支援を得て集団生活を送ることもあるでしょう。

 

他方で、家族の支援から距離を置いて障害のある方だけで一緒に共同生活を送ることができれば、施設内にあるさまざまな束縛から離れ、自分なりの生活スタイルを、一定の支援を受けながら送ることもできるでしょう。グループホームはそんな役割を期待されているのかなと思うのです。

 

ところが、その部屋を確保するのが容易でないですね。一戸建ての家などを借りようとしても、分譲地内だと反対も出たりして、簡単に借りられない状況があるように思えます。以前、近くの空き家をグループホームに貸そうとしたら、近隣を含め分譲地で強く反対する声を私も聞いたことがあります。私自身、近隣の人とも懇意にしていたので、直接異論を挟みませんでしたが、問題点を話し合う機会がとれればと思っているうちに、話が進まなかったように思います。

 

話は変わりますが、軽度の知的障害者の通所施設が当時、近くにあり、最寄りの駅や分譲地の周囲では、障害のある人たちをよくみかけました。近隣の高齢の方はその施設にボランティア支援にでかけ、こどもたちのために手製のボールを作ってあげたりしていて、わが家の子どもにもいただいたりして、身近に感じていました。幼い頃わが子たちはこれで家の中でずいぶん遊び暴れたものでした。

 

ただ、電車に乗っていたりすると、障害のある子の中には、奇妙な言動をしたりするので、他の乗客から驚きに視線が集中することもありました。通い慣れた私たちには、ああ、あそこに通っている障害のある一人だなと思いつつ、がんばって通所できているなと感心していました。といってなかなか声かけたり、隣家の高齢の方のように施設まででかけて支援というか、交流というか、そういったことまでできませんでした。

 

さて本題に戻ると、昨夕の毎日記事では<グループホーム住居か施設か 「マンション退去を」 管理組合提訴・大阪>とマンション利用をめぐる対立が裁判で争われることになっています。残念なことです。

 

< 少人数の障害者が共同で生活するグループホーム(GH)を巡り、大阪市内の分譲マンションの管理組合が、部屋を借りてGHを運営する社会福祉法人に対し、「住宅以外の使用を禁じた管理規約に違反している」として、部屋の利用禁止を求める訴訟を大阪地裁に起こした。8日に第1回口頭弁論があり、法人側は請求棄却を求めた。>

要は管理規約に違反するか、それが退去請求の正当性を持つかが争われています。

 

さらに記事は<訴状などによると、このマンションは1988年築。法人は15年前から2部屋を借り、現在は知的障害がある女性6人が暮らしている。組合側は2016年に消防から指摘を受け、GH事業の実態を把握。管理規約に違反しているとして退去を求めたが、法人側は応じなかった。>と、問題発覚の経緯を取り上げています。

 

この後に、管理組合がとった管理規約の改定という対応は、おそらく管理会社か弁護士に相談して行ったのではないでしょうか。

<このため、組合は16年11月、管理規約を改定し、GHとしての利用を禁じる規定を追加。17年7月にはGHの利用停止を求めて大阪簡裁に民事調停を申し立てたが、成立せず、今年4月の総会で提訴を決めた。「部屋を事業に使うのは共同の利益に反する行為」とし、部屋の利用禁止や違約金約85万円の支払いを求めている。>

 

このくだりは少しわかりにくいように思います。管理規約の改定自体は、「GHとしての利用を禁じる」規定を追加したということですから、GHとして利用することは規約違反となりますが、それだけでは退去理由の正当性として弱いと思ったのでしょうか。さらに「部屋を事業に使う」ことが組合員全体の「共同の利益に反する」と付け足したのでしょうかね。

 

他方で、法人側の説明では<借りているマンションの2部屋には、40~60代の女性6人が暮らしている。間取りは3LDKで、1人ずつ個室がある。利用者らは日中に作業所などに出向き、夜はテレビを見たり音楽を聴いたりして過ごしている。GHの職員らは食事や掃除、入浴などのサポートでマンションに出入りする。>とし、また、<「マンションは、利用者が毎日暮らす住居で、管理規約には違反しない」と主張している。【戸上文恵】>さらに<担当者は「障害のある人が自分らしく生活することができる場を奪わないでほしい」と訴える。>

