180114 年賀・喪中はがきの是非 <年始のごあいさつ 喪中はがきの風習は必要?>などを読んで
年賀状を出そうか迷い始めたのはもう20年以上前のこと。そろそろわが国でもメールが普及しつつあって、必要ならこれでよいのではと思ったのです。省資源・省エネ的には自然な感覚でした。でもいまもって踏ん切れないでいます。
私の若い仲間の一人は最近、堂々と実践しています。彼は一緒に仕事をしていたときも、優秀で情熱もあり、世代は違いますが大きな影響を与えてくれました。でも彼のようにまだ潔いスタートが切れないでいます。
そんなとき今朝の毎日記事<松尾貴史のちょっと違和感年始のごあいさつ 喪中はがきの風習は必要?>は、その先を行っている印象で、驚きと共に、そのとおりと賛同したく思います。
松尾氏は、以前から辛口のコメントとユーモアも交えてなかなかと思っていましたが、NHKFMの日曜喫茶室を受け持ったときはちょっと無理ではと当初不安視していました。でも
そんな私のいい加減な理解は吹っ飛ばしてくれるほど、軽快で多様で中身も充実させ、新たな内容に入れ替えてくれました。
その松尾氏の違和感は、次の通りです。
<昨年の3月に父が亡くなったので、子としてはおよそ1年間の服喪期間中ではある。しかし、周囲が「おめでとう」と華やいでいるときに「喪中ですので」などと言って水をさすのもおかしいし、そんなことを言っている人を見たことがないので、何も考えずに「今年もよろしくお願いします」と応じていればいいのだろうか。>
また、松尾氏は年賀状をずっと出していなかったようですね、その立場から重ねて、
<何年も年賀状を出していないので、喪中ハガキも出していない。以前も書いたが、喪中ハガキなど受け取った人の気分を曇らせるからあの風習はなくなればいいとすら思っている。返事を出さないといけないような相手から年賀状が届いてしまったら、寒中見舞いで礼を尽くせばいいのではないか。>
松尾氏は過去の根拠法令をとりあげて、喪中のあり方、そして関係者への連絡は個人の選択に委ねられるのが望ましいと、当たり前のことを述べています。実際は社会の慣習・習俗みたいな何かが、このような一連の喪中対応として行われてきたのでしょう。
<その昔は「服忌令(ぶっきりょう)」という法律で喪に服すことが決められていた時代もあったそうで、心の活動まで強制される時代があったのかと驚く。逝った者への思慕や愛情は人の数だけある。あくまでガイドラインとして儀礼という文化が継承されることは大切だが、強制ではなくそれぞれが選択できることが望ましいのではないか。>
とはいえ、死亡連絡から葬儀や法要、そして遺体・遺骨のあり方まで、次第に多様な道が選ばれてきて、すでに喪中期間といった習慣もごく一部になりつつあるようにも思えます。
縄文時代は異なる形態であったと思いますが、死に対しては厳粛な営みが社会の基盤で会ったのではないかと思うのです。弥生時代、さらに古墳から飛鳥に至るまで、薄葬令が発せられるまで、少なくとも身分の高い社会では殯を厳格に行われてきたのではないかと思います。
まったく知らない人、その家族の死について死亡連絡は、社会慣習として行われています。違和感を抱くのはそういうときです。とはいえ私も喪中はがきを最近なんどか出してきました。それでよいのか少し考えていきたいと思います。
とはいえ、喪中はがきといったものは、郵便制度を作った前島密もびっくり仰天ではないかと思っています。これはきっと郵政省がある時代に普及させた、また、戦前の貴族社会はともかく庶民の間でそれほど一般的であったとは思われないのです。むろん村社会が確立していたときはほとんどが村の中で生活しているわけで、そういった喪中はがきの必要性もすくなかったと思います。
それが印刷はがき、さらにはワープロの普及、ネットの浸透に加えてプリンターの家庭への進出といった側面に加えて、葬儀自体が企業なり事業レベルで営まれるようになったことも、喪中はがきの一般化、拡大が見られたのではないかと思われます。
これらと軌を一にして、年賀状の数量も格段に伸びましたね(最近は減少気味だそうですが)。それは庶民の多くが要望した結果からもしれませんが、受け取る側、出す側のいずれも個人の自由な選択を無意識的に奪われているかもしれません。松尾氏の指摘はそのように感じます。
ところで、数日前の保阪正康氏による<昭和史のかたち年賀状文化>も、私自身、感じ入るものがありました。
保坂氏は<年賀状については、功罪相半ばする論が叫ばれてきた。虚礼廃止の折あまり意味がないのではないか、あるいは、年に1回お互いの安否を確かめ合う意味がある。それぞれがうなずける理由である。しかし私自身に限って言えば、今年は年賀状の意義が改めて確認され、どちらかといえば前者から後者に大きく傾くことになった。>と揺れる気持ちの中で、個々のはがきに意義を認めたようにも思えます。
保坂氏の年賀状投函の歴史的経過も面白いですね。私も似たような経験があります。賀状を出すのを辞めようかと思いつつ、年末までに出さないで、元旦以降に配達された人に対して賀状を送ることにしていました。
これは実際は大変です。しかも個々のはがきの内容に応えるようにしようとすると、もっと大変です。私のやり方は、印刷(たいていは元旦の日に書いたもの)を個別対応せず、ただ送るものです。それだと後から出す意味もないように思い、結局、最近は年末前に仕上げて賀状を投函しています。
とりわけただ社交儀礼で送り合うような年賀状、定型の内容しか記載のないものは、欠礼しようかと時々思うのですが、なかなか踏み切れません。優柔不断ですね。他方で、個人的なことを書いてきたものにも、とくに返礼しないので、これも失礼な話しです。結局、メールの方が即時性があり、お互いのやりとりが出て、本来的かなと思うのです。
長く遠ざかっている仲間と年一回の賀状の授受にどれだけの意味があるのか、これからも考えることになるのでしょう。
ところで、保坂氏は最後にすばらしい賀状を、そこに心を込めた内容のある伊丹万作の一分を紹介しています。これを読むだけで、年賀状の意味はあるのかとつい思ってしまいます。できたらこういう一文を受け取れる人になりたいものです。
<「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃(そろ)えてだまされていたという。(略)だますものだけでは戦争は起こらない。(略)だまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど判断力を失い、思考力を失い、信念を失い、(略)自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」>
<伊丹万作はこう指摘したあとに、「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう--と結論づけている。>
賀状は、はがきであれば、せいぜい数百字でしょう。プリンターを使えば1000字、2000字でも可能でしょうが、肉筆で要領よく心奥を刻めることができる、典型ですね。短いからこそ、本質を突く。私の長い駄文も反省です。
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