171109 見えていることの意味 <NHK番組で紹介された目の不自由な人への絵画解説>を見ながら
今日は割合、予定が立て込んでいて、ブログを書く時間がとれないかもしれません。30分程度を利用して、NHKおはよう日本で紹介されていたニュースを基に、少し考えてみます。
般若心経の冒頭に、「照見五蘊皆空」という有名な一句がありますね。五蘊(ごうん)はウィキペディアを引用すれば
<五蘊は次の5種である。 「色」は物質的存在を示し[3]、「受」「想」「行」「識」は精神作用を示す[3][1]。人間の心身の機構を羅列的に挙げ、それによって人間の生存およびその環境の全てを表そうとしたものである[4] 。
色蘊(しきうん、巴: 梵: rūpa) - 人間の肉体を意味したが、後にはすべての物質も含んで言われるようになった。(例:桜そのもの)
受蘊(じゅうん、巴: 梵: vedanā) - 感受作用(例:桜の木をみて「美しい」と感じること)
想蘊(そううん、巴: saññā, 梵: saṃjñā) - 表象作用(例:眼をつむって「桜」というイメージを思い浮かべること)
行蘊(ぎょううん、巴: saṅkhāra, 梵: saṃskāra) - 意志作用(例:桜の枝を瓶にさしてみようと思い巡らすこと)
識蘊(しきうん、巴: viññāṇa, 梵: vijñāna) - 認識作用(例:「桜」と認識すること)>
ややこしいですが、人間と周囲の環境全体、まいえば、人が生きているうちに経験し体験するすべて、いやおそらくは地球や銀河系の生誕から始まって消失するまでの全体を意味しているのではないかと思います。
そこには人間のちっぽけな五感とその機能およびその結果も内包しているのでしょう。そんな中、上記で言えば、なにか対象を見るといった点では、認識作用の「識蘊」が直接的な関係があるのかもしれません。
で視力があるということは、こういった機能は働き外界を認識できるのでしょうね。他方で、目の不自由な方はその作用を働かすことができないのかもしれません。
NHK番組は、目の不自由な方を美術館に案内して、一つ一つの絵画の内容について、ある種のインタープリター的な役割する方を紹介していました。途中で見たので、どういう団体とか、資格とかをもっているかはわかりませんでしたが、ある絵画を見ながら、その対象を見たそのままに加えて印象をも話していました。そのことで、目の不自由な方に内面に具体的な絵画のイメージが膨らんだようです。そしてこの解説は一方通行と言うより目の不自由な方との会話のキャッチボールでさらに解説者にも気づきを与えているように感じました。
実際、解説する人のコメントにも話すことで、ただ見ているときに気づかなかったことに気づくことができたというような話もあったと思います。
私たちの多くは視力を維持していますので、たいていのものをみることができます。ただ、ほんとうにそれを的確に認識しているか、はたまた感受作用としての「想蘊(そううん)」を十分に発揮できているかは危うい状況にあると思うのです。
目が見えないことにより、言葉から発せられるイメージで、「想蘊(そううん)」が働き出すと、目で見ている人が気づかないものを見いだすことができるかもしれません。
こういった目の不自由な方への、ある種細やかな解説は多方面で行われることを期待したいと思うのです。いま、視覚障害者の事故などが問題になることが少なくなく、そういった場合に物理的な手助けが想定されています。それも重要なことですが、言葉の働きかけはさらに重要ではないかと思うのです。
それは視覚障害者にとどまらず、認知症予備軍や認知症の方に対しても、そうでしょう。
朗読を入院患者や目の不自由な方にボランティアで行う活動をしている人たちと昔会合をもっていたことがありますが、この朗読というのはとてもすばらしい、人間力の回復をもたらすものではないかと思っています。それは目に障害がある方はもちろん、ない方、普通の視力の方にはとても有効だと思っています。
人間の五蘊は、その相互作用によって、人間力が高まるのではないかと思うのです。
といって、それらはすべて「空」であることもお釈迦様はおっしゃっているのでしょう。
柳澤桂子の『生きて死ぬ智慧』は般若心経の心訳という彼女流の解釈書です。その一文を部分引用して今日は終わりとします。
「空」という状態には
形もなく 感覚もなく 意志もなく 知識もありません
・・・
実体がないのですから
・・・
眼の領域から意識の領域に至るまで
すべてないのです
真理対する正しい智慧がないということもなく
それがつきるということもありません
・・・・
老いもなく 死もなく
・・・・
苦しみも 苦しみの原因も
苦しみをおさえることも 苦しみをおさえる方法もない
知ることもなく得るところもない
・・・
永遠なるものを求めて永遠に努力し
心を覆われることなく生きていけます
・・・
恐れがなく 道理をまちがえるということがないから
永遠の平和に入っていけるのです
私たちが あらゆるものを
「空」とするために 削り取り
・・・
私たちは深い理性をもち
「空」なる智慧を見つけたものになれるのです
今日はこれにておしまい
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