 

さて、どちらの主張が法令、管理規約、そして社会的正義に適合するのでしょうか。

 

大阪府立大の三田優子准教授(障害者福祉)の話>が取り上げられています。

<グループホーム(GH)は住まいであり、地域で暮らすことを望む障害者にとって重要な選択肢の一つだ。賃貸住宅を利用できなくなれば、同じような形態のGHに対する影響は大きい。GHが事業だとして退去を求めるのは障害者差別解消法に抵触する恐れがあり、多様性の排除にもつながる。>

 

なにゆえ共同社会を形成する人たちは、障害者とのともに生きる社会を避けようとするのでしょうか。このような主張は、ヘイトスピーチとか、妄信的な主張とは異なり、普通に日常生活を送る少なくない方の心の中にも共通するものがあるかもしれません。いや、そういう私自身、まったくないなんてことは言えません。私自身、自分が差別意識を持つことにヘイトしますが、そのような意識が自分の中に起こらないとは断言できません。ただ、そういう意識を持ったときの自分を嫌い、許せない気持ちになるだけです。

 

では、本件訴訟のようなケースではどのような解決が求められているのでしょうか。記事の経過が正しいのだとすると、法人によるGH利用は15年間も継続していて、その利用によるトラブルがあったことは認められません。

 

このような場合に、総会で管理組合規約を適正手続で改定したとしても、その内容が社会的正義を逸脱するものであれば、権限の乱用の性格を帯びる可能性があるかもしれません。そうでなくても、つまり、規約自体は一応、有効としても?その違反を理由に退去を求めるだけの正当性を持つという解釈には疑問があります。障害者との共生は現代社会の基本的な要請であり、障害者差別解消法の趣旨にも相容れないものではないかと思われます。

 

むろんGHといえども、管理がいい加減で、管理組合の平穏な利用を著しく脅かすような利用があれば別ですが、そのようなこと自体、偏見的なものの見方ですし、具体的な裏付けのない限り、他の利用者と同じように対応するのが本道ではないでしょうか。

 

なお、少し古い記事で、グループホームの開所を祝うものがありますが、分譲地でも、マンションでも、偏見を持たず、このように明るく受け止めたいものです。

グループホーム完成 障害者の生活拠点に 出雲・NPO法人 /島根

グループホーム障害者と地域、交流の場 与謝野・岩滝に 6月にはカフェもオープン /京都

 

ちょうど一時間となりました。本日はこれにておしまい。また明日。

 

 


ママのお見合い? <はたらく 能力勝負 ママドラフト会議>を読みながら

2018-07-16 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

180716 ママのお見合い? <はたらく 能力勝負 ママドラフト会議>を読みながら

 

毎日記事の<くらしナビ ライフスタイル>はいつも今日日深く読んでいます。世の中の変化を感じる一面でしょうか。

 

さて今回は<はたらく能力勝負 ママドラフト会議>と人気のプロ野球に習ったのでしょうか、でもやり方は独自性があっていいですね。

 

結婚・出産で仕事を辞めた女性が再び就職するのは、わが国の場合保育条件や労働環境、さらには夫やその家族の意識など多くの壁があって、容易ではないでしょうね。

 

そんな暗い話にめげることなく頑張っている人もいますね。

記事は<結婚や出産の後に再び働きたくても、以前のようにやりがいのある仕事を、どう見つければいいか分からない--。そんな時に企業との橋渡しをする「ママドラフト会議」をご存じだろうか。>と新しい取り組みに注目しています。

 

ママドラフト会議とはなにか、まずその様子を生中継とまでは行かなくとも再現しようとしています。

<「社会に必要とされ続けたい」「必ず良い仕事でお応えします」

 6月、東京都中央区。この日のママドラフト会議の対象になったのは6人の女性だ。約40人の経営者や採用担当者が見守る中、1人ずつ登壇して4分間のスピーチに挑む。かつて社内外で表彰された実績、妊娠・子育て中に勉強して取得した資格……。身ぶり手ぶりを交えながら、自分の長所をアピールしていく。質疑応答の後、「いつか一緒に働きたい」と判断した企業が「いいね!」の四角い札を掲げると、ママたちの笑顔があふれた。>

 

