170912 森・林業・住宅 <インタビュー・最前線住友林業・市川晃社長>を読みながら
昨夜は毎日夕刊を楽しめました。<今どきの歴史入の沢遺跡(宮城県栗原市) 古墳時代、最北の緊迫>の記事では、4世紀後半に、多賀城より北に古代大和政権の影響が及んでいたことを示す遺跡として紹介されていました。
この遺跡は14年に発掘されていますので、考古学の世界ではその頃すでにそれまでの常識が崩れていたのかもしれません。考古学の世界は次々と発見があるので、専門家もそれまでの発掘された遺跡から体系的な立論をしていると、突然、がたがたと崩される危険はあるのでしょうか。
だいたい、私自身も奈良時代から平安時代初期にかけて歴史書や歴史小説を読んでいると、当時の中央政権の覇権は多賀城の少し北方くらいまでで、それは7世紀初頭くらいからようやくたどり着いたところかなと思っていました。他方で、政権側も無理に米作りを強いることなく蝦夷とは協調路線で、共存する道を選んでいたと思っていたのです。奈良時代末期から桓武の治世になり、征討の動きが明確になり、何回にもわたって征討軍を派遣し、ついには坂上田村麻呂征夷大将軍と蝦夷の大将・阿弖流為との激戦と友情みたいな話も成立したのかな、なんて思ったりしていました。
でも岩手との県境にある栗原市で発見された入の沢遺跡は、その300年も昔に、縄文文化のまっただ中に、侵略的に?入り込んでいったことを示しているのでしょうか。普通の建物跡から出土した銅鏡など古墳の副葬品が発見されたことが注目されていますが、銅鏡など副葬品と評価されてきた品々も実は別の用途としても利用されていたことを示す手がかりかもしれませんね。そもそも東北は、いや津軽でしたか、北のまほろばと司馬遼太郎が表したように、豊かで多様な文化を形成していたのだと思うのです。それにしてもやはり竪穴式ですね。日本人はいつまでこの方式の建物で暮らしていたのでしょうか。日本人の住宅観念は、天変地異に脅かされる地震列島に備えた適正なものだったのかもしれません。
で、本日の話題に移ります。同じ夕刊に上記の記事が掲載されていました。住友林業は、たしか以前のブログで、愛媛県新居浜市にある別子銅山の森林回復などについて書いたとき、取り上げたように思います。
市川社長のインタビューでの発言は、その別子銅山の事業で見せた住友家の番頭ともいうべきリーダーの遺伝子を引き継いだような、意欲的で、社会に貢献する企業精神を体現している印象を感じさせてくれます。
住友林業も海外進出が相当進んでいるのですね。そういえば、昔、家を建てようと思ったとき、いくつもの分譲住宅を見たりする中で、住友林業のなんともいえない風格を感じたことを思い出しました。その住友林業が海外でさまざまな事業を展開していて、好調な実績を上げているそうです。ではどんな事業かとちょっとウェブを覗いてみました。
<北米での取り組み>という中に、<Gehan Homes>というのがあったので、このホームページを見ると、ビデオで概要をみることができます。ま、北米の高級分譲地の一つという感じです。私がカナダ滞在していたとき、食事に誘われて訪問した邸宅があります。その内装や設備、外観も似通っている印象でした。私はそんな豪華な家に住める経済力も、関心もないので、似通ったという評価は正確ではないのですが、私が訪問した邸宅はまさに高級分譲地の一角でした。
で、そのビデオを見ただけではほんとはわかるものではないでしょうが、とりあえずの感想は、どこに住友林業らしさがあるのかと思ってしまいました。社長は<米国とオーストラリアの住宅事業は、出資先のパートナー企業との関係作りが成功し、増益につながりました。>といっているところから、現地企業の方針などにはあまり口を挟まないのかもしれません。郷には入れば郷に従えでしょうか。
たしかに住友林業の住宅をそのまま北米やオーストラリアの人たちに受け入れてもらうのは大変でしょう。日本人はその点、食事に限らず、こだわりが少ないかもしれません。北欧住宅なんかは結構人気があるように思います。いつか次第に本格和風建築が海外でも受けるといいなと思ったりしますが、どうでしょうね。
植林活動や山林事業をインドネシアで展開しているとのこと、これは以前は製紙メーカーが海外各地でやってきましたが、住宅事業舎としては珍しいのではと思うのです。しかし、住友林業の発祥自体が、この事業ではないかと思うのです。そこで同社のCSR情報にある<始まりは百年前の、その想い。>を見ると、その意気込みを感じさせてくれます。
<銅をもらったこの山に、緑の森を還したい。
始まりは百年前の、その想い。
住友林業発祥の地 愛媛県「別子」>
インドネシアでは焼き畑で荒れてしまった土地とされていますが、伝統的な焼き畑は周期的移動式に行われるので、焼き畑しても一定のサイクルで森が回復してくるはずです。ところがインドネシアでは移民政策で本来的でない焼き畑が行われたり、プランテーションで森が破壊されていった要素が大きいのではないかと思うのです。
それに加えてボルネオ島(カリマンタン島ともいわれます)などでは日本への原木輸出が盛んな頃は、次々と原生林を壊していく一方で、植林をしないということが長く行われていました。その後国際的な圧力もあり、原木伐採の制限など次第に改善されてきたかと思います。
それでも破壊された森林は人間の手で回復してあげる必要があるでしょう。そこに住友林業が、別子銅山で培った精神・ノウハウを活用して、いま戦後日本が犯した森林破壊を元に戻す事業を行っていると思うと、うれしくなります。期待したいですね。
ついでに<国内山林事業>を見ると、<総面積46,444ヘクタール ※日本の国土の約1/900に相当する社有林を管理>しているのですね。<永続的に、植林と木材の生産を繰り返す──「保続林業」を基本理念に>と。
わが国の林業は衰退し、個人所有森林の多くは荒廃の一方です。国有林もそう大きな変わりはないでしょう。といって大企業の林業経営にのみ頼るのもどうかと思います。ただ、一度住友林業の林業の実態は見てみたい気がします。そういえば知り合いがいました。さて、そんな元気があるか。ま、夢物語かもしれません。ともかく、少しいい方向の物語を語ることができ、今日は少し満足です。
この辺でおしまい。
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