たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

地球大変動と日朝 <NHK 列島誕生・・奇跡の島はこうして生まれた>を見て思う

2018-02-12 | 古代を考える

180212 地球大変動と日朝 <NHK 列島誕生・・奇跡の島はこうして生まれた>を見て思う

 

昨夜、以前録画していた<NHK 列島誕生 ジオ・ジャパン 第1集 奇跡の島はこうして生まれた>を見て、続いて<第2集奇跡の島は山国となった>も再度見ました。

 

書物などで、日本列島が大陸から南北二つに分かれる形で分離され、その後観音開きのように南側が東北方向に向いていたのが東西方向に開き、北側が南北方向に開いて、両者がほぼ繋がるような形になったといった解説を以前読んだことがありました。

 

ただ、映像で動態的なシミュレーションで描かれると、地球のダイナミズムを堪能できますね。それもプレートテクトニクス理論で、力学的でしょうか、そのメカニズムが解明されつつあるようで、その説明も一応明快な気がします。

 

NHKでは、地球がいくつかのプレートに分かれ、そのうち一番大きく、かつ、100kmの重厚さで重い太平洋プレートが西側方向に動いて大陸プレートに衝突して、後者の下に沈み込む、その沈み込みのエネルギーが大陸プレートの下で旋回するエネルギーを生み出し、その縁部分を東方に引っ張りちぎってしまう圧力が生じて、弱くなった大陸プレートの縁が裂かれて分離したといった解説であったようです。一理あるものの、いろいろ疑問は起こりますね。

 

なぜ日本列島に属する部分だけが裂かれたのか、それで説明可能なのかは・・・わかりません。またなぜ二つに分かれて観音開きのような方向に開いたのかも、そこまでの解説はなかったと思います。

 

その後分離された島状部分との間に海流が入り込み、また島状の中央部分の隙間からも海流がどっと入ってきて、さらに大陸から離れていったというのです。これはプレートの動きとは異なる海流の力だけで説明するのでしょうか、どうも違うように思うのです。だいたい日本列島はいまなお、西日本が大陸プレート上で、なぜか東日本は北アメリカプレートに載っていますが、だいたい北アメリカプレートがどうやって、太平洋プレートと大陸プレートの間に割り込んできたのか、この説明もなかったように思うのです。

 

ま、2500万年前でしたか、気の遠くなる昔の話しですので、この辺りはさらなる分析が行われているのでしょう。いやわかっているけど、NHKのコンパクトな時間ではさわりだけに終わったのでしょうか。

 

もし日本列島が大陸プレートの一部にあったとしたら、分離したからと言って太平洋プレートに乗り換えるといったことがないのは当たり前でしょうね。でも北アメリカプレートに乗り換えた?みたいな印象になる結果はどうなってのと、疑問に思うのです。

 

ま、それはいいとして、次の伊豆半島を含め一連の火山列島のフィリピンプレート上で北上する動きについてはあまり具体的な理由付けがなかった(見落としたかも?)ように思うのですが、なぜ北上して二つに分かれた列島のプレートのど真ん中にぶつかっていったかは、それぞれのプレート衝突があったことが要因のようですが、見事な三方向(北アメリカを入れると4方向)のせめぎ合いのように感じられ、偶然とは言えその衝突が爆発的なエネルギーになって南アルプス付近の高山地形や富士山が生まれたのですね。

 

丹沢山系も割合よく登山で歩きましたが、そういう知識がなかったので、ただただ歩くだけでしたが、体力、脚力も良かった時代ですね。

 

おもしろいと思ったのは、伊豆半島は古代というか律令時代や中世期ころまで、島流し、しかも遠島として位置づけられていたように思います。先に書いた役小角もそうですね。源頼朝や彼に旗揚げをそそのかした文覚もそうでした。なぜ伊豆半島なのかと、いつも思っていたのですが、もしかしたらこの衝突の歴史はともかくとして、火山・噴火の痕跡がまだいい伝わっていて、危険なところ、鬼が出るようなところとでも言われていたのかもしれないと、一瞬腑に落ちました。

 

フィリピンプレートの力も大きいですね。紀伊半島の南端を中心に、西日本各地で巨大カルデラを生み出す火山噴火が連発させたエネルギー源ですね。それが紀伊半島や四国などの高い頂をどんどん作ったわけですか。そして、おそらくは空海の修行場所となったのもそういったところだったのでしょうか。

 

で、長々いつもの前口上となってしまいましたが、この列島誕生の物語を見ていて気になったのは、その分離された位置と観音開きしたときの位置がどうも違っているように思えるのです。それが本日のお題である、「地球大変動と日朝」つまり、日本列島と朝鮮半島の関係です。

 

最初に分離したときの位置を見ると、どうも極東ロシアが中心で、朝鮮半島付近はまだ形にもなっていませんが、その辺りではなさそうに見えるのです。それが観音開きをするようになった時点では、西日本の南端がぐっと南方に下がっていて、朝鮮半島の一部とも思われる小島の先になっていたように思えるのです。

 

そのときもしかしたら、朝鮮半島がその後形成される分けですが、現在の朝鮮海峡付近にあった島々の一部は日本列島に参加する一方、他は朝鮮半島に組み込まれたのではないかとふと思ってしまいました。

 

というのは朝鮮半島については、どのようにして生まれたか、NHKの番組ではアプローチしていませんし、私がこれまで調べた簡易な文献調査ではそれを対象とするものはみつかりませんでした。ま、よくわからないというのが現在です。ですから憶測もいいところですが、日本列島はある意味、独立した形で形成されたかのように思われてきたわけですが、大陸の一部だったわけですね。しかも大陸から分離したときもいくつかの島に分かれていたのです。その後の形成の中で一部は朝鮮半島に組み込まれたと考えることも、大陸プレートの一部という意味ではたいした違いはないのかなと思うのです。

 

いろいろ書きましたが、要は、古代を語るとき、国がそれぞれ独立して確定したものがあったかのような記紀の物語がありますが、はたしてそうか、朝鮮半島と日本(当時の倭でしょうか)はまだそれぞれ独立が確立していたわけでなく、相互の行き来が自由にあって、大王とか王とかも交互に代替していたという説が少なからず異説として次第に評価されてきたようにも思うのですが、それも日朝の国土の成り立ちからも、海人としての当時の生き様からも、結構魅力のある考え方かなとつい、思ってしまいました。

 

飛躍が大きく羽ばたいていますが、ま、列島誕生という壮大なテーマですし、1万年の歴史ではなく2500万年、1400万年の歴史ですから、その程度は寛容に受け止めていただければと思うのです。

 

今日はこれでおしまい。また明日。

 

 

 

 


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