ではドラフト会議はどんな仕組みなんでしょう。

<ドラフト会議はNPO法人「ママワーク研究所」(田中彩理事長)が主催する。拠点のある福岡市でこれまで8回開き、約40人と延べ約200社が参加した。女性の参加費は無料。「お見合い」が成立すると、あとは個別に雇用契約を結ぶ仕組みだ。>

 

実際に仕事に就いた人の体験談も紹介されています。

<昨年のドラフト会議で職を見つけた横林京子さん(42)=福岡市東区=は現在、人材育成コンサルティングなどを手掛ける会社で在宅勤務をしている。2人の子どもが幼稚園に行っている間や寝た後を使い、多い時で月60時間。日帰り出張もする。ウェブ会議に参加したり資料を作ったり。「補助的なパート業務と違って、交渉事を任されるなど恵まれています」>

 

この横林さんは、仕事もしたい子育てもがんばりたいと、どんな仕事経験をしたいかや能力を語るだけでなく労働条件をプレゼンしたら、それでいいという会社があったのですね。

 

このような成果こそ、ママドラフトの特徴らしいのです。

<「子どもがいると、まず働ける時間の制約を考えてしまう。多くの企業や女性は『制約があるから働けない』と互いに思い込んでいます。でも、本当は働きたいという女性はいるんです」と横林さんは言う。「働く条件を自分から提示することは、普通の求職活動ではやりにくい。ドラフト会議は自分の能力や条件を口に出せる場でした。こういうやり方が多くのママたちに届いてほしい」。働き出すと4歳の長女が一番の応援者になってくれた。夫も自分から家事を手伝うようになった。>最後の、夫の家事は当たり前ですが、在宅で仕事に取り組んでいれば、余計そのような意識を生み出すのかもしれません。

 

女性は子育てに専念するのが理想なんて考え方がまだ強い日本社会。ほんとに子供のためにもそれがいいのかとおもうのです。子供中心の家庭になりかねないですね。学校生活だけが話題になってしまいませんか。世の中、さまざまな矛盾・悩み・問題が頻発しています。そこから目を閉ざして、母子中心の家庭生活となってしまったら、子供の成長にも決して望ましいとは思えません。

 

むろん長時間労働やパワハラ・セクハラなどの悪行を許容した労働環境や、あるいは補助的仕事だけ押しつけるといったことで、子育て中の母親を働かせようというのは論外ですが、多様な働き方を提供する場として、こういった舞台もあってよいかと思います。

 

専門家の意見も参考になります。

<第一生命経済研究所の的場康子・主席研究員の調査によると、子どものいる男性が再就職時に最も重視するのが「仕事のやりがい」なのに対し、女性は「勤務時間」などの条件を挙げた。>これはわかりますね。ひどい性差ですね。でも地方にいると痛感します。

 

<的場さんは「政府は中途採用市場を拡大しようという方針で、企業内保育所や在宅ワーク推進などで多様な働き方を後押ししようという機運がある」と、ママへの「追い風」を指摘する。その一方で、最近の人手不足を背景に「子持ちの女性も働かせようという思惑があるのではないか」と懸念。>政府の保育体制強化も、単に女性労働力を増やす方向しか向いていないと思われても仕方ないかもしれません。保育の男女差を少なくすることへの配慮も必要でしょう。そして女性が多様な職場につける条件整備も不可欠ですね。

 

的場氏の<「子育てを優先したい人はそうしてほしいし、働きたい人には再雇用などの選択肢を増やすことが必要。自らの意思表示を社会にしていくことが大切だ」と話す。そのうえで、再就職を考える女性には「人生100年時代。勤務時間などの条件だけで職場を選ぶのではなく、長いキャリアを考えて選択してほしい」とアドバイスする。>という発言は、女性が人として一生を生きていく道を一人ひとりが大事にして欲しいという、おそらく寛恕自身の体験もあって指摘した言葉でしょうか。多くのママさんには注目してもらいたい言葉です。

 

話は変わりますが、<人生相談夫が亡くなった後が不安=回答者・高橋源一郎>の今回の回答を読んでいると、やはり相談を継続するのは難しいなと思ってしまいました。このブログも、なんかマンネリになって、あとどのくらい続けることができるのかしらと思ってしまいました。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。